治療院での初仕事 外街の歴史
ギルドの治療院への初出勤。朝はそれ程早くなくて、塒から皆を見送ってから、その日お休みだった同室の女の子と抱き合い少しだけ2度寝する余裕はあった。
塒を出てから治療院に着くまでに、市場で顔を覆う為の薄衣と、ギルド近くのいつものパン屋でカチカチパンを2つ買っておく。お昼ご飯に余ったら、おゆはんに皆で分けるんだ。薄衣を纏った奥でつい笑顔になる。大丈夫、誰にも見られていないから。
ギルドが運営している治療院は東西南北の各ギルド支部毎にあるわけではないらしく、東と南にだけ設置されているみたい。北と西は聖職者運営の治療院が主体となっている。現在、北門が工事で閉鎖されている影響で、北の治療院がこの所患者が少なくなってきて廃れてきたという話をルツィーさんから聞いていた。
そのせいか、最近南や東の治療院の方に聖職者が出稼ぎに来ることが多いんだとか。ただ、奇跡の担い手たる聖職者もそれほど数が多いわけじゃない。その為貴族や富める者が囲い込む事が多いから、ギルド運営以外の治療院だと冒険者の治療は後回しになりがちなのだ。
この外街は、成り立ちはただのスラム街ではない。ここは人類種の最前線都市だけあって、この外街は本来多数の種族が軍隊を編成した際の駐留場所だったりする。
その駐留場所に商人が物売りにきて、出店を出して、町の外にあった修道院が貴人の宿泊先になったり、壁内が整備されてからは下級指揮官の宿直場になり、街が出来て建物が増えて戦死者が増えて孤児が増え、旧修道院が孤児院になり、街が大きくなりさらに孤児が増えて修道院が老朽化して別の孤児院が必要になり、といった具合でこの外街と元修道院は変遷していったのだ。
そういった経緯があるので、この南門付近はギルドが運営しているものも含め軍や冒険者優先の治療院が多いのだ。北門は東門と同様に冒険者が出入りする事が多かったので、教会運営の治療院も冒険者優先で治療してくれていたのだが、大工事が始まってからは風向きが変わってしまった。
そういう話を治療院の院長先生からお茶飲み話に教えていただいた。院長先生は60歳オーバーのお爺ちゃんで、この世界の人間の平均的な老け方をしている。年相応に話がループするのか、途中何度か話題が先頭にもどってしまい、同じ話が繰り返されたけど、美味しいお茶とお茶菓子に免じて気にしないことにしている。
これは……説明会とか座学なのかな。
これまた今世初めての緑茶に、懐かしさが胸に溢れ感無量になりながら木造りのカップを啜る。あ、ネットワークから仕入れたペットボトルのお茶はノーカンだからね。
開院前に治療院に着いて、皆さんに挨拶していたら、ちょうどルツィーさんも来ていて、院長先生を交えて自己紹介した後、色々とお話を聞いていたら、いつのまにかルツィーさんがギルドに帰っちゃっててこの状態になってた。一緒に挨拶した筈の先輩職員さん達も、いつの間にかお仕事で忙しそうに動き回っている。
「さて、ここの成り立ちを説明させてもらったが、基本的にこの治療院では魔法の治療が主体ではない。だが往々にして怪我や病気というもんは、こちらの都合を聞いてはくれんのでな。
エリー殿はその年で重症治療の魔法を使えると聞く。そして手足の再接合が可能な魔法なら無理なく行使できるとも。」
ようやく一方的なお話が終わって、質問タイムがやってきた。
「はい、一応いくつかの治療魔法と下位の解毒、病気の治療魔法が使えます。」
「怪我の治療だけではないのか。情報の開示をしてもらえて、こちらとしてはありがたいが、エリー殿にしたら面倒が増えると思うのだが。
我々としては、エリー殿の好意に付け込み無理を強いるつもりは無いからの。聞かなかった事にもできるがの。」
口元を片手でなぞりながら、そう答える院長先生。
だけどね、私はある程度情報開示のリスクをとっても、スタートダッシュでお金を稼いで早くシリルを迎えに行きたいの。一応手元には古傷で既にふさがってしまった欠損を治療する魔法もある。
完治にちょっと時間がかかるし、欠損範囲によっては完治まで数回魔法をかける必要があるけど、この魔法なら、失明でも過去の欠損でも重度の内臓疾患でも治療が可能である。癌含めて。
もちろん情報の公開に伴うリスクの上昇は、許容範囲を超える可能性はあるけど要は伝え方一つである。
「手の内を晒しても、どのみち私が要請に応じる余裕が無ければ協力は出来ませんし、そういう約束ですから。
一応、治療魔法に関してはある程度開示しようかと考えていました。」
そう言って、一番目を付けられる可能性のある身体欠損の治療魔法に関する情報を一部開示する。
「なるほど、な。支部長のリーメイトから今回のいきさつは聞いておったからな。
例え四肢欠損や重傷者を治療できるにしても、そのたびに意識を失い命を危険にさらすのであれば、そうやすやすと使うことは出来んと考えていた。
だが、時間をかける事で欠損を治療できる魔法なんてものがあるとはな。
魔法と言うものは個人の研究毎に色々と違って来るとは聞いていたが、そんな効果を持つ魔法は初めて聞いたな。」
「有名所の基本の術式は幾つか公開されていたり、魔術の主流派が広めたりしているみたいですけど、基本は師が弟子に伝えていき、数十世代にわたって探求していくものですからね。」
「詮索をしないという約束事が無ければ、聞きたい事が増える返事だな。だが、まぁ俺は医者であって魔法使いじゃぁない。
専門以外は専門家に任せておこうか。
知りたいのはその治療魔法を使うのであれば、お前さんの負担は軽くて済むのかという事と、その魔法はどこまでの効果を発揮できるか、だが。」
院長先生は少し考えた後、軽く頭を左右に振ってから話を続ける。
「知るべきはお前さんの体への負担であって、効果は確認するべきではないな。時間を掛ければ四肢欠損を数か月で治療しうるという事が解ればそれ以上は踏み込むべきではない。
お前さんがこのエステーザで誰にも害されない立場をしっかりと築いた後、茶飲み話にでも教えてくれや。」
そう言うとニヤリと院長先生が笑う。自己紹介の時に名前は聞いたけどイメージが院長先生、なんだよね。名前はリッポっていうんだけど、60歳越えの髭爺にイメージ合わんわ。
「その、時間をかける治療魔法であれば、魔力の続く限り行使可能です。魔力の消費に伴う疲労はありますがそれだけです。」
そう言うと院長先生はまた考え込んだ。
「金が、必要という事なんだろう?今まで実力を隠していたのに、この掌返しだからな。
だけどなぁ、必要な物は金だけじゃあるまい。後ろ盾も必要だ。今はギルドが後ろ盾だが、あんまり早くに価値を示し過ぎるとギルドでも守り切れなくなる事もある。恩やら何やらで雁字搦めにされて貴種に飼われるのも本意じゃなかろうて。
知り合いの貴種に恩に着せない比較的まともな貴種もいないではない。そいつが恐らくは、お前さんの力を必要としているのも事実。時間をかけて欠損を治せる魔法を。
やり様によっては、そいつを後ろ盾にすることも出来るだろうけど、な。貴種には変わりないからな。
その内、時期が来たらお前さん自身がその辺を判断してみりゃいい。」
確かに。安直にもう大丈夫、ギルドが全部面倒みてくれるって考えていたけど、そういう可能性もあるかな。貴族に飼われる、かぁ。
ある程度自由に外に狩りに行けて、研究出来て、たまにお願い事を聞いてあげるくらいなら別に貴族に雇われても構わないけど。
私の外見を考えると絶対それだけじゃすまないよね。シリルも巻き込まれるかもしれないことを考えると、ちょっと今の時点ではご遠慮したい。
「ローブと薄衣で正体を隠すとしても絶対はあり得ん。強力な治療魔法の行使が噂になれば、この治療院で働き始めた時期一つとっても正体を突き止める手札になりうる。
一応、治療魔法行使者の身元を守る為に壁で仕切られた、顔を会わせずに済む特殊な治療部屋を使うことにはなっているがの。
怪我の部位によっては顔を見られんとも限らんから、今のお前さんの様にうちの職員は勤務中は全員ローブと薄衣は基本セットになっておるのよ。一般職員も顔を隠す事によって、守らにゃならん対象が顔を隠しても目立たないようにする。
あと幾つか細かい小細工をしておる。治療着のローブの色を派手にして中身に気が向かないようにしたりとかな。」
あぁ、だから部屋の隅に、真っ赤なローブと真っ赤な薄衣が引っかけてあるのね。誰が使うのかなぁ、こんな派手で恥ずかしいローブって思っていたんだけど、私が使うんだぁ。わぁ……。
「だが、まぁ万が一を考えて、今はまだお前さんの言う下位の治療魔法を中心に働いた方が良いだろうな。
なに、安心しろ。切断された手足の再接合が出来るレベルの治療魔法なら、それだけで十分に厄介事だからな。それなりに稼げる。
治療する怪我の程度をある程度見繕わんといかんな。
他に雇っとる奴らもおるからな。万が一お前さんが、重傷を治療するような事になっても、直ぐにお前さんに目が行く事は無かろう。その時は年寄りに矢面に立ってもらうとするか。
表向きに、お前さんが大活躍をするのはもう少し後でも構わんだろ。」
そう片目をつむり笑いながら言うと、治療の報酬に関して簡単な相場をまとめた羊皮紙のスクロールをほいっと渡してくれた。
「話はこれでしまいだ。こいつを後で確認しておけ。」
つい仕事着の赤いローブに目がいってしまう。
「ははっ、このローブを着るのは魔法治療をするときだけだからな。それと、勘違いしとるようだが、着るのも囮の職員でお前さんはうちの仕事着のローブを着る事になる。
ほら、さっさと仕事着のローブに着替えて労働に勤しんでこい。最初は見学からだ。しっかりと説明受けて来いよ。」
話が終わると、それを待っていたかのようにローブ姿の、顔を薄衣で隠した女性が部屋に入ってきて、私にローブと薄衣を手渡してくれる。
あぁ、そうだよね。目立たないようにするとか言っといて、真っ赤なローブ着せるわけないよね。うん、すっかり騙されたよ。
……ちょっと残念かな。奇麗な色の赤だったしね。
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