精神的には大ピンチ

 長い直線の通路の先、例えカンテラで照らしても見る事は叶わない暗闇のその先に。距離にして100メートルはある通路の奥へ位置取りを変えて闇に潜む。かと言って、奴らをやり過ごすわけにはいかない。


 私に食いつかなかった場合、そのまま獲物を探してケリー達の所にいかないとも限らない。重なり過ぎて判別のつきにくい敵正反応の光点が、少なく見積もって50以上。カウンターに意識をやると100を超えるラットとローチの集団が迫っている。


 その一部でもケリー達に向かえば、死人が出かねない。


 先程潰したローチの死骸に食いついて、動きが止まる可能性もあるけど、その辺りには私が入ってきた横道がある。奴らは変なところで感が良い。人の匂いや音に敏感なんだろう。ローチ達の死骸のポイントに到達する前に奴らの気を引かなければ一部がケリー達に殺到するかもしれない。



 心を落ち着け、術式を組み換えその時を待つ。100メートルの直線なぞ、オリンピック選手で10秒台で駆け抜ける。奴らの足で15~20秒くらいだろうか。


 先頭集団が見え始めてから魔法を放つ。それだけで100かそこらの雑魚など、こちらに来るまでにかなり減らせる。今の私で魔法の矢を15秒で何回連発できるか。ボルト系の魔法が使えれば、効率よく大量虐殺出来るんだけどね。無い物ねだりは止めておこう。乱戦に持ち込まれる前に魔法で削る。懐迄乗り込まれたら、可能な限り敵の攻撃をかわし、近接戦闘をこなしながら魔法で数を減らす。魔力が続くまで。



 奴らが直線に入る前に、理力の鎧という魔法障壁で防御力を上昇させる魔法をかける。下級の魔法だけど無いよりはましだ。何せ今この身体には防具など一つも身に帯びていない。ラットの爪やぶちかましなら兎も角、ローチにたかられてまともに噛みつかれたら、そこから千切れる。いや、基礎能力がある程度高いから、少しは持ちこたえるかな。



 少しでも回避力を上げる為に「回避技術1」を取得。経験値4,000消費。これでほとんどシナリオ分の経験値は無くなった。体を慣らしている時間はない。



 ジジッとラットの声が聞こえてくる。通路や壁、天井を張ってくるローチのガサガサと言う足音も聞こえてくるようになってきた。もう少し……今。



 「魔法の矢!」



 普通の魔法の矢3回分のコストと引き換えに、生み出された8本の光弾が勢いよく奴らの先頭集団に叩き込まれる。成果を確認している暇はない。続けざまにもう一度、魔法の矢を叩きつける。


 こちらに気が付いた奴らが、一気に速度を上げて突撃してくる。



 「魔法の矢!……魔法の矢!……魔法の矢!」



 何も考えずにマジックミサイルを連発する。途中、魔法を行使して失った魔力が以前に増してみなぎり、力が戻ってくるのを感じる。分霊わたしがシステムを構築する際に拘った、レベル上昇に伴うリソースの回復だ。これでレベル5。



 この僅か10数秒でこれまでの戦闘経験数と同じかそれ以上の敵を潰している計算になる。暗闇に魔力光が煌めき、その光とほぼ同数の命が失われる。私を通じてラットやローチ共の魂が、アストラルの海に落ちていくのを感じる。そして端末と分霊わたしに流れ込む力。我が神に流れ込む力。その力の流れに陶酔しそうになりつつも、意識を飛ばしたりはしない。



 一度に死にきれず、藻掻くラットの苦痛や恐怖、強い感情がアストラルの海を揺らし、分霊わたしに流れ込む。あぁ……、美味しいぃ。



 無意識に魔力圏を最大に広げて吸血と吸精を始めた。命を失い、抵抗力を喪失した個体から血と生命力が魔力圏に触れ分解され溶け込んでいく。満たされていく個体わたし。失った魔力がじわりじわりと回復し、器を強化する為に力が染み込む。



 「あぁぁああぁ……。」


 

 都合9回の死の弾雨を乗り越えて、恐れを知らぬ、若しくは理解できぬローチが私に飛び掛かってくる。足と右手、同時に。


 噛ませてからぁ潰してもいいけど服が汚れるぅ。


 バックステップ一つ踏んでもう一発魔法の矢を叩き込む。都合10発目。同時に先程と同じような喪失の回復が起きる。これでレベル6。



 残った敵さんは30匹前後。元々奴らに考える頭等無い。狂騒し、何かに駆り立てられるように構わずに突っ込んでくる。


 スティレットに魔力を流し、床を蹴り左の壁に足を蹴りつけ短い距離だけど壁を走る。すれ違いざまに2匹のラットを血祭りにあげる。同時に魔力圏に囚われて血と生命力の簒奪が始まり、私は更に満たされていく。奴らの後ろ側に回ってから、再度魔法の矢をぶちかましてバックステップで距離を取り、魔力圏に触れる奴らの死体の数を増やす。


 あはぁ。


 レベル6に至った影響で、最大領域が広がった魔力圏に、巻き込まれる獲物の量が一気に増えた。一度に大量の力が流れ込んでくる感覚に溺れそうになる。今世初めての快感に酔っ払うけど、軽く舌を噛んで正気に戻す。



 「これが私の本質だとしても、それに呑まれていては制限をかけている意味が無いしね。呑み込まれてしまえば、何もかもが詰まらなくなってしまう。そうなれば結局いつもと同じ元の木阿弥、ね。


 あ~んぅ……、少しレベルの上りが早いかも。量が多いとしても雑魚敵殺しただけでレベル5になってからあっという間にレベル6はねぇ。もう少し調整が必要かしら。


 まぁ、難しい事は後で考えましょ。」



 うん、正気に戻り切れていないね。端末わたし分霊わたしか、どちらなのかあやふやな状態で言葉が漏れた。


 吸血や吸精に関しては毎回じゃないけど、転生して最初の内には大抵、少し規模の大きい戦闘を経験すると多少「酔う」。その内慣れて、おかしくなったりはしなくなるけど、今はやらかさないように気を引き締める。



 一瞬で私を見失った奴らが、ようやく背後に回った私の声に気が付いて一部がこちらに向き直る。けど全体としては動きが混乱している。残り20匹ちょっと。立ち直る暇は与えるつもりは無い。このまま魔法の矢で片付けてもいいけど、それだと少しつまらない。


 レベル6。今の私なら、奴らに吶喊をかましても十分楽しめる。手足の一本位は持っていかれるかもしれないけどね。



 スティレットを片手に集団として混乱している奴らに突っ込む。手早く突き込みを入れて何匹かを始末するが、敵もさるもの混乱しながらでもこちらの攻撃に合わせてきた。


 突き入れるタイミングで数の力を生かして上下同時に飛び掛かってくる。華麗にステップを踏んで足を狙った奴らは躱して、嫌だけど左足でローチを踏みつぶし、右足でラットを蹴り殺す。裸足なんだから勘弁してよ。同時にスティレットを突き入れて3匹同時にラットに突き入れるが、かわしきれずに左手首にローチが噛り付いた。



 レベルが上がって、以前とは比べ物にならない程狂人に……いや、間違えた。強靭になった私の手首はそう簡単に噛み切れない。噛みつかれたままに左手を振り壁に叩きつける。


 すごく嫌だけど、左手でローチの花火が咲く。この花火に奇麗な赤が混じっているのは、齧られた私の手首からの協賛だろう。どうせすぐに治るからどうでも良い。ローチの肉片とかは本当に嫌だけど。



 ローチを振りほどくのに気を取られた一瞬の隙を突いて、空からローチが降ってきた。まさしく恐怖である。空から降ってくるのは雨か天使か女の子である方が望ましい。雪は却下だ。あれは不許可ね。



 ほんの少し恐慌状態に移行した私は、天井から降ってきたローチを避ける為に体制が崩れる。いや、いくらわたしに酔っていてもローチを頭からかぶるのは嫌どす。




 咄嗟に自分をまきこんで全力で炎の壁を展開する。勢いよく巻き上がる炎に、降りかかってきたローチは吹き飛ばされるけど、私も体全体をあぶられる。緊急回避、即座に前に転がり込んで災難を回避した。先程迄私がいた場所に視線をやると、襲い掛かろうとしていた多数が巻き添えを食らい、特にローチが勢いよく焼かれている。魔力圏が、炎の壁の魔力に乱されて阻まれる。



 あぶねぇ~。これ魔法障壁展開していなかったら、せっかく買ったばっかりのおニューな古着がお焦げになってしまう所だった。今回の獲物を一回で提出できるならその位の赤字、何とでもなるけど。厄介事になりそうだからねぇ。



 突然現れた炎に考える頭を持たぬはずのローチの動きが止まり、小賢しいラットは狂騒から覚めたようになっている。残り数匹。


 醒めたわぁ。左手グジョグジョだしネトネトだし。壁に叩きつけた衝撃で手首折れてるし。本当にもうすっかり醒めた。



 「逃がすつもりは無いけどね。」



 もう色々嫌になってきたから、残りをさっさと魔法の矢で片付ける。


 流れ込む力の影響で左手首は既に出血が止まり、骨の修復が始まっている。へし曲がっていた手首が、再生した細胞に押されて正しい位置にじりじりと動き始める。地味に痛い。




 あんまり使えないかなと思っていた炎の壁だけど、こういう閉鎖空間では十分に役に立つかも。段々息苦しくなって来たけど。



 次からは炎の壁を展開してから、魔法の矢をぶっ放して遠距離攻撃を徹底しようかな。ちょっと酸素が薄くなったり、素材が取れなかったり、駆除報酬が少なくなったりするかもしれないけど、こんな目に合うよりはなんぼもマシだよ。



 いや、熱いし……。お肌の潤いが無くなってきちゃっているし、髪が痛むし。顔がぱっつんになってきた。おめめが痛いよ?


 左手にこびりついたローチ的な色々なものがカピカピになってきちゃっているし。せっかくの死体が焼けて、流れ込んできていた血も精気も量が減っちゃったし。



 まだ少し酔いの残っていたのかな。キレイキレイにしたくて左手を炎の壁で焼却消毒してみる。やっぱりかなり火力高いよ。あっついわ。てか、随分長く燃えてるよね。だんだん残った酔いも醒めて、左手を引っ込める。わぁ、上手に焼けてしまったよ。



 ねぇ、てか本当に息苦しいから。なんで消えないの?



 これ、何時まで燃えてるのよ。焦って結構魔力を注ぎ込んじゃったから、ちょっとヤバいかもしれない。魔法の炎自体は酸素を消費しないで燃え続けるけど、魔法の炎に焼かれて燃焼する物体に関しては普通に酸素を消費する。


 酸素が無い場所で燃やされる場合は、炎が消え去るまで熱し続けられる事になるだけだけど。この場合はラットやローチの死体が盛大に燃えて酸素を急激に消費している状態だ。ついでに下水路に堆積していた様々なゴミや死骸も一緒に燃えている。



 本来なら一度展開した炎の壁は自分で消すことも出来るんだけど、今回は焦ったせいで勢いで発動させた後コントロールを手放してしまった。


 込めた魔力は今の私の、全力の半分くらい。


 ざっと計算すると、このまま放置すれば多分半日は燃え続けているかもしれない。



 慌てて、一度放棄した術式に再度干渉してコントロールの再確立を試みる。本当に久しぶりにそんな芸当やるから、出来るだけ近くにいないと難しい、けどお肌も髪もおめめもピンチだ。必死で爆速目指してコントロールを取り戻して消火する。


 そんなこんなで、私の初めてのソロと魔法と、ピンチと「酔い」はドタバタで有耶無耶の内に幕を閉じる事になった。






 と、思っていたんだけどね。


 ここからもう一波乱があるなんて、その時の私は思ってもみなかった。この先の生き方が変わる様な出来事が……。

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