初仕事と初めての借り
初めての下水掃除を夕方まで勤め上げて、他の仲間たちと同じように報酬をもらってから川に身を清めに行く。仕事中、何度もラットやローチが襲ってきたがケリー率いる護衛部隊は慣れたもので、悉く奴らを撃退してくれた。
ヘドロの混じった水路に靴を脱ぎ、裸足で脛まで浸かって竹で編まれた泥掬いで懸命に水路を掃除している面子も、全く無力ではないらしく、時折護衛部隊を抜いてくるローチなどを慣れた足つきで踏みつぶしたり、ラットに蹴りを放って牽制したりして、護衛部隊が駆けつけてくるまで何とかやり過ごしていた。
ラットは地球の鼠と体つきやフォルムはそっくりだけど、そのサイズが気持ち悪いくらいに大きい。ぱっと見胴体から頭だけでも子供の頭よりも大きくてしっぽの長さまで入れると私の頭から腰下位の長さはあるように見えた。私が110㎝位だから50~60センチくらいだろうか。
大きい分、それなりに動きは地球のネズミより鈍いかといえばそうでもない。イメージとしたらデップリとした猫のようだろうか。意外とすばしっこく掃除グループの面々が放つ蹴りをおとなしく受けてくれたりはしない。
ローチに関しては、あんまり説明しない方がいいでしょ?。話を聞いているだけでも気持ち悪くなるかもしれないから。でも少しだけ説明しておくとローチとは全長30cmを超える大きさのゴ〇〇リ、と言えばそれ以上の説明は……いる?
一応もう少し説明しておくと、単なる巨大ゴ〇〇リだと馬鹿にしたものでもなくて、俊敏な動きと意外性の軌道。そして強力な大顎で子供の腕など簡単に嚙み切ってしまうだけのパワーを秘めている恐ろしい化け物だ。とは言え、油断しなければそうそう被害に合う事もないし、護衛部隊の面子に至っては彼らの動きに慣れているのか、実に容易く叩き潰し殴り殺してくれる。
それでも時折被害者は出るし死者も出るから、気は抜けないのだそうだ。
「大体週に一人か二人は手足をなくすし、そうなりゃ大抵生き残れないからな。中には足を嚙み切られた段階で全部諦めて死に急ぐ奴も出てくる。食われんのは大抵護衛部隊を希望した新人だ。
あいつら初撃は手足を狙ってくるけど頭とか胴体は狙わない。動けなくなった奴の手足を噛み切ってからゆっくり内臓に食らいつくんだ。
だから、まともなグリーブかグローブ一つつけてりゃ大怪我することもないし、死ぬこともないんだろうけどな。
そんな金がある奴は下水にゃ潜らねぇし、第一そんな装備を付けて毎日下水に潜ったらすぐにダメにしちまうからな。」
まだ冷える夕方の川べりで真っ裸になりながら汚れた体や服を洗っているケリーがこちらをできるだけ見ないように説明してくれる。一応紳士協定でも結ばれているのか、それとも女子から総スカンを食らうのが怖いのか。他の男性諸君もケリーに習って実に紳士的だ。
この、生殖方面にメーターが振り切られていそうな世界観の中では、振り向きたそうにしながら我慢している男子達が何となく微笑ましく思える。
女子は女子でまとまって夕暮れの川べりで体を洗ったり服をゆすいだりしているが、残念ながら私は着替えを持っていない。仕方なしに体を奇麗にするだけにとどめておく。まだ朝晩は冷えるのだ。濡れたままの服を着て一晩過ごせば朝には死体が一つ出来上がってしまう。
私の様子に気が付いた女子グループの一人がケリーに近づき何やら話しかけている。そうするとケリーがこちらを見ないようにしてまた話しかける。
「着替え持って無いんか?エリーは明日も下水仕事受けるんだろう?ただで呉れてやる訳にはいかねぇけどよ、前に護衛部隊で死んだ草人族のおっちゃんが着ていたローブを貸してやるよ。」
と話をつけてくれた少女にバックから取り出したローブを渡してくれる。
「遠慮なんかすんなよ。どうせ泊まる場所もねぇんだろうから、このまま俺たちと同じ塒に行くことになんだろ?
そん時服が汚れてたら臭くて気持ちよく眠れねぇからな。替えの服を買うまでは貸しといてやるから、無くしたり血で汚したりすんなよ?」
「わかった。遠慮なく借りるわ。ありがとう。というか、塒まで都合してくれるとは思っていなかったけど。」
「塒って言っても大したもんじゃねぇよ。ギルドが都合つけてくれている、掘っ立て小屋よりはましな古い修道院の跡地なんだ。雨漏りはするし隙間風は吹いてくるけどみんなで固まって寝る分には十分さ。
昔はそこで孤児院ってのをやっていたみたいだけどな。今じゃもっとましな建物立ててそこで孤児院をやっているって話でね。
俺たちのように自分の力で生きていく意思のある奴らにギルドが余った建物を貸してくれているって訳だ。
おかげで宿代で頭を痛める心配はないし、金も早くたまるって寸法さ。」
私が考えていたよりもギルドは暖かい組織だったのかもしれない。ただ、世の中の常識が大きく生殖行動上位に傾いているだけで。
自らを助けるものをギルドは見捨てないって事だろうか。
兎に角変なプライドなんかを出して断るって手はないわね。ここは素直にお仲間に入れてもらうことにして着替えと洗濯を終え、皆と共にその塒とやらに向かう。
持参の貫頭衣よりも少し大きめのローブに袖を通して、まだ湿っている帯を締め付ける。もとより下着は履いていないから、貫頭衣を着ているときとあんまり感覚は変わらないけど、何となく下半身が心細い気がする。
大風が吹いたら恥ずかしいことになりそうで気持ち歩幅も小さめになってしまう。いい歳をして今更なんだけども、肉体年齢的には花も恥じらう年頃だしね。たまにはこういうのもいいかもしれない。
油断すると新しい扉を開いてしまいそうでちょっとだけ怖いけど。
心の中で一人漫才をしながら皆についていくが、どうやらどこにも寄り道をせずにまっすぐ塒とやらに向かうらしい
仲間たちの様子を見ていると、日が沈んだ後もまだやっている屋台で夕食を仕入れている者は一人もいない。もしかしたら1日昼食の1食だけなのかな。塒には昔から使っていた井戸がまだ使えるらしく、飲み水に困るようなことはないようだ。
しかし夕食抜きか。この世界に来てから1日2食にはとうの昔に慣れたけど。朝は歩き詰めて、午後は下水掃除。昼にはお腹一杯に詰め込んだはずの胃袋は、すでに空っぽで塒に着く前からキュウキュウと不平を鳴らし始めている。
1日1食か……。これは少々失敗したかもしれない。
これなら道中でもやっていたように、どこぞで野宿した方が気が楽だったかも。かと言って今更集団から離脱するのは印象が悪いだろうし、今後短い間だろうけど仕事上の人間関係を損なうことになりかねない。
自分一人だけ夕食を食べてたら咎められる訳ではないだろうけど、同じ集団に属しているのに一人だけ目立つ行動をとるのはあんまりよろしくない。出る杭は打たれるのだ。ひょんなことから誤解が深刻な対立に発展し取り返しのつかない事態を招くこともある。やるのなら、もう少しお互いが分かり合ってからの方がいい。
それに今の私は、着替え一つなくケリーにローブを借りている分際だ。無駄な出費はできるだけ控えて早めに着替えを手に入れて、ローブを返すことが先決だろう。今日の半日の報酬は銅貨7枚。手持ちは銅貨換算で10枚。約三千円くらいか。
現代社会とは違って布製品は値が張る。古着とて、大して稼げない見習い冒険者ではそうそう気軽に手が出るものではない。おそらく麻製で穴あきの襤褸の服でも銅貨で30枚はするだろう。この調子で下水仕事で稼げば数日で手が届くはずだが、できれば安物でもいいから先に武器をそろえたい。
できるだけ早めにレベルを上げて、ソロで下水を潜り駆除仕事をできるようになっておきたいのだ。そうすれば短期間のうちに正式登録まで漕ぎつけられる。結局今日の仕事では一匹も始末できなかった。掃除グループで泥掬いを一生懸命振るっていたからね。心強い我が相棒の、先のとがった棒切れの出番は今回はお預けだ。
空腹をこらえつつ、女子グループで身を寄せ合いながら寝床で横になり考えをまとめる。寒さから逃げる為か背中から抱きしめてくる両腕のお陰で背中とお腹が暖かい。私も目の前の女の子の背中に抱き着きお互いを温め合う。うん、心も温まるね、これ。
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