第2話:出逢い

【縺、縺九∪縺医◆】

あと一段。

鳥居を目の前に足が動かない。

先程のが自分の足を掴んでいるということ、ナニカが自分を後ろへと引っ張っていること。

ズルズルと足が自分の意思に反してズレてゆく。

この高さから落ちたら、確実に死ぬ。

つま先が段差から落ちかけ、どうしようも出来ず衝撃に備え目を瞑った、その瞬間。

【花さんっ!】

耳に届いた誰かの叫ぶ声と、前方に引かれる体。

すぐに硬い地面に体が打ち付けられ息が止まりかける。

『いっ……た、何が』

体の痛みを感じながらも、薄らと目を開ければ石畳いしだたみの上。

自分の足が向いている方に顔を向ければ、心臓が縮み上がってしまう。

『ひっ……』

鳥居の前で激しく体を揺らしながら大きな口を開けている化け物。

この世のモノとは思えない光景に夢だと思いたいが痛む体が現実と告げてくる。

慌てて立ち上がれば化け物の様子を見ながらも距離を取る。

『何あれ、どういうこと……待って、状況が分からない』

目の前の化け物は何故か鳥居を越えては来ない。

それに加え化け物の口は動いているのに、不思議なことにのだ。

『神聖な場所、だからかな…』

個人的趣味の範囲でしか知識は無いが、なんとなくそう感じた。

あの化け物は不浄ふじょうな存在で、鳥居を境に神聖な地は守られているのではないかと。

迷信じみた考えだが、今は何故か納得できてしまった。

すると、背後で小石を踏みしめる足音が聞こえ警戒しながら視線を向ける。

「おや、見掛けないお嬢さんですね。こんばんは」

『こ、こんばんは』

酷く警戒して振り向いたものの、そこに立っていたのは穏やかな笑みを浮かべた男性だった。

シルバーのふわふわとした長髪をハーフアップにし、シャツにベストというしっかりとした服装をしているにも関わらず上着をはだけさせているのが印象的だ。

ゆっくりと近づいて来たその男性は、自分の様子がおかしいことに気付いたのか不思議そうに口を開く。

「顔色が悪いようですが、どうかされました?」

腰を曲げ顎に手を当てながら顔を覗き込まれて、思わず距離感の近さに後退あとずさる。

しかし、すぐに化け物の存在を思い出せばハッとして鳥居を振り返るが、そこにはもう何も居なかった。

『さっきまでそこに…』

そう言いかけて言葉を止める。

おかしなものが居たのだと言って信じられないだろう、という考えが浮かんだからだ。

私自身の頭がおかしいと、冷たい目で見られるだけだろう。

人間は、信じない生き物だから。

これまでも、ずっとそうであったから。

鞄の紐をぎゅっと握り締めれば、男性に向き直り無理矢理笑みを浮かべる。

『すみません、なんでもありません。ご心配ありがとうございますっ』

一度お辞儀をすれば困り顔の男性は「あの…」と口を開いた為、首を傾げてしまう。

「お節介だったらすみません。ですが、私に出来ることであればお力になりますよ」

『お節介だなんて、そんな! ただ、少し変なモノが見えてしまって……』

「変なものとは?」

首を傾げ、それでもどこか興味深そうに尋ねられ詳細を話す。

学校からの帰り道であったこと。

奇妙な存在が追いかけてきたこと。

必死にここへ逃げ込んだこと。

非現実的すぎる話だと自分でも思うが、とにかく聞いて欲しかったのかもしれない。

大まかにだがことの経緯を話終えるまで、目の前の男性は静かに聞いてくれていた。

「ふむ……なるほど、妙な物に襲われてからヘンな物が見えてしまうと……」

『えっ』

あまりにもすんなり自分の話を受け入れられ、思わず間抜けな声が出てしまった。

その声を聞いてか、眼鏡の奥の目を丸くしこちらを見た男性に慌てて弁解する。

『すみません、意外にもすんなり受け入れられてて、驚いたと言いますかなんと言うか…』

「まぁ、私も彼らとではありますからね」

そう目の前から返ってきた言葉に思わず思考も動作も止まってしまう。

似た存在、と彼は言った。

しかしながら、どこからどう見ても彼は人間であり先程の化け物に似ても似つかない。

まさか擬態ぎたいしているとか、そういうレベルの話だというのか。

もしかしてこれは、詰みではないか…?

頭の中でぐるぐると彼の言葉の意味、これから自分は死ぬかもしれないという考えが渦巻く中、硬直してしまっていた私を見かねてか否定するよう口を開いた。

「すみません、誤解させてしまいましたね。似た存在とは言いましたが、先程貴女が出会ったような野蛮やばんな奴らとは同じではありませんから、安心して下さい」

申し訳なさそうにだが穏やかな笑みを浮かべて話す姿に少し安堵した。

そう考えれば確かに、人を襲うならこうも長々と会話せずにすぐにでも襲ってしまえるだろう。

なにせ自分はなのだから。

警戒してしまっていたからだろうか、いつの間にか距離が開いてしまっていた。

お互いの間を埋めるよう、少しだけ近寄れば疑問点を投げかけてみる。

『あの、似た存在というのは?』

「すみません、その前にお名前を伺っても?」

『あっ』

相手から言われて、今の今までお互いに名乗り合わずに話していたことに気づいた。

はっとして自分の身を正せば、改めて彼に向き合い自己紹介をする。

『申し遅れました。私は志倉しくら はなと言います』

「ありがとうございます、花さん。私は煙邏えんらと申します」

煙邏という名前を聞き、第一印象が浮世離うきよばなれした名前だと感じたが口には出さない。

今更ながら、夜に神社で知り合ったばかりの男性と一対一で話しているとはおかしな状況だと思う。

しかし不思議と恐怖は無い。

先程あんな経験をしたからかもしれないが…。

「話をさえぎってしまいましたね。似た存在、というのがどういう意味か、という話でしたね」

『あ、そうです』

「では、花さんは妖怪という存在をご存知ですか?」

『妖怪。あの、文献に載ってるやつですか?河童かっぱとか、ろくろ首とか…』

「ええ、それです。私もその妖怪なんです」

『……え?』

にこやかに言う煙邏とは正反対に、その一言を発するだけで精一杯だった。

妖怪と言えば、それこそもっと気味悪かったり怖い容姿だったりすると思うのだが。

有名な書物の絵でも怖いものが多かったイメージだ。

煙々羅えんえんらという妖怪をご存知ですか?」

『いえ、分からないです』

「では一つ、私に触れてみて頂けますか?」

目の前に差し出され煙邏の手。

触れてどうなるのだろうと思いながらも、黒い手袋をした手に自分の手を重ねようとする。

触れるその瞬間、自分の手がすり抜けていき目を見開く。

『えっ…!?』

明らかに貫通していた。

もう一度同じように相手に触れようとするが、またしても煙のように触れることが出来ない。

現実とは思えない光景に、必死に相手の手に触れようと奮闘ふんとうしていれば、頭上からくすりと笑う声が聞こえ我に返る。

ムキになりすぎてしまっていた。

子供すぎた行動に恥ずかしさを覚え、頬が熱くなるのが分かった。

『す、すみません。ついつい夢中になりすぎちゃいました』

私が何度も手を貫通させたせいで、手首から先が煙が舞うように消えてしまっている。

戻らなかったらどうしようかと思うが、その心配も無く煙が集まってきて元の手に戻った。

開いたり閉じたり、目の前で普通に動く煙邏の手を眺めながら口を開く。

『どういう仕組みですか?』

「これが私の能力……いえ、と言ったほうが適切ですね。私は元々でして、自分の体・触れている物や人を自在に煙にすることが出来るんですよ」

『へぇ、そういう妖怪ということですか』

「はい」

煙邏からの説明を、頷きながら聞けば納得する。

第三者が居れば、非現実的と言われてしまうだろうが、自分はそういう存在も居るだろうとは思っていたゆえに受け入れやすかった。

流石に追いかけられたのは怖すぎたが。

『妖怪って実際に居るんですね。空想上の存在かと思っていました。あと、見た目もすごく人間っぽくて驚きました』

「普段は目に見えないだけで、実は近くに居るものですよ。妖怪も、先程のようなモノ達も」

『そうなんですね』

目に見えないだけで、実は近くに居るというのを改めて想像すると、煙邏はともかくあの化け物は見えなくて良かったと苦笑いを浮かべてしまう。

あんなものが街中に居たら大絶叫だろう。

じゃあどうして自分には見えたのだろうか。

ふとそんな疑問が浮かんだが、と言っていた為見えてしまうこともあるのかもしれないと、深くは追求しなかった。

そんな時、鞄から伝わる振動を感じ取り中に入れていたiPhoneを探しだす。

使い始めて三年程になるiPhoneの画面を見れば、数少ない友人の名前が表示されていた。

そういえば夜に電話するとの連絡が入っていたのを思い出す。

着信が途切れ、画面に表示された現在時刻は二十一時丁度。

『え、もうこんな時間っ!?』

驚いた勢いで出した声は思いのほか大きく、目の前で煙邏がびくりと肩を揺らしたのが見えた。

心做こころなしか静寂せいじゃくが広がるあたりに反響した気もする。

『すみません、時間が時間なので……私はそろそろ帰ります』

煙邏に会釈えしゃくをすれば、iPhoneのライトをつけて足元が見えるよう照らす。

早足で階段まで歩いて行くが予想以上に暗く、木々に囲まれた階段に足がすくむ。

風が流れ、木々がざわざわと音を立てて揺れるだけでも不気味さが増す。

「よろしければ、近くまで送りましょうか?」

いつの間にか隣から声を掛けられ、そのとても有難い提案に顔を輝かせてしまう。

これが今日知り合ったばかりのだったなら断っていた。

『すみません、お願いします』

煙邏の物腰柔らかい雰囲気や、人間じゃなくても人間より物分りが良さそうという思いからだろう。

煙邏からの提案にお願いをすれば、快く引き受けてくれた。

化け物に追われたこともあり心細かった為、とても有難い。

肌寒い夜道、静まり返った田んぼ道から車や人が多くなる道。

お互いのことや、本来妖が住んでいる場所のこと等、たわいもない会話をしながら歩き無事に自宅へと帰ることが出来たのだった。

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