7

だから俺は、首を横に振った。

 要さんは俺の思考を呼んだみたいに、きれいに生えそろった睫毛を伏せた。

「俺が、ずっと待っていられるって言っても?」

 俺は、今度は首を縦に振った。

 俺は、兄貴に抱かれるために三年間待った。それと同じ行為を他の人にさせる気には到底なれなかった。

 だって、振り向いてくれる確証がない人をずっと待ち続けるなんてどれだけ辛いことか、俺自身がよく知っている。だからそんなことは、させられない。絶対に。

「……そう。」

 また、俺の思考を呼んだみたいな反応。

 要さんは床から立ち上がり、俺の隣に座り直した。彼の肩は本当に薄くなってしまっていて、俺の半分くらいの厚さしかないのではないかと思った。

 長い沈黙が落ちた。

 俺は要さんを傷つけない言葉を探していた。そんなものがこの世にあるのかも知らないまま、懸命に頭の中の言葉が詰まった箱をひっくり返していた。

 要さんはそんなことまで承知の顔で、ごく薄い笑みを唇に張り付けた。それはやはり、とてもやさしい表情だった。

「そうだよね。ここで、分かった付き合おう、って言うような人だったら、俺はこんなに好きにならなかった。」

 きみは真面目だし、俺が好きなのはその真面目なきみだし、と、要さんは低く言いながら俺の肩を抱いた。そしてまた、短いキス。

 これで最後、と、お互い分かりながら、あと一度だけ、もう一度だけ、と唇を重ね続けてしまう。

 粘膜接触の数で、好きになる人が決まるシステムだったらいいのに。そんなふうに、自分で好きになる人を決められたらいいのに、なんで人間の身体も心もそうやってできていないのだろうか。

「さいご。」

 掠れた声で囁いて、要さんは俺の目をちらりと見あげた。俺も同じように、さいご、と呟いた。数秒間、無言の間が空いた。

 そして、最後の口づけは少しだけ長く。お互いの体温や呼吸がぴたりと重なるまで。

 さようなら、と俺は、腕の中のきれいな人に向けて行った。

 うん、さようなら、と、彼も俺の背中に回した手に力を込めて返事をしてくれた。

 俺は一人、振り返らないでマンションを出る。

 よく晴れた朝だった。今日一日をいかにも幸福に晴れ晴れと送れそうな、真っ青な空だった。

 靴下だけはいた自分の足を見おろし、なんだかおかしくなる。どっかでサンダルでも買って帰ろう。誰もいない、もう俺しかいないあの家へ、今ならまともな顔をして帰れる気がしていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

兄貴の本命 美里 @minori070830

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る