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そしてまた、数秒の沈黙。
俺がなにか言葉を捜そうと視線をさまよわせていると、自分のトレーの上をすっかり空っぽにした梓ちゃんが、俺にちょいちょいと手招きをした。
「来てよ。」
「え、どこに?」
「うち。要もいるよ。要、最近仕事もあんま行ってない。」
「そういえば、要さんの仕事ってなに?」
反射みたいに訊いてから、俺は本当に要さんのことをなにも知らないんだな、と思った。セックスはしたのに、まともな会話はしていない。
俺の狂人疑惑に要さんを散々付き合わせたのに、あの人の話をまるで聞いていないから、あの人が今何を考えているのか俺には少しも分からない。
「看護師。体調悪いってシフト減らしてる。恋煩いもここまで来たら立派な病気ね。」
「恋煩いって……。」
ここまでストレートに、要さんから俺に向いている恋情を語られるのは、違和感があった。要さんが俺に好意を持ってくれていることは分かる。あんなにも俺のつまらない話を真剣に聞いてくれた人なのだから。
けれどそれが恋情かと問われると、俺には分からない。こうやって梓ちゃんに断言されても、頷くことができない。
「違うと思うなら、来てよ。確認して。」
梓ちゃんからだんだん強気な仮面がはがれて行く。その下から見えるのは、必死な女の子の顔だった。
この子は本当に要さんが好きで、彼女の世界には要さんしかいなくて、その要さんが精神的にぐらついてるのがとても怖いのだろう。
俺にもその感覚は分かった。母親がだんだん家に帰らなくなってきたとき、俺は今の梓ちゃんより少し年下だった。中学生の息子を置いて外泊を繰り返したあの人は、今思えばうつ病かなにかだったのだと思う。自分が頼りにしていた人が、どんどん弱っていって知らない赤の他人みたいになっていくのは、とても怖いことだ。
だからだと思う。俺は、梓ちゃんについて大学近くのマクドナルドを出た。前に一度ちらっと顔を合わせたことのある女子高生の、家に来て、なんて、断るのが普通だと分かってはいるのに。
俺の半歩前を歩いて店を出た梓ちゃんは、昼間の暑さがまだたっぷり残っている夕空を見上げた後、くるりと俺を振り向いた。
長い栗色の髪が、無風の空気の中を踊る。
「要はね、好きですって、それだけのことが言えないひとなの。」
ぽつりと彼女が言う。
さっきまでのストレートで強気な発言が嘘みたいに、心細げな口調だった。白い小さな顔には、ちょっとでも対応を間違えたら粉々に壊してしまいそうな、繊細で寂しげな表情が浮かんでいる。
俺は自分の言葉の下手さは分かっていたから、黙って彼女の隣に並んだ。
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