狂人論

「あんた、家で一人でいるときでもまともですか。」

 コーヒーハウスの白いスツールに腰を下し、開口一番問うと、要さんはさすがにちょっと驚いたように瞬きをした。

 長い睫毛がひらひらと、初夏の日差しを跳ね返して光る。

 時候の挨拶とか、世間話とか、近況報告とか、そんなことをする余裕がないくらい、とにかくそれが訊きたかった。そのために、要さんをせっせと探してなんとかこうやって会うこともできた。

 俺と兄貴とは、共通の知り合いは少ない。五歳の年の差があって、重なって通ったのが小学校だけだからだろうか。その少ない知り合いから、ほとんど点線みたいな線を辿って、なんとか要さんの連絡先を手に入れたのが昨日。

 彼が手錠につながれていた晩春から、ひと月くらいが経っていた。

「俺は今でもまともなつもりだけどね。」

と、要さんはおどけたように言った、

 けれどすぐに俺の目が真剣なことに気が付いたらしい。バカな質問でも、俺は真面目で真剣だった。とても。

 そうだねぇ、と小さく呟いた要さんは、白いコーヒーカップを手の中で弄ぶ。

 要さんの最寄駅の近くにあるコーヒーショップは、窓が大きくて外からの日差しがいっぱいに入る。水の代わりに光を溜めた水槽に入れられたみたいだ。日曜日のターミナル駅前はひどい人ごみで、尚更観賞用の魚になった気分だ、

「俺、一人で家にいるってことがまずないんだよね、ほとんど。」

 ゆっくりと、言うべきことを考えながらだろう、要さんが口を開いた、

「男ですか?」

 問えば彼は、虚をつかれたように一瞬呼吸まで止めた後、肺に溜まった空気を吐き出すように笑った

「え? ああ、違うよ。親戚の女の子を預かってる。いろいろあってね。」

「じゃあ、家で一人でいるときじゃなくてもいいです。とにかく、一人でいる時です。」

 そうだねぇ、とまた呟いた要さんは、今度はすぐに返事をしてくれた。

「俺はもともとちょっとおかしいみたい。その親戚の子にも言われるよ。だから、もしかしたら一人でいる時の俺はまともなんじゃないかって思ったことはあるんだ。つまり、他人と話しているときの俺はいかれてても、一人で黙ってるときはまともなのかもって。」

 今度は俺が、そうですか、と呟く番だった。今はなにも言えないと思った。今単純に彼の言葉への感想なんか言うべきじゃなくて、一回家に持ち帰ってよく考えてからじゃないとなにも言いたくなかったし、言ってはいけない気がした。

 彼は多分、俺が期待していたよりもずっと、身体の深いところから返事をしてくれていた。ちょっと肌の表面ではなくて、その奥の肉や内臓から。だから、よく考えないで適当な返事をしたら、身体の中の脆い部分に傷をつけてしまう気がした。

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