3

「ねえ、そこの鍵取ってくれない?」

兄貴の本命は、ベッドの足もとに置かれたちゃちな鍵を指さした。

「……届きますよね、自分でも。」

でかいとは言ってもベッドの枕元から足もとだ。両手を伸ばせば余裕で届く位置にその鍵はあった。なんなら手を伸ばせば届く位置にわざわざおいている感じすらした。さらに言えば、兄貴の本命の腕を拘束する手錠は安っぽいアルミ製で、引っ張れば簡単に壊して腕を抜くこともできそうだった。

「まあ、届くけど。」

兄貴の本命は、右頬にさらさらと落ちる黒髪をうるさそうに払いのけながら、ちょっとだけ唇を歪めた。その表情は、俺がこれまで見てきたエロ本やAVに出てくるどの女よりエロかった。ただ、唇の端を歪めただけなのに、不思議なくらい。

「でも、申し訳ないでしょ、自分ではずしたらさ。」

「……申し訳ない?」

「そう。お遊びなんだから、ルールは守らないとね。」

男の言う意味が、俺にはさっぱり分からなかった。

 お遊びって、なに? ルールって、どんな?

疑問符は頭の中にべたべた張りついていたけれど、俺はともかくベッドの上に置かれた薄っぺらい鍵を取り上げ、兄貴の本命に手渡した。

すると彼は鍵を受けとろうとはせずに、外して、と手錠を細い顎で示した。

 なんとなく、嫌だった。俺もそのよく分らないお遊びに巻き込まれる気がして。

 だから俺は頑なに首を振って、兄貴の本命の掌に手錠の鍵をねじ込んだ。

「きみは頭がいいね。」

兄貴の本命はなぜだかちょっと楽しげだった。

 俺は黙って、そのまま部屋を出ようとした。この妙に妖艶な男の人と、これ以上関わりたくはなかった。

 けれど男の人は、今日の日差しみたいに溶けそうな笑顔のまま、俺の後をついて来た。

「きみ、実秋の弟?」

「……そうですけど。」

「名前は?」

「夏来。」

「そう。俺は要。」

 俺は意図してそこで会話を終わらせた。

具体的には、自分の部屋に入ってドアをぴしゃりと閉めたのだ。とにかく、兄貴が戻って来る前にこの家を出たかった。

 大学用のリュックサックを置いて、普段使いのメッセンジャーを肩に引っかける。部屋のドアを開けると、兄貴の本命はまだそこに立っていた。

「連れてってくんない? 駅まででいいから。」

「……いや、ちょっと。」

「道、よく分らないんだよね。」

「グーグルに訊いて下さい。」

「それはルール違反。」

「そのルールって、なんすか。」

「監禁ごっこの恋愛ごっこ。」

声だけ爽やかな兄貴の本命は、ばたばたと家を出る俺に本当について来た。

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