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 少女の叫び声が聞こえ、浩は涙をぬぐい、通りの方を見た。空色のワンピースが駆け寄って来ている。

 夏実は浩につかみかかると、絶叫の目で睨んだ。

「あんた、何したあ? あいつは? お兄ちゃんはどこ?」

 燃える家を指す浩の腕が、慟哭するように震えた。

 夏実はきゃあきゃあ家へ駆けた。

「お兄ちゃん」

 と呼ぶ叫びが、悲鳴と交互に響いた。

 浩も叫び声をあげて立ち上がり、転びかけながら突進した。夏実が戸を開けて、燃える家へ入ろうとしている。必死で後ろから抱き留め、引き戻した。

「おれが行くけん」

 と怒鳴って、夏実の細い体を草原へ投げ飛ばした。

 壊れた人形のように足を曲げ、横たわった少女の白い腿がピンクに染まり、剥き出しの目に映る炎がこの世のものとは思えぬほど痛美に燃えた。その刹那、浩の胸に封印されていた『描きたい』思いが沸騰した。

 描かなくちゃ・・

 とその思いは、心の奥底から胸を突き裂いて奔出した。

 おれも正太のように描かなくちゃ・・誰に何と言われようと、たとえ千の剣で胸を突かれても、人間の心の本当を描かなくちゃ・・こんな卑怯なおれのために大切な絵を焼いちまった正太の心を、その正太の命を救うために炎に飛び込もうとしている夏実の愛を、おれも描かなくちゃ・・昼にも輝く美しい星を、死んでも描かなくちゃ・・

 浩は今一度叫んだ。

「おれが行くけん」

 振り返って、夏実が開けた戸の内を見ると、少年が倒れているのが熱風渦巻く炎のすき間に見え隠れしている。恐ろしい炎の軍勢がごうごう襲いかかっている。それは浩の不甲斐なさが引き起こした戦火に違いなかった。ちょっとでも逡巡したら進めなくなるという直感が、強い電流のように背筋を走った。大声を発して飛び込んでいた。灼熱に撃たれながら正太の上へと倒れ込み、両足をつかんで死に物狂いで引きずった。黄色く揺れる悪魔たちは、四方八方からナイフのような触手を伸ばし、重い有毒ガスも顔に絡めて、地獄へ引きずり込もうとする。業火があまたの毒蛇のように足にまとわり、咬みついた。正太の黄色いシャツにも浩の服にも、次々極熱が乗り移って来る。その痛みと戦慄に叫泣しながらも、浩は正太を引きずり続けた。燃える家を出ても、悪魔たちは呪い殺すように憑りついていた。狂ったように引きずる浩と同じように泣き叫ぶ少女の声が響いて、空色の何かが二人の炎を叩いた。叩いて、叩いて、叩いて、叩き潰した。浩が力尽きて倒れ、傍らを見ると、白い下着姿の夏実が悲鳴をあげ続けている。

「お兄ちゃん、死んじゃだめ」

 と繰り返して、正太の肩を揺さぶった。

 だけど息もしない兄を見て、えーんえーんと声をあげて泣いた。

 正太の頭の横には、変色したワンピースが落ちていた。夏実は脱いだ服で正太と浩にまとわりつく炎を叩き消したのだ。浩は夏実のまぶしい肌に心を奪われながら上体を起こした。浩の首も胸も背も腕も足も火傷が骨身に沁みて、意識が薄れそうだった。脳や肺も鉛が詰まったかのように重かった。それでも浩は、正太の口を指でこじ開け、そこに唇を当てて、懸命に息を吹き込んだ。何度も、何度も、何度も。

「正太、おまえはまた、真実の絵を描かんといかんとよ。戻ってこんね。そしてもう一度、おれたちの本当の姿を描いてくれんね」

 泣声で訴えても、正太はぴくりとも動かない。消防車のサイレンが聞こえてきて、浩が見まわすと、近所の人たちが寄って来るのが涙の向うに見えた。泣くばかりの夏実に、浩は焦げ色のついたワンピースを着せようと手渡した。

「あっ、お兄ちゃん」

 ぼろぼろの服が夏実の手から落ちた。

 浩が横を見ると、半焼けの正太が上体を起こしている。

「お、おいは、また、かえる、かくけん」

 と、しゃがれ声が焼けただれた首から絞り出された。

「えっ?」

 焼け縮れた髪に負けぬくらい顔をしわくちゃにして、正太は笑う。

「おいは、ちゃ、ちゃんと、あの、え、や、やいたけんね」

 正太の後ろでは、彼らの住処が悲鳴をあげて焼け落ちている。

「ちぇっ、ばか、ばか」

 と言う浩の頬を白い手が撃った。

 涙をぬぐって夏実を見ると、大きな赤い目が燃え盛って睨んでいる。

「また筑後川に突き落とすけんね」

 なんて咬みつくように言う。白い頬も桃に染まり、浩の胸を焦がした。

 夏草の上に膝をついたままの三人に、風に乗った火の粉が舞い注いでいた。

「よかよ。よかけん」

 と深い瞳に呑み込まれながら浩は応えた。

 おまえにだったら、何度突き落とされてもよか・・

 と心が叫んでいた。

「ちくしょう、ちくしょう」

 夏実は見開いた目から大粒の涙をぽろぽろ光らせ、浩の胸を拳で殴りだした。

「な、なっちゃん、や、やめんね」

 正太が横から止めようとする。

 浩の赤く腫れた手が震え、そんな正太の焦げたシャツを押した。

 娘の「ちくしょう」が、「ばかあ」の繰り返しに変わった。ほてる若草のような匂いが胸を撃った。

 浩の目もまた熱い涙でくもった。その目をこじ開けるようにして、浩は下着姿のまま殴り続ける夏実を、胸深く焼き付けていた。












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きえろー ピエレ @nozomi22

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