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「あいつのことは好かんけど、あいつの絵は違うとよ」

 まばゆい夕陽を瞳に燃やし、空色のワンピースを着た可愛い鬼女が睨んでいる。

「違うと?」

「あいつの絵は、焼いたらいかんと。きっと、大事なものやけん。あんた、やっぱり悪いやつだったとやね」

「おれは、あちゃっ」

 言い訳しようとした時、右手の指が悲鳴をあげた。マッチの炎が指先に咬みついたのだ。反射的にマッチを放ってしまった。すると黄色い悪魔が草に乗移って、その凶暴な姿を現し、瞬く間に増殖した。乾いた風がそれに拍車をかけた。夏実がきゃあきゃあわめきながら、泥に汚れたスニーカーの裏で悪魔を何匹も踏み潰す。浩も一緒になってわあわあもらしながら踏んだ。左手が少女の右腕の柔肌に触れた時、この前この指が目の前の幼い右胸をつかんだことを生生しく思い出した。するとこの少女がすごく身近な存在に思えてきたのだ。そしてもっと夏実に近づこうと、悪魔を踏み殺しながら前進した。体が触れ合い、胸が燃えて甘く痺れた、揺れる髪の匂いに酔い、荒い吐息を感じ、頬も燃えた。薄汚れた空色のワンピースの胸のすきまから白い下着がちらちら見え、思わず少女の左胸へと右手を伸ばした時、何かが視界の隅を走り、左頬にパンと熱い衝撃が炸裂した。

「火事になったらどうすると?」

 夏実の怒鳴り声が響いた。

「いてえな、この暴力女」

 頬を手の平で押さえながら夏実を睨んだ。

 大きく見開いた少女の瞳から涙がこぼれ出て、夕陽映える頬をほろほろ流れた。そのあまりもの可憐さが、今日も浩の胸をえぐった。何か話さなきゃと思うけど、言葉にできない。

 時を止めて、涙目で睨み合っていた。

 正太が家から飛び出してきた。

「と、とうした?」

 正太の純心に、浩は邪険で逃げた。

「知らん」

 叩かれたせいなのか、頬がほてっていた。

 夏実がスケッチブックをひろって、兄に渡した。

「こいつは、おまえの友だちなん?」

 と、疑惑の口調で聞く。

 正太は照れ笑いしながら、

「おいか、このあおそらに、ほし、みつけたら、おいと、ひ、ひろしくん、は、ほんとうの、と、ともたち、に、なると」

 夏実は涙を拭かぬまま、もう一度浩を睨んだ。それからまた兄を見た。

「ばかと一緒にいたら、あたしまでおかしくなるわ」

 背を向けて、通りの方へ歩き出した。

 浩も磁力に引かれるように後を追った。夏実が手の甲で涙をぬぐうのが見えた。気配を感じて振り向くと、正太も浩のすぐ後ろを付いて来ていた。    

「ばか、おまえは、もう、帰らんね」

 と、歩きながら浩は注意した。

「か、かえる?」

 正太はなおも付いてくる。

 浩は立ち止まって、左手でスケッチブックを奪い、右手を正太の肩に置いた。

「だって、おまえには、やることがあるやんね。おまえ、浩正太星を見つけなきゃいかんとやろ? 見つけんかったら、おれたち、友だちにはなれんとやけんね」

「あっ」 

 正太はきびすを返して帰って行った。

 浩が振り返ると、腕組みをした夏実が目の前に仁王立ち。

「あんたこそ、消えろ」

 と一刀両断、斬捨御免。

「へっ?」

 夏実は右手でスケッチブックを奪い、左手を浩の肩に置いた。

「だって、あんたにも、やることがあるやんね。あんた、筑後川に沈んで、魚の餌にならんといかんとやろ? 今すぐ消えんかったら、警察に言って、ストーカーと火付けの罪で、死刑にしてもらうけんね」

 鮮鮮と睨みつける瞳が、突風に乱れて匂い立つ巻き髪に揺れた。










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