第02話 『Double』
とある天気のいい昼休み。
私立
午後一の授業が「体育」であり、動きやすい格好に着替えていることから、ダンス部に属する生徒が
「マサオミおまえ、ホント冗談は顔だけにしといてくれよなー」
「お前見てると、世界が不公平なんだって実感するわ」
盛り上がっているのは当然、匡臣がそれらの高難易度技をあっさり習得し、再現して見せているからだ。
長身痩躯の匡臣が一つ一つの
ダンスとはとても呼べないが、身体能力の高さをアピールするという点ではなんの問題もない。
基本的なアイソレーションはもちろん、受けのいいブレイクの
教えている小川という生徒本人がかなりの時間をかけてやっと習得できたウィンドミルや
「そんなことないよ。えーっと……」
だがそういわれた匡臣は反応に困っている。
ダンスに限らず体を使ってする事であれば、実際に自分の目で見れば再現することはそう難しくないほどの身体能力とセンスに恵まれている。
根っからの陽キャでもあり、わいわいみんなと仲良くすることもまるで苦にはならない。
だがこんな風に褒められたり、半ば以上呆れられたりしたときに気の利いた返しをするのは、肉体派ではなく知性派である
『ごめん兄ちゃん、お願い!』
【任せておけ】
よって無理はせず、即座に
「……教えてもらった動き自体を再現できたからって、それだけじゃ「ダンス」じゃないだろ。
入れ替わった匡賢がさらりとそう返す。
ダンスとは音楽に乗るもの。
好きな曲に合わせて己の身体を駆使し、その曲を聞いて己の内側に生まれた
教えてもらったダンスとはなにかを理解し、お世辞ではなく
実際ここで携帯からどんな曲をかけて実際に踊っても、一つ一つの技の精度はともかく、
そしてストリート・ダンスとは「カッコいい」ことがすべてなのだ。
「
「いやもう、やっちゃんがそういう音拾えているのをすでに理解できている時点で、大部分の経験者置いてけぼりでーっす!」
級友たちが呆れたような、だが毒のない感嘆を表明している。
匡賢に持ち上げられた「やっちゃん」としてみれば別に嫌味ではないし、嘘でもないので悪い気はしない。
妙にしらけることなく、「踊れる」皆が互いに
【あとは任せる】
『ごめん助かった!』
そして体を操ることは匡臣ほど得意ではない匡賢はあっさり入れ替わる。
こういう場は基本的に陽キャの匡臣に任せておけば間違いがないのだ。
つまり
もともと二卵性双生児であった兄『
戸籍上は弟であった匡臣となってはいるものの、その身体が本当はどっちだったかなど、当の本人たちである匡臣にも匡賢にも今はもうわからない。
両親と自分たちの
意識が戻って最初に言葉を発したのが匡臣の方だったというだけで、「奇跡的に助かったのは弟一人だけ」だとみなされたに過ぎない。
自分たちがそんな状態にある事を口外すれば、よくて精神病院、悪ければ実験体として扱われかねないことを、幼いながらもその生まれから二人は理解していた。
だからこそ、それからは運よく生き残った弟の方――磐座匡臣として生きてきたのである。
幸い資産は充分に残されており、叔母――父親の妹が引き取ってよくしてくれたので、経済的な不自由を経験することなく今まで過ごせてきているし、高校入学を契機に一人暮らしを始めてもいる状況だ。
兄の
冷静沈着な知性派。
実際に学問方面は圧倒的に長けており、御陵学院の外部生編入試験や、全国模試での結果はすべて匡賢によるものだ。
物静かで物怖じはしないが基本的に人付き合いを苦手としており、身体の支配の大部分を弟である匡臣に任せている。
人付き合いが苦手なだけで弁は達者であり、その気になればああ言えばこう言う系のめんどくささを発揮することもある。
弟の
闊達自在な肉体派。
先のダンスを含めて常人離れした身体制御はすべて匡臣によるものだ。
事故の影響か、最終的に頼れるものは自分の身体だけだと無意識に思い込んでおり、部活動などには参加しない割には、朝の走り込みをはじめとした基礎身体能力の向上を怠ったことはない。
陽気で人付き合いも上手く、男女問わずだれとでも仲良くなれるため兄の匡賢は身体の支配のほとんどを匡臣に任せている。
ただ本能派なので理論武装を苦手としており、気の利いた返しが必要な時や数少ない苦手な相手と会話する際には、すぐに匡賢に頼る癖がついている。
そういう役割分担が成立しているからこその、文武両道を体現したかのような『完璧超人』なのだ。
本人たちにも、なにがどうなって今の状況になっているのかはいまだ理解できていない。
とはいえ食べていくのに困っているわけでもなく、両親を失ったのは悲しくても常にお互いがいたので悲観的になることなく、これまですくすくと成長して来ていたのだ。
今まではこれと言って困ることもなかったので、お互いの才能を活かして「できる男」としての人生を満喫すればいいと漠然と思っていた。
高校から私立である御陵学院へ編入したことも、それが理由の
だが高校生となってからわずか一ヶ月に満たないうちに、匡賢も匡臣も自分たちの考えがいかに浅はかで考えなしであったのかを思い知っている。
「つーかマサオミ、ダンス教えてってこたダンス部入るの?」
「まさか相沢さん狙い?」
探り半分、からかい半分でヤローどもが聞いてくる。
特にダンス部に所属している「やっちゃん」をはじめとした男子生徒は三大有名人の一人である『相沢凜』に惚れている、もしくは惚れていた者がほとんどだ。
まあそのほとんどのうちのほとんどが、すでに「ごめんなさい」をされ済みではあるのだが。
だからと言ってその想い人に「彼氏」ができていない以上、あっさりと「次」へ行けるものでもないらしい。
「そんなんじゃないよ」
それらの声にそう答えて匡臣は笑うが、当然嘘である。
ダンスの技を教えてもらったのは、もちろんダンス部に所属している相沢凜に良いところを見せたかったからだ。
同じ特進課であるからには、男女の違いこそあれ次の授業は同じ「体育」であり、女生徒たちも体操着に着替えてこの体育館へと移動している。
どこに誰がいるかまでは把握してはいないが、匡臣たちが見えるどこかに、話題に上がっている「相沢凜」がいることはまず間違いない。
それは心身の年齢ではなく、誰にいつ出逢うかで目覚めるものであったらしい。
匡臣はまんまと話題の二大美女の一方、『難攻不落のギャル』と言われる相沢凜にいろいろあって惚れてしまっているのである。
となると「二重人格」は事程左様に厄介だ。
本当の内心まで筒抜けというわけではないが、一方が誰を見てどんな反応をしているかなど手に取るように把握できる。
身体の主導権を持っていない方も眠っているわけはなく、不思議なことに眠るのも起きるのもほとんど同時で、起きている間は互いの意識は常に共有しているのだ。
自分が誰が好きなのかが互いにバレる程度であればまだ我慢できる。
だがどちらが身体の主導権を持っていようがすべての経験を共有してしまう以上、本来想い人との二人だけの体験とその記憶を、いやがおうにも共有してしまうというとんでもない弊害がある事に、人を好きになってはじめて思い至ったのは間抜けとしか言えまい。
ゆえに本来の性格からすれば好きになったら一直線、当たって砕けろ派な匡臣であっても、いまだ想い人にその想いを告げることすらできなくて鬱屈した日々を送っているというわけだ。
「残念。イワクラ君がダンス部に入ってくれたら私は嬉しいけどなー」
「相沢さん!」
などと何度考えてもどうしようもないことをまた考えて溜息をついていると、その想い人から突然声をかけられて匡臣は挙動不審となる。
「そんなビックリしなくてもいいじゃん」
そういってフロア
碧味がかった大きな瞳に覗き込まれ、サラサラな長い金の髪が触れられそうな距離にあるとなれば、高校一年生の未経験男子が虚心でいられるはずもない。
だいたいこの距離まで接近されると、謎のいい匂いがしてそれだけでも充分にキョドってしまうのだ。
「めずらしいね、リンの方から男子に絡むの」
「そーお? だってイワクラ君がダンス部入ってくれたらすごそうじゃん? さっきの見てたっしょ?」
「そりゃそーだけどさー」
凜といつもつるんでいる派手系の女生徒たちが、自然に輪に入ってくる。
いつもの匡臣であれば自分も意識せずにやっていることだが、想い人を前にしてはそうもいかない。
このままでは磐座匡臣としてもイメージを崩しかねないという判断と、話したいが今の自分が話せばひかれるような気がして再び匡賢に助けを求める匡臣である。
『兄ちゃん! 兄ちゃん‼』
【わかったわかった】
実際、身体の支配を入れ替わった瞬間から一切の動揺を示さない素になっている。
わりとすぐに入れ替わっているがゆえに、男どもからすれば何事にも動じないようにしか見えないのだ。
だが女生徒たちは先の一瞬の動揺を見逃してはいない。
それゆえに、今の演技ではない落ち着きようが解せなくもあるのだが。
「相沢さんからの高評価はありがたいけれど、
砂を払いつつ起き上がりながら、至近距離に立っている相沢凜に微笑みながら話しかけるかける
「へ、へえ、そっか……」
だがその瞬間、相沢凜はその身を翻し、一瞬前までの余裕をすべて失っている。
「? リン?」
「どしたの?」
周りの女生徒たちが
辛うじて頬を染めるような事態にはなっていないが、その耳が一瞬で赤く染まっていることを目敏い男どもは見逃してはいない。
「べ、べっつにー。無理に誘ってもしょうがないもんね。でも気が向いたらいつでも歓迎だからね?」
そういってそそくさと距離を取る相沢凜の方を見ながら、「やっぱそうなのかなー」などと内心落ち込んでいる者は多い。
だが幸いにして匡臣が、嘘ではなく相沢凜を狙ってダンス部に入るようなことはなさそうなことだけが救いと言ったところか。
本人にあんな風に話しかけられてほぼ塩対応と言っても過言ではない反応を返すということは、本当に異性として好きではないということなのだろうと信じられる。
特に好きではなくても綺麗な女の子から話しかけられればそれなりに反応してしまう年頃なのだ。
嫌いとまではいかなくとも、まったく興味がなければあんな対応は出来まいと同じ男だからこそそう思うのだ。
「相沢さんじゃないってことは、九条さん狙いか?」
「なんでそうなるんだよ」
となればもう一人の有名人、真の『高嶺の花』狙いなのかと何人かが聞いてくる。
内心ぎくりとしているのは、匡賢の方は匡賢の方で、入学以来自分に近い成績の持ち主である九条静に興味を持っていたら、自分でもよくわからないうちにいつの間にか惚れてしまっていたのだ。
そして匡臣とは比べ物にならないほど異性への免疫がない匡賢は、事が九条静のことに及ぶと常の冷静さをほとんど失ってしまう。
「いやだって、二人ともに興味がないなんてあり得るか?」
「そりゃあり得るだろ」
それはたかが九条静の話題であっても然りであり、いつもの様な切れ味も理論武装も綻びを見せている。
気の利いた答えも返せずに、ただ単に否定することくらいしかできていない。
「でもさっきから見られてるぜ。もしも九条さん狙いなら要らん誤解を招いたかもな」
「え?」
だがそういわれた瞬間、落ち着いたふりが不可能になった。
言われたとおり今の相沢凜たちとの会話を見られていたのであれば、それをどういう風に思われているのかが気になって、我ながらびっくりするくらい落ち着かなくなる。
そういった男子生徒が親指で指し示す方向へ、視線を向けることも出来ない。
もしも蔑んだような視線であれば、本気で落ち込みそうで怖いのだ。
【匡臣! 匡臣さん‼】
『落ち着いてよ兄ちゃん』
さっきの自分のことは棚に上げて、常にない挙動不審に陥りそうな
匡臣にしてみれば九条静は「ものすごいお嬢様で、兄ちゃんと同じくらい勉強ができる凄い女の子」程度の認識なので、見られていたからとて動揺すべき理由など一欠片もない。
男子生徒が指し示す方へ視線を向け、無表情ではありながらどこか怪訝そうな視線を送ってきている九条静にひるむことなく目を合わせ、にっこりと微笑んで見せる。
だいたいの女の子はこうしておけばマイナス評価にはならないので、匡臣は目が合った女の子にはこうやって笑い返すことにしている。
そのせいで小学校高学年から中学時代は要らん誤解を盛大に招きもしていたわけだが。
「あ、目を逸らした」
「マサオミが見つめ返したらだよなあ……九条さん真っ赤になってね?」
だが匡臣がそうした瞬間に、九条静は露骨に目を逸らしてすたすたと渡り廊下の方へと歩いて行ってしまった。
しかし男子生徒たちの指摘通り、遠目にも一瞬で頬を染め、耳まで真っ赤にしながらだ。
「あのさあマサオミ君? 君が二人ともに興味がないと嘯くのはまあよしとしようか」
「許可いるの?」
何人かの男子生徒から強制的に肩を組まれ、押しつぶされるようにして話しかけられる。
これはもう、わかりやすいやっかみである。
「だけどまさかお前、相沢さんと九条さん二人ともに好かれているとなった日にはお前……おまえ……」
ドスの効いた声で「やっちゃん」がそう告げた後。
「本気で妬んでやるからな?」
声を揃えて男どもが唱和する。
「真顔でそんなことを言われてもなあ……」
冗談で軽く殴るけるの
いや実際は、笑い事ではないのだが。
【なあ匡臣】
『なに? 兄ちゃん』
【恋愛って厄介だよな……】
『だよね……なに言ってるんだよって僕も言いたいけど、ほんと厄介』
二重人格者がそれぞれ別の女の子を好きになってしまったがゆえに、万が一両想いであったとしても、うまく付き合える未来が想い描けないのである。
どれだけすべてを分け会える仲のいい兄弟だとしても、好きな人との語らいやふれあいまで共有することは流石にキッツい。
それよりも深刻なのは想い人の真剣な想いや行為を、無断で兄弟とはいえ第三者に曝け出すような不義理をできるはずがないということだ。
思春期ゆえの、拙なけれど真剣な初恋の想いと共に。
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