第10話 私、行かないから…でも…

 ようやく放課後を迎えた。

 気が楽になる時間帯であり、どこかの部活に所属していない悠は、小柄な体型の妹と一緒に帰宅していたのだ。


 妹の玲が高校に入学してから、二か月ほどが経つ。だが、一緒に帰宅するのは今日が初めてなのだ。

 今日の朝も一緒に登校するのは初だった。玲は緊張した感じに、放課後の今も顔を合わせてくれることはなく、手も繋ごうともしない。


 微妙な距離を感じつつ、気まずいひと時を過ごしていた。

 朝と大体にたようなシチュエーション。


 数時間程度で手を繋げるようになり、道を歩けるほどの勇気は持てないのだろう。

 悠は、そんな妹を可愛らしく思ってしまうのだ。


 左隣にいる玲の体を――、特に髪を触りたくなったが、そんなことをしてしまったら、確実に妹から距離をとられてしまうだろう。

 それに他人がいる前でそんなことをしたら、バカップルみたいな感じになってしまい、変な目で見られてしまう可能性だってある。


 ああ……、でも、触ってみたい。

 けど……やっぱり、やめた方がいいよな。

 悠は左隣にいる玲を見やる。妹との距離は一メートルほどあり、玲の方から積極的に近づいてくる様子はない。


 でも……ああああ……。

 悠は頭を抱え込んでしまった。

 さ、触りたい。

 でも、本当にいいのかああ……。

 頭の中で悩んでしまい、すぐに答えを導き出すことなんてできなくなった。


「なに? あんた、その言動。キモいんだけど……変質者みたい」

「え、あ……」


 隣にいる妹から辛辣なセリフを投げつけられる。


 気が付かない間に、悠は不可解な言動を見せていたようだ。

 妹のことが好きすぎて、テンションがおかしくなっていたらしい。

 一度、咳払いをして、心を落ち着かせた。


「というか、あんたはどこかに行くの? 私……早く帰りたいんだけど……」

「か、帰る⁉ え? ちょっと待って。今から街中に行こうって、さっき、そう話してたじゃんか」

「……でも、気が変わったの。私、行かないから」


 玲から顔を背けられてしまう。


「なんで? 一緒に行こうよ」

「……」


 妹は不自然なくらいに視線を合わせてはくれなかった。

 この状況、仕草……多分、嘘をついてるな。

 と、長年一緒にいて、同じ屋根の下で生活している玲の心理を察した。


「でも、行きたいんじゃない?」

「い、行きたくないし……」

「じゃあ、こっちを見てって」


 妹は左の方ばかり見ている。

 玲は頑なに拒み、顔を合わせてくれないのだ。


「……」

「ねえ、見てって」

「いや……」

「あっちの方に、猫がいるけど」

「え……んん、なんでもないし。その手には引っかからないし」


 妹はチラッと、悠が指さしたところを見やる。

 気になっているようだ。

 でも、ハッキリと見ている感じではない。

 本当にあっさりとだ。


「見た方がいいんじゃないか?」

「ど……どうせ、嘘でしょ。わ、わかってんのよ、そういうの……」


 玲は物凄く気になって、さらに挙動不審になっていく。

 本当は見たいのだろう。

 けど、見てしまったら、負けだと、妹の心の中では不思議なプライドがあるのだ。


「そんなに気になるならさ。指さしている方を見ればいいんじゃない?」

「見たくないけど……見る……別に興味があるとかじゃないから……」


 玲は強気な口調で言い、悠が指さす方へと顔を向けた。


「……いないじゃない。ど、どうせ、嘘だと思ってたのよ」


 通路には猫の姿はない。そもそも、何かの動物すらもいないのだ。


「いや、本当にさっきまでいたんだよ」

「嘘じゃん。猫の泣き声も聞こえなかったし」


 妹はため息を吐き、呆れていた。


「でも、ようやく俺の方を向いてくれたよね」

「んッ、う、うるさい。あんたを見たくないし」

「というか、さっきの話に戻るけどさ、行きたいんでしょ? 街中に」

「……」


 玲は比較的おとなしくなった。

 妹は諦めたように、ただ首を縦に動かす。


「じゃあ、行く? それでいいだろ?」

「別に行きたくないけど……あんたが行きたいんなら、行くし……」

「行きたいんだろ? だって、そんなことが顔に書いてるけど?」

「か、書いてないし」

「書いてるって。ほら」


 悠は事前に通学用のリュックに入れていた手鏡を見せる。

 その鏡には、妹の顔が映った。


「なッ、か、書いてないじゃんッ」

「いや、なんか、凄く顔が赤いけど?」

「んッ、こ、これはそういう意味じゃないし。暑いからよ。そうよ、暑いからッ」


 玲は激しく言う。


「え? まだ、季節的に暑くないような気がするけど?」

「……もう、わかったわよ。街中に行くし……い、行くから。もう、鏡は下げて」


 妹は悠が手にしている手鏡を退けようとする。


「じゃあ、行くってことでいい?」

「うん……」


 諦めた感じに頷いてくれた。

 玲の頬は赤い。先ほどより火照っている感じだ。


「じゃ、行こうか」

「う、うん……」


 妹は比較的、明るい口調で言った。

 悠はさりげなく手を触ろうとする。が、玲の指に少しだけ当たった瞬間。

 妹から強く睨まれたのだ。


「フンッ」


 玲は逃げるように、先を歩き始める。


「おい、一人で行くなって。というか、やっぱり、行きたかったんだよな」

「ち、違うし。あんたから奢ってもらえるから行くだけよ」


 妹は素直ではない。

 一緒に行きたかったのだ。

 本心を隠しつつ、玲は前を進んでいく。


 そのあとを、悠は追いかけていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る