夢を食らう男

 ナイフを入れた瞬間、確かに肉を切っている手応えが手に伝わってきた。スジ感のある一枚肉とは違う、もっと柔らかく吸い込まれていく感覚。

 ぐっと押し込めば、反発してくる弾力と同時にミンチの隙間から肉汁が浸み出してくる。どう考えても満足度が高いメシだ。

 ホールケーキを切り出すようにカットした一片は、それだけで一般的なレトルトのハンバーグ以上のボリュームがあった。フォークで突き刺し、持ち上げた肉塊の一角に思い切りかぶりつく。


 その刹那、重厚な旨味が口の中で爆ぜた。肉と玉ねぎとチーズの強い香りが全力でぶつかり合い、そしてひとつに溶け合いながら俺の脳天を貫いていく。

 滴ったエキスが唇をべったり濡らし、零れ落ちそうになったので慌てて舌で舐め取る。その雫すらも濃厚だった。

 俺は心底驚いていた。これは紛れもなくハンバーグだ。しかも、とびきりうまい。両面とも焦がしていないし、中までしっかり熱が入ってる。

 こんなうまいものを作ったシェフは一体誰だ? ああ、俺か。


「いや、うまいっす……ちょっと自分でもびっくりしてるんすけど、焼き加減パーフェクトですよ。ほら見て、ちゃんと中まで火が通ってるっしょ? 味もちゃんとハンバーグって感じで、めちゃくちゃ食い応えあります!」


 一口齧ったピースをカメラに近づけ、断面をリスナーに見せる。


『ほんとだ よく焼けたね』


『普通に美味そうだけど、さすがに大きすぎww』


『これは初心者騙りですわ』


 コメント欄にシュプレヒコールが飛び交っている。そうだろ、うまそうだろ。とても初めてとは思えないだろ。気分が良くなり、食べるスピードも勢いを増していく。

 うまい。本当にうまい。どうしてこんなにうまいのかわからないが、とにかくうまい!


 俺はリスナーたちの前で次々にハンバーグを切り分けては食らっていった。いくら食べても飽きが来ないどころか、まだまだ食べられる気がしていた。

 半分ほどまで減ったところで、やっと味変用のケチャップを取り出した。ケチャップの甘酸っぱさが食のモチベーションをさらに高める。


「なんか、めっちゃ懐かしいな。昔食ったハンバーグもこんな味でした――あの頃の僕って、デカいメシには同じくらいデカい夢が詰まってると思ってたんですよ。だから思いつく限りのでっかいハンバーグを食べたら、自分の夢も叶うと信じてたんすよね。ほんと、ガキすぎて笑っちゃいますけど」


 ハンバーグは残り4分の1まで減っていた。さすがに腹がきつくなり始め、テンションも落ち着いてくる。

 満たされた思いを抱えた俺は無性に昔話をしたくなっていた。


「あの日、母親ができあがったハンバーグを出して『誕生日なんだから、気が済むまで食べていいよ』って言ったんすよ。それで僕、めちゃくちゃ張り切って食ったんだけど、ガキだったから半分の半分くらいしか食えなかったんですよね。最後の方はだいぶキツくて、でもなんかすげえ嬉しくて。なんつーか、夢が叶った気がしたのかな」


 少しばかり感傷に浸っていると、しばらくして新しいコメントが流れてきた。


『じゃあ、お母さんが夢を支えてくれたんだね』


 目に映ったその言葉を、俺は一瞬吞み込めずに何度か読み返してしまった。

 それからじわじわと、だが全てを理解した。

 さっき完成したハンバーグを前に抱いた妙な感情――その答えが、突然目の前に降り注いできたのだ。


「そっか……母さんの飯が、今の俺を作ってくれてたんだな……」


 母さんが当たり前のように作る飯を、俺が当たり前のように食う。それがあまりにも普通すぎて、そこにどんな意味があるのかなんて考えたこともなかった。


 だが、俺は今日このハンバーグを作って初めてわかったことがいくつもある。


 食材をたくさん買い込んで帰ってくるのも、大量に準備した肉を捏ねるのも、重いフライパンを持ち上げるのも、全部簡単なことじゃなかった。

 焼き加減に注意しながら時間をかけて焼くのだって、少し気を抜くだけできっとすぐに失敗する。

 母さんはそれを全部やってくれていたんだ。俺の純粋な夢を守るために。


 そう思ったら、なんだか鼻の奥がツンとしてきた。ヤバい、配信中に泣くなんて言語道断だ。今日ここまで築いてきたものが一気に崩壊しちまう。だめだ、食うんだ。食ってるから喋れないことにするんだ。


「さあて、ここからはラストスパート! 完食に向けて全力で食らい尽くしてやりますからね、最後に応援おなしゃす!」


 震えそうな声を無理やり張り上げて、俺は残りのハンバーグにがっついた。本当はもう、これ以上食べるのは苦しかった。腹よりも胸がつかえて仕方なかったから。

 食えば食うほど、さまざまな想いがせり上がってくる。俺はひたすら無言でハンバーグを咀嚼しては飲み込んでいった。

 何度ギブアップしようと思ったかわからない。それでも必死に食らいついた。


いつしか俺の大食いチャレンジは、俺のためだけのものではなくなっていった。少年時代の夢を叶えてくれた母さんへの感謝――その想いこそが最高のスパイスだった。

 俺が今まさに夢を手繰り寄せるためにデカ飯を食えているのは、母さんの飯が俺の身体も心も作ってくれたからなんだ。


 これはハンバーグとの勝負じゃない。俺自身との勝負だ!


「……よっしゃ、食い終わったぜ! 1キロハンバーグ、これにて完食! ごちそうさまでしたっ!」


 とうとう俺は超重量級ハンバーグを制圧した。冷めかけた思い出のハンバーグは、それでも最後の一口まで夢の味がした。

やっと終わった――ぐったりと座椅子に背を預けた俺の目には『お疲れ様』『マジで完食するとは思ってなかった』などといったコメントがいくつも映った。俺はカメラに向かってピースサインを掲げてみせた。


「来てくれた皆さん、マジでありがとうございました! またメシ作るライブやるつもりなんで、そのときはぜひ来てくださいね。あ、でも、毎回大食いかどうかはちょっとわかんないっすけど……」


『なんで?』とリスナーに訊かれ、俺は少しだけ考え込んでから答える。


「まあ、なんつーか……僕、今回の配信で、いろいろわかったことあるんですよね。ずっと大食いにこだわってたけど、別にそうじゃなくてもいいのかなって思ったりしたんで。まあ、僕にはこの世界で成し遂げたい夢があるんでね、それを叶えるためならなんでもやるつもりですから!」


 そうだ。俺にはデカい夢がある。

 ただ、それは今日ほんの少しだけ形を変えたわけだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る