夢を焼く男

 フライパンに蓋をした俺はコンロの火力をギリギリまで弱めた。それからガスコンロと一緒に俺が映るよう、撮影用スマホの角度を調整した。

 変わり映えしない画面がしばらく続くので、俺自身が動いて場を繋ぐ必要がある。


「焼いてるあいだは雑談タイムってことでね、コメントいっぱい送ってください! どんな質問にも答えるんで!」


 マスク越しでも伝わるような目一杯の笑顔をカメラに向ける。


『料理しない人ってフライパンの蓋なんか持ってなくない? ほんとに初心者?』


 さっそく来た。生焼けを心配してくれた人だった。話題が広がる質問に、俺は内心ガッツポーズを取る。


「めっちゃいいところ見てますね! ほんとその通りなんすけど、これガチで使うの初めてなんですよ。っていうのも、僕が一人暮らし始めるときに、母親が料理道具一式買ってくれて。自炊しろってめっちゃ言われてて、最初は肉焼いたりしてたんすけど、めんどくさくてやめちゃって。蓋なんかマジで使うことなかったですよ、はは」


 何年も経っているのに、まだ母さんの声を思い出せる。それだけしつこく言われていたからな。


〈瑛汰、とにかくごはんはちゃんと家で作りなさいよ。外食ばっかりしてたらお金なんて貯まらないけど、スーパーで買ったら安く済むんだから。一人暮らしはそういうこともちゃんと考えて生活しないとだめだよ〉


 俺が頼んでもいない料理道具をキッチンに積んで、母さんは自炊の大切さを延々と俺に説いていた。あの頃はただうるさいとしか思っていなかったし、今だって考えが変わったわけじゃない。ただ――


「まあ、今回スーパーで食材を買ったわけじゃないですか。その値段見てちょっと納得したんすよね。大体の値段がね、まず挽き肉が800グラムで1300円くらいのやつが3割引で900円、パン粉が100円、卵が10個で180円、玉ねぎが3個で200円、あと塩コショウがめっちゃ入って200円くらいだったっけな。プラス、最後に飾るブロッコリーとプチトマトと、トッピング用のとろけるチーズとケチャップが全部150円!」


 レシートの数字を思い出しながら、指折り数える動作を見せつつ話を進めた。

 店で食うデカ盛りの代わりだからいいものの、それなりに手痛い出費ではあった。だから値段はよく覚えている。


「これ全部合わせて消費税も入れたら、2500円行かないくらいなんすよ。でもね、もし店で同じもの食うとしても、同じ値段とか無理じゃないすか? 倍くらい取られてもおかしくないっしょ。だから母親が言ってたことって正しかったんだなあって、今わりと実感してます」


『確かにね 外食高い』


『肉も卵ももっと安い店あるよ? 探してみたら』


 複数のコメントに俺は思わずほくそ笑んでしまう。雑談にもついてきてくれる人がいるのは心強すぎる。

 俺は拾ったコメントからどんどん話題を広げていった。教えてくれる人からはもっと教えてもらえるように。同意してくれた人には、もっと共感してもらえるように。

 リアルタイムのやりとりがどんどん楽しくなっていく。これだ、俺がやりたかった配信はこれなんだ。

 視聴者の数はいつの間にか46人に増えていた。嫌が応にもテンションが上がる。


『火の通りとかチェックしなくて大丈夫? だいぶ時間たつけど』


 時間を気にしてくれるコメントに、俺は大丈夫と親指を立てて見せた。


「僕ね、実はガキの頃にこれと同じハンバーグ食ったことがあるんですよ。10歳の誕生日だから小学生かな。見たことないくらいデカいハンバーグ食べてみたいから作ってくれって、母親に無茶振りしたっていう」


 そう。このハンバーグは俺にとって少年時代の思い出だ。食べきれないほどデカいハンバーグをこの目で見てみたい、俺はそんな夢を母さんにねだるピュアでバカなガキだった。


 俺は今でもあの頃のままだ。夢もメシも、デカければデカい方がいい。そう信じてきた。だけど――


「そのときに見てた作り方、今でもうっすら覚えてるんですよね。でも焼いてる途中は蓋されてて見せてもらえなくて。しかも何分待ってもなかなか蓋開けてくれなくて、一体いつになったらハンバーグが焼けるんだって軽くキレたの覚えてるなあ。んで、おとなしく待ってろって逆に母親にキレられてね。そのときの体感がたぶん片面30分くらいだったんで、今日もタイマーで30分測ってます」


『火力は? まさかと思うけど強火じゃないよね』


「バッチリ弱火にしてますって! これも記憶にあったんですけど、なんか焼けるのかどうかもあやしいくらい弱い火で母親が焼いてたんすよね。強くすれば早く焼けるのにって思ったけど、なんかこれじゃないとうまくできない的なこと言ってて。だから一応その通りにしてみるかなって」


 ほんと母親うるさくてね。そう笑い飛ばしながらコメントを眺めると、意外な言葉が立て続けに飛んできた。


『お母さんのやり方めっちゃ守るじゃん いい息子だ』


『記憶を頼りに作る思い出の料理? なんかエモいね』


 ちょっと待て。想定外だ。そういう言い方をされると途端に気恥ずかしくなる。焦った俺は言葉に詰まった。視線もあからさまに泳いだ。


「そ、そういうんじゃないんすけどね?! ただ、俺が作れるかもしれない自炊のデカ盛り飯って、やっぱ自分が食ったことあるものじゃないと厳しいっつーか。まあ確かに母親の真似なんすけど、教え守ってるとかじゃ……」


『ツンデレ息子か? 母親大事にしろよ』


 さすがに降参だ。そうじゃないんだって。もしこういうのがウケるんだとしても、さすがにマザコン路線で売るつもりはねえ。まったく、困ったリスナーたちだ。


「まあまあなんでもいいとして、ね! 今20分くらいだけど、一旦焼き具合見ますね……ほら、すっげえ蒸気! これかなりいい感じなんじゃないですかぁ?」


 話を強引に逸らしてフライパンの蓋を外すと、中から真っ白な水蒸気が巻き上がった。


「肝心の裏側は、っと……よしよし、真っ黒にはなってない。これもう裏返していい気がするんで、このままやっちゃいます! でもこんなデカいのがちゃんと裏返るのか? どうすりゃいいんだ?」


 俺はフライ返しを片手に右往左往した。あっちこっちから裏返そうと差し込んでみても、肉が重すぎて全体が持ち上がらないのだ。完全に盲点だった。コメントで助けてくれる人はいないか?


『いったんお皿に乗せて、そこにフライパンかぶせて天地返ししてみたら?』

『皿に取り出してから皿ごと裏返せばいける』


 縋るように見たコメント欄には同じような意見が並んでいた。名案だ! 俺の配信には優秀なリスナーが揃ってる。こんなにありがたいことはない。


「それ、採用。じゃあうまいこと皿に移して……よしよし、なんとかなった。そしたらこれを皿ごと裏返すんで見といてくださいよー。――あらよっと! いっちょ上がりぃ、どんなもんよ!」


 皿を持ち上げ、フライパンを添わせ、思い切って逆さまに返す。

 肉汁が少し飛んだが、ハンバーグは見事に裏返った。見映えのするシーンを成功させた俺は思わず額を拭う。コメント欄には『ナイス!』と称賛の声が飛んでいた。


「オッケー、そしたら反対側も焼いていきますね! こっちも20分でいいでしょ、それまでもうしばらく雑談にお付き合いください」


 それから俺はまたリスナーたちとの会話に花を咲かせた。抜けていく人は案外少なかった。


 俺、わりとガチでトークもいけるのかもしれねえ。今まで動画だけだったけど、これからはライブメインにしたら伸びるんじゃないか――そんな夢をまだ追いたくなってしまう。

 俺はまだ、夢を見ていても許されるんだろうか?


『なんかずっとアラーム鳴ってない?』


 届いたコメントにハッとする。20分測っていたタイマーが電子音を懸命に鳴らしていた。考え事に気を取られていてわからなかった。


「うわ、ほんとだ。ちょっと喋りに夢中になりすぎて気づかなかったわー。さてさて、焼けたみたいなので仕上げに取りかかりますか」


 俺は何事もなかったかのように振る舞い、ハンバーグの上にスライスチーズを乗せてもう一度蓋をした。そのあいだにブロッコリーを切り分けてレンジで温め、プチトマトのへたを取った。

 焼き上がったハンバーグをもう一度皿に盛る。とろけたチーズが分厚い肉の壁面を伝って垂れる。ギリギリ空いた端の隙間に緑と赤を交互に並べていく。全部、母さんが施してくれたのと同じトッピングだ。


「大変お待たせしました! メインディッシュの『超デカ盛り・1キロ丸ごとハンバーグ』ついに完成でーす! いやー、作るだけで一時間半くらいかかったね。でもどうですかこれ、見た目は完璧じゃねえ?」


 できあがった料理をスマホのカメラに近づける。熱を帯びた重さが両手のひらにずしりと沈み込んできて、俺はごくりと唾を飲み込んだ。


 あの日食べたハンバーグを、俺はあの日のままに再現した。ハンバーグを焼き上げるという勝負にはどうやら勝てたらしい。

 しばらく言葉が出なかった。なんと言っていいかわからない想いの芽が、俺の中で確かに息づいているのを感じる。

 達成感と、懐かしさと、それからまだ、他にもなにか――


「……さっ、せっかくアツアツなんで冷める前に食っちゃいましょう! なんかハンバーグ作りが本編みたいな空気あるけど、大食いの方がメインですからね? 僕もう腹ペコすぎて耐えられないんで、めっちゃ早く完食する自信ありますよ」


 妙な感情を抱えたまま、俺はこたつ机の中央に鎮座する巨大ハンバーグがよく映るように、カメラの位置を変えて角度を調整した。パソコンは足元に置いて、コメントをすぐ拾えるようにした。


「それでは大食いチャレンジ、スタートします! いただきます!」


 見てろよリスナー、俺の渾身の食いっぷりをしっかり届けてやる。

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