刃のように鋭い三日月の晩だった

ゆきんこ

第1話

 ここまでくるのに時間が掛かった。

 彼女の笑顔を忘れないようにと、胸に刻んだのは刃のように鋭い三日月の晩だった。

 僕は暖かい陽光のように笑う彼女の笑顔が好きだった。

 男爵家の末娘だった彼女はどこにでもいる普通のお嬢さんだったよ。

 決して王子様の心を射止め、王妃に成りたいと野心を巡らせるような事はなかたし、国家転覆? そんなものを考えた事もないような人だった。


 だから、彼女が王子様と恋仲だと噂が流れた時は何かの間違いだって思ったよ。


 もちろん、彼女にも聞いたよ。

 困った顔をして「違う」とはっきり言っていた。むしろ、どうしてそんな噂が流れているのかと、不思議に思っていたくらいだ。

 噂なんてそのうち誰も気にしなくなると、その時は深く考えてなかったから今、こうなってしまったのだけれどね。


 そうだよ。僕らの見通しが甘かった。

 あの収穫祭の夜会で王子様が彼女の腰に手を回して、許嫁の御令嬢をこっぴどく振るからおかしな事になってしまった。

 王子様の婚約破棄騒動には本当に参ったよ。

 次代を担うはずの王子様が一時の感情だけで、生涯のパートナーと定められた御令嬢を袖にするのだもの。

 上も下もてんやわんやでさ、彼女の周囲はこれでもかというくらい物々しかった。


 僕も当然彼女を守る為に奔走したよ。

 王子様の恋煩いのせいで彼女はまともに寝ることが出来なかった。

 あの頃、街に流布される彼女を貶めるような噂のせいだけじゃないよ。

 食事だって、まともに食べられたものじゃなかった。毒の盛られていない日はなかったのではないだろうか。

 王子様がそれに気が付いたのは彼女の艶やかな髪が枯れ果てた草のようになった頃だったよ。

 大慌てで警護の手厚い王城へ連れていったけどさ、彼女は王城へ上がることを嫌がっていた。

 王子様にとって彼女の気持ちなんてどうでもよかったのだろうね。だって、あの顔はか弱いヒロインを守るヒーロー にでもなったように誇らしげだったもの。


 それにね、僕たちは彼女を守ることに疲れていたんだろうね。

 僕も父君の男爵も安心してしまったんだ。

 王城なら毒を盛られるようなことも、夜中に身の危険を感じるようなこともないだろって。

 実際その通りだったしね。


 王城で王子様に守れる生活の中で、彼女は健康を取り戻して笑顔を浮かべられるようになっていた。

 王子様のせいでおかしな事になったのに、王子様のおかげで元気を取り戻せた。

 彼女の笑顔に違和感を感じてもね、笑っているだけで嬉しかったんだ。

 例え、陽光のような笑顔じゃなくなってしまっていてもね。


 僕は自分の無力さを知ったよ。


 だからさ、まさかって、思ったよ。信じたくなかったよ。

 王子様の裏切りを目にするなんて誰が思うかよ。


 どこかで見た覚えのある婚約破棄。

 身に覚えのない濡れ衣を着せられた男爵の処刑。

 お家断絶。

 それを苦に、男爵家の一家心中。


 彼女がなにをしたっていうの? 苦しめるだけ苦しめて……



 ――ドタンッ!!


 大きなものが崩れる音に僕は首を竦めた。

 周囲に広がる黒い煙を追いやるように赤い炎が見え隠れしている。もうじき、ここも炎に呑まれるだろう。


「た……助けて」


 着飾っていたはずの身なりは煤で汚れ、傲慢な表情はどこへいったのか、今は随分と素直な顔をして王妃様は泣いている。

 かつて王子様だった王様に助けを求めるよりもこの僕に縋るとは……計算高い王妃様だからなのでしょうね。

 漏れてしまうため息だって仕方がないじゃないですか。


「お願いよ。あなたが怨んでいるのはこの人でしょう?」


 王様がギロリと王妃様に視線を向ける。

 王妃様だけが助かると、どうして思えるのだろうか。

 はじめにこっぴどく振られたはずの御令嬢が元通り王子様の隣に戻ったのは、彼女がなにも持たない普通のお嬢さんだったからだ。

 流行にだって疎いような人だった。頭が良いわけでも、とびきりの美貌を持っていたわけでもない。

 末端の男爵家といえ、貴族のお嬢様ってだけ。


「其方があの女を嵌めたくせに、なに一人で助かろうとしているんだ!」


 あれ? 王様は助からないって覚悟を決められたの? 

 それから僕は王妃様が彼女を貶め嵌めたこと、はじめから知っているよ。

 王子様と彼女が噂になった頃から嫌がらせは多かったからね。

 誰がなんて、調べるまでもなく簡単だった。

 ただの嫌がらせで済んだのは、王子様との婚約破棄までだった。

 その後は、命を狙うなんて酷いの一言で済むような話じゃないよね。


「っ! それはあなたが……」


 彼女の家族はみんな、いい人だった。

 一家心中なんてことになっているけど、本当は殺されたのでしょう? でっち上げられた罪で処刑されて、皆殺し……


「あの女は」


 ダンッ!


 王様が僕の踏みならした足音に言葉を詰らせ、恐る恐る視線を向けてくる。

 彼女を語れるよう立場じゃないだろうに。

 彼女はずっと苦しんだ。

 苦しめられてきた。

 王城なら安全だと思っていたのに、彼女は二回も堕胎させられていた。

 誰の子なんて聞くまでもないよね。

 乙女の純潔を踏みにじっておきながら、母親になることすら彼女は許されなった。


「彼女が最期に言った言葉を覚えていますか?」


 王様が僕から目を逸らした。ああ、覚えていなのだろうね。

 彼女とのことなんて、王様からしたら昔の、若気の至りなんだろうね。

 彼女のように日向にいられなくなった乙女が何人もいるしね。


「彼女はね、『終わりたい』って言ったんだよ」


 王妃様の腰に手を回した王様にない罪で断罪された直後にだ。

 近くにいた護衛の近衛騎士から剣を奪って、自身の喉を一突きだった。

 その時の近衛騎士は僕だった。

 後悔なんて生易しいものじゃない。

 彼女を守るために近衛騎士になったのにさ、僕は彼女を守るどころか、死なせてしまった。


 だからね。僕は今ここにいるんだ。


 王妃様に、いや、王様に子供ができないように薬も沢山盛った。

 男性器が機能を失う薬だったのに、王様はずっと元気なものだから戸惑ってしまったけど。

 その代わり、王妃様は避妊薬と知らずに、薬を沢山飲んでくれた。

 若さを保つ薬なんて怪しいものよく口にできるよね。

 日陰に追いやられた乙女たちは避妊薬だと知って、自ら飲んでくれたよ。

 外道な王様の子供なんて誰も望まなくて当然だ。


「……さぁ、終わりにしよう?」

「ひぃっ……!」


 どちらの悲鳴かな? どっちでもいいけど。あぁ、簡単に死なせてしまうのは彼女に悪いな。


「あの女が、どんな女だったか知っているの!?」


 当然だ。

 僕以上に彼女を知っている人はいないだろう。

 僕はずっと彼女だけを見ていたのだから。

 苦し紛れに今更彼女の何を語ろうというのか。


「あの娘は魔女リリスの娘だったのよ」


 何を言うかと思えばそれか。

 当然それも知っている。

 稀代の魔女リリスと男爵の恋物語なんて今も昔も市勢で人気の演目だ。

 男爵と結婚するために魔女リリスは、魔女を廃業していたじゃないか。

 教会で結婚式を挙げた魔女なんてリリスだけだじゃないだろうか。

 ご両親と同じように、教会で大事な人に囲まれて式を挙げることを彼女は夢見ていたのに……誰のせいでそのささやかな夢を踏みにじられたと思っているのか。


「アレは……ひぃっ……」


 アレなんて物扱いをしないでよ。

 イラついて剣を突き立てたら折れちゃったじゃないか。

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