第13話

 その日以来、レオは家に帰ってこなかった。

 ママは心配していたけど、私は顔を合わせるのも気まずかったのでどこかホッとしていた。


 何日経っただろうか、大学を終え帰宅すると、玄関のドアが少し空いている。

 不審に思いゆっくりドアを開けると、廊下に突っ伏す様に人が倒れていた。

 ほうきを掴み、そっと人影に近づくとそれはレオだった。

「レオ?どうしたの?」

 ほうきを放し、レオの肩をゆする。

 レオの体は何だか熱かった。

「…ひめ花?」

「そうよ。どうしたの?どこいってたの?みんな心配してたのに。」

「ひめ花も?」

「…そうね。ちょっとね。」

 レオは力なく微笑んだ。

「嬉しいな。俺の事嫌いなんじゃなかったっけ?」

「…そんな事より、何でこんなところで寝てるの?」

「家に着いたと思ったら、気が緩んじゃって。」

「ママは?」

「買い物中みたいだよ。」

 気だるげにレオは上半身を起こした。

「レオ、熱あるんじゃない?」

「そうかも。妙に体がフワフワするんだよね。」

「とにかく部屋に行こう。立てる?」

 レオは立ち上がるが、しんどいらしくふらついた。

 思わす私は手が出る。

「触ってもいいの?」

「…緊急事態だから。」

 私は何とかレオを支えると、部屋まで連れて行った。

 部屋に着くと、レオは物憂げにコートを脱ぎ着替えだした。

「ちょっと待って、あっち行くから。」

 焦る私をレオは気にも留めない。

「気にしないで、人前で着替えるのは慣れてるから。」

「私が気にするのよ。」

「じゃあこれでも被ってて。」

 レオは私にコートを投げた。

 私が被ると、頭の先からつま先まですっぽりなサイズだ。

 久しぶりにレオの匂いに包まれて、少し安心感があった。

 視界の利かない状態で立っていると、急に抱きしめられてびくっとする。

「何。」

「ああ、このサイズ感最高。やっぱりひめ花は特別だな。」

 レオが私をコートごと抱きしめる。

「レオ、着替えたの?」

「どう思う?見てもいいよ。」

「着替えたのならベッドに入りなさいよ。」

「もうちょっとこうしてたらダメ?」

「ダメ。熱計るから早く横になって。」

 レオが離れたので、私はコートを取ると急いで部屋から出て体温計を取りに行った。

 戻ってくるとレオはベッドに横たわっていた。

 いつもの元気がなく弱っているレオを見るのは新鮮だった。

「はい、ちゃんと計って。」

 体温計を渡そうとすると、レオは私の手を体温計ごと握った。

 いつもはひんやりしている手が、やっぱり今日は温かかった。

「ねえ、傍にいてくれない?」

「とりあえずはね。ほら、計って。」

 レオは体温計を受け取ると、体温計を脇に挟んだ。

 ピピっと音がするまでのほんの30秒の沈黙が異常なほど長く感じられる。

 やっと計測終了の音がして、私はレオから体温計を受け取った。

「38.0℃もあるじゃない。」

「寝てれば治るよ。」

「ダメよ、ちょっと待ってて。」

 私は部屋から出ると、急いでキッチンへ向かった。

「確かここにあったはず…」

 収納からレトルトのおかゆを見つけると、レンチンする。

 出来るまでの間に、冷蔵庫でいつ出番が来てもいいように冷やしてある冷えピタを取り出した。

 おかゆに梅干しを添えて、風邪薬とミネラルウォーターと一緒にお盆にのせる。

 私は5分でレオの所に戻った。

「ひめ花、どこに行ってたんだ。」

「ちょっと待っててって言ったでしょ。」

 私は答えながら、レオの額に冷えピタを貼り付ける。

「冷たっ。俺これ苦手なんだけど、貼らなきゃダメ?」

「ダメに決まってるでしょ。はい、これ食べて。どうせ何にも食べてないんでしょ。」

 おかゆを差し出すが、レオは嫌々と首を横に振った。

「いらない。食べたくない。」

 レオは小さな子供が拗ねたみたいで何だかかわいらしかった。

 そのせいで、つい口調が子供をあやすみたいになってしまう。

「ダメよ、食べないとお薬飲めないでしょう?少しでいいから食べて、ね?」

「…じゃあ、ひめ花が食べさせて。」

 突然のお願いに一瞬ひるんだが、病気のレオを前にして私はノーという事が出来なかった。

「…ちゃんと食べるのね?」

「食べるってば。ほら、アーン。」

 レオが上体を起こして口を開けるので、私は仕方なくおかゆをレオの口に運んだ。

「うん、おいしい。」

「ただのレトルトよ。」

「ひめ花が食べさせてくれるから。魔法がかかってるみたいだ。」

 弱ってても口は達者なようだ。

「はいはい。分かったから、食べて。」

 レオは素直に口を開けると、もう一口食べた。

 そうやって何とか半分くらい食べたところで、私は手を止めた。

「あれ、まだ残ってるじゃん。」

「急にいっぱい食べたら気持ち悪くなっちゃうかもだから。はい、お薬飲んで。」

 少し元気になったレオを見て私は安心する。

 市販の風邪薬を2錠手渡そうとしたが、レオは手を出そうとしなかった。

「レーオ、お薬飲まなくちゃ治らないわよ。」

「それも口まで運んでよ。」

「何言ってるの。子供でも自分でそれくらいするわよ。」

「今の俺は出来ないの。ほら、アーン。」

 目を閉じて口を開けて待っているレオは、子供よりたちが悪い。

 しぶしぶ口まで薬を運ぶと、レオに指ごとくわえられてしまった。

 私はびっくりして指を素早く口なら抜いた。

 柔らかい唇の感触にドキドキが止まらない。

「ひめ花、水ちょうだい。」

 レオが何もなかったように私に言うのが腹立たしかった。

「悪い事する子の言う事は聞いてあげないんだからね。」

 私は、今度は警戒しながらミネラルウォーターのペットボトルをレオに手渡した。

 それで薬を流し込んだレオは、ペットボトルのふたを閉めてベッドに横たわった。

 黙って横になっているだけなら、まるでビスクドールの様だと思った。

「少し眠ったらいいわ。」

「俺が眠るまでここにいてくれない?」

 レオがベッドの端をポンポンと叩いて、私に座るように促す。

「もうさっきみたいな事しない?」

「しないよ。約束するから。」

 私はレオの薬が効いてくるまでしばらくの間、部屋に留まることにした。

 レオに背中を向けるようにベッドの端に腰かける。

「…ねえ、まだ怒ってる?」

「何の事?」

 何の事かはわかっていたけど、あの話はしたくなかった。

「ひめ花以外とキスした事なんだけど。」

「そんなのもう忘れちゃった。」

 小さな嘘に言葉が続かなくて、沈黙が部屋を包んだ。

 重苦しい空気を切るように、小さな声でレオが話す。

「俺なりに色々考えたんだけど…」

「何を?」

「俺、やっぱりモデルの仕事が好きだ。」

「…知ってる。わかってる。」

「でも、ひめ花の事も好きなんだ。」

「………」

「ひめ花が嫌がることはしたくない。」

「…無理しなくっていいよ。」

「ひめ花を泣かせるようなことはしたくないのに…」

「…レオ?」

 振り向くと、レオは眠ってしまっていた。

「ずっとこのまま閉じ込めておけたらいいのに。」

 私は、そんな事を考えてしまった自分に気付きハッとする。

 そっと立ち上がり、レオを起こさないように静かに周りを片付けると、部屋を後にした。

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