第8話

 約束のカフェに着いたのは13時より少し前だったにもかかわらず、恵はもう到着していた。

「ごめん、待たせた?」

「俺も着いたところ。何頼む?」

「ミルクティー。」

 私がそう言うと、恵は店員を呼んで注文してくれた。

「ミルクティーとキリマンジャロ。」

 店員がいなくなると、私は早速本題に入る。

「昨日、私やばかった?」

「やばいなんてもんじゃなかったよ。手が付けられないとはあの事だね。」

 本当はこれ以上は聞きたくもなかった。

「だいたい、お前はどこまで覚えてるわけ?」

「…3杯目に口付けたところかな。」

「マジか、全然初めの方じゃん。」

「そうなの。だから、様子が全然わからなくって。」

 恥を惜しんで恵に聞く。

 レオの話をうのみにするわけにはいかない。

「ねえ、私何かしちゃった?」

「何かするもしないも…」

 飲み物が運ばれてきた後、恵は言葉を選ぶように話し出した。

「お前、ワインをつげつげって。やめとけって言ってるのに全然聞かなくてさ。チェイサーもほとんど飲んでなかったんじゃないかな。」

 恵が言っているのは本当に私の事なのだろうか…

「そのうち、帰るって言いだして。タクシーで送ろうかとしたら、レオを呼ぶんだって電話かけだして。」

 レオとのことを知っているのはさあやだけだった。

「誰だよって思ってたらしばらくして、テレビの中のモデルがお前を迎えに来たってわけ。わかった?」

「…何となくは分かった。」

 レオに聞いたこととの矛盾の無さに、がっくりと肩を落とす。

「あれ何なんだよ。本物のレオだろ?いったいどうゆう関係?」

「一応、義理の兄なんだけど。」

「マジか、俺すっごい目で睨まれたような気がするんだけど。」

「気のせいだって。」

 レオったら、本当に男に厳しい。

「ごめんね、以後気を付けます。」

「後の事は知らないけどな。大丈夫だったのか?」

 今朝の状態を大丈夫というのだろうか?

 恵にこれ以上の心配はかけたくなかったので、私は笑顔で答える。

「大丈夫だって、家に帰ってちゃんと寝たから。二日酔いだったけどね。」

「そっか。まあ、これに懲りてお酒はほどほどにするんだな。」

「はいはい。」

 私は、ぬるくなったミルクティーを口に運ぶ。

「合コンとか行くなよ。あっという間に悪い男の餌食になるぞ。」

「わかってるって。恵ったらママみたいね。」

「ばか、心配してやってるんだろ。」

「ありがと。しばらくお酒は本当にいらないわ。」

 私は本当に心の底からそう思った。

「この後なんか予定ある?」

 恵が私に聞いた。

「うーん、特にないけど。」

「俺さ、見たい映画があるんだけど、付き合ってくれない?」

「別にいいんだけど。昨日の今日だし、ちょっと野暮用もあって早く帰らなきゃなの。」

「今日は俺が家まで送るよ。車だし。」

「へえ、恵ったら車持ってるんだ。」

「親のだよ。で、どうする?」

 さっきのキスの感触が不意によみがえる。

 正直レオにどんな顔すればいいのか分からなかった。

「…遅くならないなら行こうかな。何見るの?」

「それは着いてからのお楽しみって事で。そうと決まれば出よう。」

 恵が伝票をもって立ち上がる。

「自分の分は出すから。」

「いいから、お茶代くらい出してやるって」

 あっという間に会計を済ませ、私たちは映画館へ向かった。


「晩飯食べて行かない?」

 映画の後、車の中で恵が私を誘う。

「ごめん。今日は家で食べなくちゃなの。」

「そうなの?」

「ママが、昨日出来なかったから今日やるって張り切ってるの。」

「何を?」

「お誕生会。」

 恵が噴き出す。

「二十歳にもなってお誕生会かよ。」

「笑わないでよ。私だって好きで参加するわけじゃないんだから。」

「ごめん。別に馬鹿にしたんじゃなくて、義理なのに家族仲いいんだなと思って。」

「うちはみんなイベント好きだから。」

 そう、特にレオは今頃張り切って準備している事だろう。

「いいんじゃない、そういうの。楽しそうじゃん。」

「…他人事だと思って。」

「そうじゃないって、本当に。家族は大切にしろよ。」

「そういう恵は、家族の事大事にしてるの?」

「俺?俺、母さんいないし。父さんと二人きりだ。」

 恵があっさりというので、私はびっくりした。

「そうなの?全然知らなかった、ごめん。」

「別にひめが謝ることないよ。俺が中学生の時に病気であっけなくね。」

「…うちもパパが病気でいなくなったの。」

「そっか。でも、今は新しいパパがいるんだろ?」

「新しいパパなんて思ってないもの。私のパパは一人だけ。ルカはママの旦那さま。」

「…俺たち案外、家族ってやつで苦労してんだな。」

 恵がしみじみと言う。

「まあいろんな形があるけど、家族は大切にしような、お互いに。」

「うん。」

 大切な人を失ったことのある者同士だと思うと、何だか恵が今までよりも近くに感じられた。


 恵の運転する車は家の前に到着した。

「今日はありがと。」

 私は助手席から降りようとすると、恵に腕をつかまれる。

「何?」

「ひめさ、今付き合ってる奴いるの?」

 恵がいつになく真剣な顔で私に問いかける。

 私の脳裏にはぱっとレオの顔が浮かんだが、それをすぐに打ち消した。

「…いなかったら?」

「俺と付き合ってくれない?」

 急な告白に私はびっくりした。

 人生で同じ日に2度も告白されるなんて、晴天の霹靂だ。

「何で。いままでそんな素振りしたことなかったじゃない。」

「俺だって意識してなかったんだよ、昨日まで。」

 恵は私から視線を少し逸らしていた。

「昨日ひめのこと見てて、危なっかしくてひやひやした。守ってやりたいって思ったんだ。」

 話しているうちにどんどん恵の顔は赤くなっていった。

「私、恵の事そんな風に見た事なかったから…」

「じゃあ、これからは少しは意識してくれない?」

 恵は大切な友達だったから、私は返答に困ってしまった。

 何も言えずにいると、助手席の窓がコンコンと鳴る。

 振り向くとそこにいたのはレオだった。

 にっこり笑っているが、あれは営業スマイルだという事が私にはわかった。

 レオはドアを開け、手を差し出す。

「お帰り、ひめ花。おいで。」

 恵はつかんでいた私の腕をそっと放した。

 私はレオの手を取り、車から降りる。

 レオは私をひょいと引っ張ると、背後から抱きついた。

「レオ、やめてよ。」

 私の言う事など意にも介さず、レオは恵に話しかけた。

「うん、君は昨日も会ったね。」

「俺は、ひめ花さんの友人で…」

「ひめ花の事、送ってくれてありがとう。それじゃあ。」

 レオは腕の中でもがく私の事なんてそっちのけで、助手席のドアを閉めて恵を返そうとする。

 私はドアが閉まる前にと、急いで恵に言った。

「ごめんね、また学校で。」

「…今の話考えといて。またな。」

 そう言うと、恵の車は行ってしまった。

 家の前に残された、レオが背後霊の様にくっついた状態の私は少し怒っていた。

 レオの事をやっとの事で振りほどくと早歩きで家へと向かったが、コンパスの違いからすぐに追いつかれてしまった。

「何の話してたの?」

「レオには関係ない話。」

「ひめ花、なんか機嫌悪い?」

「レオが約束を破ったから。」

「俺が?」

「私の交友関係には口を出さないって約束したじゃない。」

「口は出してないよ。手は出したかもしれないけど。」

「ベタベタしないっていうのは?」

「あれはいつものスキンシップだろ。」

 振り返ってレオを見ると、今度は本当の笑顔だった。

「友達といるときに出てこないで。」

「何で。見られたら困ることでもある?」

「そういう問題じゃないの。とにかく約束だからね。」

「あんな密室で男と二人きりの所を見ても、我慢しろって?」

「友達だって言ってるじゃない。」

 レオは、玄関のドアを開けようとした私の手に手を重ねた。

 私はレオを見上げる。

「男はみんなオオカミになるんだよ。」

「レオだって男じゃない。」

「俺はひめ花だけのライオンだって言ってるでしょ。」

 素早く顔が近づいてきて、ふいにキスされた。

「やめてよ!誰かに見られたらどうするの。」

「誰も見てないよ。」

「それに、今日の分はさっきしたでしょ。」

「1日何回って決めてなかっただろ。」

「…とにかく、外では絶対やめて。」

「じゃあ、中に入ったらいい?」

「そんなこと言ってない!」

「わかったってば。さあ、二人ともひめ花の事待ってるよ。」

 言いたい事はたくさんあったけれど、レオに促され私は言葉を飲み込んで家の中に入った。

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