第7話

 ノックすると、レオの声がする。

「どうぞ、はいって。」

 恐る恐るドアを開くと、そこにレオはいた。

「何すればいいの?」

「とりあえず、こっちに来て。」

 レオがソファに座って手招きするが、私は入りたくはなかった。

「ここじゃダメ?」

「もちろん、ここに座って。」

 レオは自分の座っているソファの横をポンポンと叩いた。

 仕方なくレオの部屋に足を踏み入れる。

 私の部屋とは真逆の、黒っぽい家具で統一された部屋は、レオに良く合っていた。

 少し離れてソファに座る。

「…私が夕べ何をしたのか、教えてくれる?」

「聞かない方がいいこともあるよ。」

 レオは面白そうに言った。

「思い出したいの。いいから教えて。」

「そうだな、電話に出たのはさくらさんだった。」

「それで?」

「ひめ花が俺をご指名して迎えに来いって。」

「…それで。」

「迎えに行ったら、飛びついてきて離れなくって。」

「うそっ!」

「何とか車に乗せて家に着いたけど、抱っこしてって聞かないから部屋まで連れて行って。」

「…」

「水飲もうとして、こぼしたから脱ぐって言って自分で服を脱ぎだして。」

「………」

「ベッドに寝かしても離れてくれなかったから、そのまま朝ってわけ。」

「…それ本当にわたしの話?」

「俺はひめ花に嘘はつかないよ。」

 私は想像していた以上の醜態をレオの前で晒したことに、次の言葉が出てこなかった。

「俺に内緒で酒なんか飲みに出かけるからだぞ。」

「…それは別にいいじゃない。」

「よくないね。しかも男のいる飲み会なんて。」

「男って、友達じゃない。」

「男は男さ。あんなに前後不覚になって、何かされたらどうするんだ。」

 ぐうの音も出ない。

「そういう訳で、ひめ花の事守ったんだからその対価が欲しいんだけど。」

「対価?」

「そう。」

「何すればいいの?」

 レオは私との間を詰めた。

 いつもとは少し違う真面目な顔で私に話す。

「俺と付き合ってくれない?」

「付き合うってどこに?」

 レオは私の返答にきょとんとした顔をしたが、すぐに噴き出した。

「場所じゃないよ。普通付き合ってって言われたら分かるだろう。」

「普通って…」

「俺のテゾーロになってほしいってこと。」

「テゾーロ?何?」

「恋人だよ。」

 …恋人ってあの恋人?

「恋人?なんで私が。」

「だって、俺ひめ花の事好きになっちゃったから。」

「それは家族愛でしょう。」

「いや、これは恋愛感情だね。間違いない。」

 自信満々のレオに、私はとっても戸惑った。

「間違いないって言われても…」

「ひめ花といると嬉しいし、会えないと寂しい。」

 何だかいつもと調子が違い、真剣な様子のレオに至近距離でそんな事言われると、何だかくすぐったい。

「ひめ花にさわりたい、キスしたい、抱きしめたい。」

 レオはそう言いながら私にどんどん近づいてきていて、もはや体が触れていた。

 私はもう、綺麗なライオンにソファの端に追い詰められて逃げられなくなっていた。

「ひめ花も俺の事好きだろう?」

 レオがそう言いながらそっと手に触れる。

「それは、嫌いではないけど…」

 私は何故か振り払うことが出来ずにいた。

「夕べはあんなに俺の事好きだって言って抱きついたじゃないか。」

「それは、覚えてない。ごめん。」

 レオは私の右手を取って、手のひらを自分の顔に触れさせた。

 手入れの行き届いたレオの滑らかな肌の感触にドキッとする。

「深層心理ってやつさ。ひめ花は俺の事が好きなんだよ。」

「そんな深い意味の好きではないと思うけど。」

「素直じゃないな、素面だと。」

 レオは私を見つめながら手を少し動かして口元へ持っていくと、手のひらにキスした。

 そのしぐさが色っぽくて、私の鼓動はまた早くなる。

「もう1回飲んでみる?今度は忘れられない夜にしてあげる。」

「今は大丈夫、間に合ってます。」

 全力で断る私を、レオはまだ開放してくれない。

「レオ、手放してくれない?」

「ひめ花が“イエス”って言ってくれたらね。」

 レオは私の手や指に何度もキスをして放してくれなかった。

「今のままじゃダメなの?今だってそんなことしてるじゃない。」

「ダメだね。俺以外の男と初めての事するなんて、想像しただけで我慢できない。」

「初めてのって…」

「昨日、何人か男がいただろ。」

「だから、あれは友達だって…」

「友達だろうが何だろうが、俺は嫌なの。」

 まるで子供のわがままだ。

 心の中でため息をつくが、私はここから何とかして脱出したかった。

「…わかった。」

 私がそう言うと、レオの表情がぱっと明るくなる。

「“イエス”って事?」

「私の条件を飲んでくれるならね。」

「条件?」

「とりあえず、その手を放してくれない?」

 レオは不服そうだったけど、それでもしぶしぶ手を放してくれた。

 私はやっと自由になった手を引き寄せ、少し安堵する。

「しばらくの間は、周りの誰にも秘密にする事。」

「そんな事?もちろん問題ないよ。」

「私の交友関係に口出ししない事。」

「男がいても?」

「そう。レオだって女の友達いるでしょ。」

「そりゃそうだけど。」

 レオの顔には不満げな表情が浮かんだ。

「それともう1つ。」

「まだあるの?」

「誰かが見てるところでベタベタしない事。」

「えーっ!そんなの無理だって。だって恋人になるんだろ。」

「だって、ただでさえレオはスキンシップが激しいから。」

 レオは少し考え込む。

 無理と言われればなかったことにできる。

 ところが、私の淡い期待はあっという間に打ち砕かれた。

「オッケー、わかった。」

「わかったって…」

「今日から秘密の恋人って事でいいんだろ。しばらくなら我慢するよ。」

「…本当に?約束できるの?」

「もちろん、ひめ花の望みならね。」

 レオなら絶対断ると思ったのに。

 私は内心がっかりする。

「その代わりと言っては何だけど。」

 にっこりと微笑むレオを見て、私は嫌な予感がした。

「何?」

「毎日キスできるっていうのはどう?」

「えっ、キス?」

「俺ばっかり我慢するのはフェアじゃないだろ。」

 確かに言われてみればその通りだ。

「…どこに?」

「もちろん。」

 レオが唇を指さした。

 今度は私が考え込む。

 何だか対価が大きいような気がして仕方がなかった。

 キスの経験はまだなかったが、いつもレオがするみたいに軽く触れるくらいなら出来ないこともない気がした。

「…本当にキスだけだからね。」

「わかった。」

「二人の時だけだからね。」

「わかってるって。」

 そう言うと、レオは私に覆いかぶさってくる。

「ちょっと。」

「今日の分。」

 綺麗な顔がこれでもかというくらいに近づいてきて、私はぎゅっと目を閉じてしまった。

「ひめ花、ちょっと力抜いて。」

 レオが少し困った様子で言うけれど、私の体は言う事を聞かなかった。

「まあ、いいか。」

 次の瞬間、唇に何かが触れた。

 終わったのかなと思いうっすら目を開けるけど、まだレオの顔はそこにあった。

 レオは触れるだけのキスを何度もする。

「もうお終いっ…」

「1回なんて条件はなかったはずだけど?」

 からかうようにそう言うと、またキスをする。

 確かに、回数までは決めてなかったけど。

 あまりに刺激が強すぎて、どうしていいかわからない。

 何度もキスされているうちに、私の体のこわばりもちょっとずつ解けていく。

 力の抜けた唇に、レオの舌が割って入ってきた。

 柔らかな舌で口の中を弄られる。

 頭の芯がクラクラしてきて、何も考えることが出来なくなってしまった。

 どのくらいそうしていただろう、やっとレオの唇が離れてくれた。

 私は腰が抜けたように今度は力が入らず、なかなかソファから起き上がることが出来ずにいた。

「思った通り、ひめ花は甘くておいしい。」

 放心状態の私にレオが嬉しそうに話しかける。

「もしかしてファーストキスだった?」

「………」

「だとしたら、ラッキー。ひめ花の味知ってるの俺だけって事だろ。」

 ご機嫌モードのレオに、私はもう答える気力も残っていなかった。

 なんとかソファから起き上がる。

「立てる?部屋まで運んであげようか?」

「…大丈夫。とにかく約束は守ってよね。」

 立ち上がり、何でもない風を装いながら歩き出す。

「オッケー。」

 レオの返事を背中で聞きながら、私は部屋を後にした。

 唇にまだレオの感触が残っていて、ドキドキしている自分がいた。

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