「輪廻の方舟」
蛙鮫
「輪廻の方舟」
ぼんやりとした意識の中、ゆっくりと目を開いた。視界は濃い霧でそこら中覆われていた。
「ここは?」
状況が把握できない。足元を見ると大小形が違う石が敷き詰められている。周囲を把握するためにそのままゆっくりと進んでいく。
霧が薄くなってき、景色がはっきりとした。川が流れていた。見渡す限り大きな川だ。
川? なんで? それよりここは? 疑問がふつふつと湧き上がってくる。
「なんだい。お客さん。若いね」
声のする方に首を向けると笠を被った人が立っていた。顔が隠れてよく分からないが声の低さからおそらく男性だろう。
彼のそばには一台の小舟が止まっている。
「あなたはだれ? それにここは?」
「ここはこの世とあの世の境目だ。この船でお前さんをあの世に運ぶ」
僕は耳を疑った。あの世。この世。そんなところにいるって事は死んだのか。
「なんで。僕が」
「そんな事分からねえよ。そんで乗るの? 乗らないの?」
彼が急かすように問いかけてくる。そうは言われてもここにいる理由が分からない。
「まず死んだ理由が分からない」
「そんならこれを飲め」
彼が懐から包み紙を手渡してくれた。ゆっくりと開けると赤く丸いザクロのような実があった。
「それを口の中に入れたら、記憶が蘇る。元は罪人に前世の罪を思い出させるためのものだが今回は仕方ねえ。ここにいる理由が分からない奴を向こう岸に運ぶのも寝覚めが悪いってもんだ」
「ありがとう」
僕は彼から赤い物体を受け取り、口の中に投げ入れた。その瞬間、ぶるぶると脳みそが震え始めた。そして視界が暗闇に包まれた。
脳裏によぎるのはトラックが僕に向かって突っ込んでくる光景。そうだ。僕は轢き殺されたんだ。
トラックの前面には僕の肉片と赤黒い血液がべっとりと張り付いている。周囲からは叫び声と野次馬が僕を囲んでいる。
「そうか。僕はだから、僕は」
突きつけられた真実に耐え切れず、僕はその場でへたり込んだ。冷や汗とともに視界が潤んでいくのが理解できた。
「大丈夫か?」
「僕。死んだ」
彼が震えて止まらない僕の背中を優しくさすってくれた。
「無理もない。稀にいるんだ。自分の死因を理解できずにいるやつが」
「僕はこれからどうなる」
「向こうに行かなければならない。そこで前世の行いが調べられて今後の行方を告げられるだろう」
天国行きか地獄行きか。そんなところだろう。
「なあ、生き返るってのは」
「仮に魂を戻したとしてもお前の肉体は木っ端微塵だ。どうせすぐこっちに戻ってくる羽目になるぞ」
絶望。その二文字が僕の双肩に重くのしかかった。
「船に乗れ。ここでさまよっていてもロクなことにならない」
「ロクなことって?」
そういうと彼はなんとも言えない表情を浮かべた。言葉が詰まる。いや言葉に困るというのは正しいのか。
「悪霊になる。現世に戻れば最期。多くの人間に否応なく不幸を巻き、こちら側のやつに見つかれば間違いなく地獄行きだ。長い間、時間という概念から離れた場所で苦悶を受け続けることになる」
彼が悲しそうな声で僕に語りかける。僕はなんとか両足に力を入れた。ゆっくりと船の前まで足を動かして行く。
この船に乗ったら最期。完全に自分が元いた世界とは隔絶される。僕はひと呼吸置いて、静かに船に乗った。
「ねえ、あなたはいつからここにいるんだ」
「さあな。ただ数え切れない死者を向こう岸に運んできた。数で表すのも面倒なほどだ」
「はっ。なんだよ。それ」
絶望を受け入れるとどこか笑えた。おそらく命あるものに死以上の恐怖や絶望が存在しないからだろう。
「俺はお前ならすぐにあちらに戻れると思っている。不慮の事故の被害者を蔑ろにする奴はいない。平等に秤にかけるんだからな」
「ありがとう」
彼の声掛けにどこか勇気が湧いてきた。死んだ。その事実は変えられない。しかし、向こう岸についた時にもう一度、僕が始めるのだ。
僅かに浮き立つ魂を感じながら、静かにただ、川の流れに身を任せた。
「輪廻の方舟」 蛙鮫 @Imori1998
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