2-2

 六条院の宣言通り、四十分ほどすると星野の家の玄関から松本を呼ぶ声がした。星野は握り飯をアルミホイルで包むと松本の手に押し付けた。


「ほら、行ってこい」

「ありがとう、幹夫さん。行ってきます」


 松本が礼を言って玄関を開けると、そこには第一部隊副隊長の志登しとが立っていた。


「あれ、志登さん?」


 〈ウプシロン〉の担当は第四部隊のはずなのに、と松本がいぶかしんでいると、志登は、よっ! と軽く挨拶をした。


「俺も呼び出されて、ついでにお前を拾って行けって言われた」

「志登さんもこのあたりが実家でしたっけ?」

「いや、祖父の墓参りに来ただけ。せっかくだから祖父の家の手入れだけして泊まってやろうかと思ってたけど、呼び出されたから中止。……それはいいとして、お前、ここが実家なの?」

「……いろいろありまして」


 志登もおそらく星野の世話になったことがあるクチなのだろう。養成機関は一年コース、二年コース、三年コースのカリキュラムが組まれており、通いながら少額の給与が出るためかなりの人気を誇る。ただ、ほとんどの人間が早く本格的な給与を必要としているため、大体の人間は一年コースを選んでいた。


「俺、星野教官の射撃訓練で褒められたの覚えてる」

「ああ、幹夫さん上手ですよね。今でもたまにイノシシ狩ってますよ」


 狩猟免許も持っている彼は今でもたまに、ユリの墓がある裏山で害獣駆除を兼ねてその腕を披露しているらしい。


「マジで? てか松本は星野教官を下の名前で呼ぶんだ。ちょっと意外」


 はは、と志登は笑いながら松本を自動車へといざなった。


「お前は助手席な」

「……すみません」

「いーっていーって。謝ることはなし! 俺ら、同じ階級だぜ」


 道中眠くならないようになんか話してくれよ、と言って志登は自動車のエンジンをかけた。





 人の営みがほとんど感じられない田舎道を志登の自動車はひた走る。街灯もほとんどない場所だったため、星がよく見えた。


「松本はさ、なんで星野教官のとこに住んでたの?」

「……うーん、拾ってもらったからですね」

「敬語禁止。階級一緒だぜ?」

「え、俺、隊の年上の隊員さんにも敬語ですけど」

「それはまあ、好きにしろよ。俺が、お前に敬語使ってほしくねえの」


 ほら、いいだろ、と志登は松本をつついた。運転中なのだから助手席の人間にちょっかいをかけないでほしい、と思いながら松本は諾、と返事をした。


「拾ってもらったから。本当に、それだけ」

「どこで、拾ってもらった?」

「……覚えてない。でも、とにかくうるさくてまぶしくて不快なところだった。そこで俺がどうやって暮らしてたかはあんまり覚えてないけど、少なくとも人間の暮らしじゃなかった」


 松本はそこで一度言葉を切った。


「で、幹夫さんは俺を人間にしてくれた人で、俺はほかに帰る家もないからずっとここが俺の家」


 これでいいか、と志登に問えば、静かにうなずいた。


「よかったな。拾ってくれた人が、星野教官で」


 静かに言われたその言葉に、松本は少し驚いた。大体の人間は答えに窮するところで、よくても「大変だっただろう」という言葉しか出てこない。それをよかった、と言える志登に好感を持った。


「……そう思う。まあ俺が世話になり始めてからは、教官じゃなかったけど」

「ああ、退官されたくらいか」

「人間の生活のいろはを叩きこまれたの、今となってはよかったけど当時はすごく嫌だった。俺、ドライヤーが苦手で」

「犬か」


 俺の実家で飼ってた犬も苦手にしてたよ、と面白そうに言う志登を無視して松本は続けた。


「音が大きくて苦手だったから、ドライヤーかけなくてもいいようにってユリちゃんが丸坊主にしてくれた」

「すげえなお前」


 はは、と志登は朗らかに笑った。


「……俺ばっかり話すの不公平な気がしてきた」

「俺は運転手だから、話すよりは聞いていたい。俺の話はまたいつかな」


 運転をしてもらっている身で文句は言えなかった。松本はため息をつくと、次は何がいいのかと訊ねた。


「ああ、じゃあ、今の隊で働いている感想」


 志登の顔からはうかがえなかったが、おそらく松本のことというよりは六条院のことが聞きたいのだろうとすぐにわかった。隊長同士、隊の中以外の人間と言葉を交わす六条院はあまり見たことがなかった。おそらく不用意に他人の興味を引かないようにしているのだろう。それを間近で見てきた松本はまず志登に対して宣言する。


「興味本位なら、話せない」

「そうだろうと思った。まあ、これは俺が気になってるっていうより稲堂丸隊長が気にしてる」

「なんで?」


 突如出された志登の上司の名前に松本は戸惑った。


「人間、相性ってあるだろ。どんなに六条院隊長がいい人で、お前がいい人だったとしても相性はどうしようもできない。磁石のN極とN極は永遠に近づけない」

「……そういうことか」


 松本のは脳内で稲堂丸の顔を思い浮かべる。第一部隊の隊長は全隊長の中で一番年かさだが、公平な人間だと知っていた。その彼が心配をしているのならば答えるべきだろう。彼は、星野と同じく六条院を色眼鏡で見ない人間だ。


「仕事もやりやすいし、プライベートも問題なし。少なくとも、俺のこの呪いみたいな才能を買ってくれて肯定してくれるだけですごくありがたい」

「それならよかった。いやまあ、六条院隊長もお前の昇進を後押しした人だから心配ないって俺は言ってたんだけど、あの人見た目に似合わず心配性なんだよ」

「失礼だな」

「そんなこと言ってお前も声が笑ってんぞ」


 小柄だがかなり筋肉質で強面な稲堂丸は屈強な男だ。泣く子も黙る、という言葉が相応しいが、どうやらそれは見た目だけのようだ。


「で、プライベートって?」

「知ってるのにそれ訊かれるとは思わなかった」

「いや気になるだろ」


 仕事はまあいいけど、と志登は言う。確かに、あれだけの有名人と同じ建屋の隣の部屋に住んでいるとなれば興味を引くのは当然か。

 松本はため息をついて一言だけ返す。


「問題なし。以上回答終了」

「チッ、つまんねえな」

「部屋が隣だからって休日まで顔つき合わせたりしない。多分、俺と隊長だと生活サイクルが違う」


 休みの日でも平日と変わらない時間に起床する松本に対して、おそらく六条院は睡眠を長くとるタイプだ、と松本は認識している。窓を開けたときに向こうの家の生活音を耳が拾ってしまって気がついた。それ以降松本は必要最低限しか窓を開けない。


「ふうん」

「うるさいって言われたことも言ったこともないから問題なし」

「言われないだけでこっそり次の考課に響いてたりして」

「冗談でもやめてください」


 松本の抗議に志登は笑うだけだった。運転手でなければ手の一つや二つ出たかもしれない、と思いながら松本は背中を助手席のシートに預けた。




 ――前方には、そろそろ【中枢】地区が見えていた。


【2-2話 END】

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