第二話 Moonshiner
2-1
二、
――その日は梅雨の合間の貴重な晴れの日だった。
「ただいまー」
夏本番はまだだけど暑いな、と言いながら松本は、その家の引き戸を開けた。実に八年ぶりの我が家だ。本日が公休日となっている松本は、【住】地区二十番街〈ウプシロン〉に帰っていた。
【貴賓】地区にいた間は【住】地区との往復に制限がかかるため、連絡手段は端末を通した通話もしくはメッセージに限られる。ときおりビデオ通話もしていたが、実際に顔を合わせるのとは少し違うな、というのが松本の感想だ。
「おかえり。よう帰ってきた」
「ただいま。いやあ、幹夫さん老けたねー」
八年も会っていなければ人間は想像以上に年を取る。驚いた気持ちをごまかすためにわざと茶化せば養い親である
「男前があがったち言うと」
「その年でそれ以上あげてどうすっと」
あはは、と声を出して松本は笑う。星野がしゃべる言葉は松本にもなじんでいたが、仕事をするようになって徐々にどこかに潜んでいったと思っていた。だが、こうして話し出せば簡単に戻ってしまうものだ。
「ユリちゃんは?」
「あっこ」
星野は家の裏手の山を指さした。その方角に向かって松本は黙って手を合わせた。一年前に鬼籍に入った彼女は星野の長年の伴侶だった。年を重ねてもどことなく少女のような無邪気さを兼ね備えていた彼女のことが松本も好きだった。もともと心臓が弱かった彼女は、眠るように息を引き取ったと聞いている。養子縁組をしていれば違ったかもしれないが、あくまで里親、という立場で松本を見守ってくれた人間への慶弔休暇は認められず、本日まで訪ねることができずにいた。
「遅くなって、ごめんね」
「うんにゃ、気にすんな。お前ががんばっとったのは知っとうよ、ユリも」
「うん」
松本は玄関の框に荷物を置くと、ふう、と息をついた。靴を脱ごうと腰をかがめた瞬間、星野から待ったがかかった。
「なに?」
「このまま畑からトマト持って帰ってこい。はさみはこれ」
「はいはい」
星野に押し付けられた麦わら帽子をかぶり、松本は靴を脱ぐ暇もなく、再び外へと逆戻りするハメになった。
○
「そんで、異動先には馴染んどるか。【中枢】も大戦前は昔はただの更地やったとに、いつ間にかビルがにょきにょき生えよって、お前にはきつかろ」
松本が畑から持って帰ってきたトマトと、手土産として持参したビールは早速昼の食卓に出た。晴れ間で暑いから、と昼の献立はそうめんだ。炭水化物に酒をあわせることはあまりしない松本だが(そもそもあまりアルコールが得意ではない)、久しぶりに顔を見せた家で断ることもできずに、少しずつ飲んでいる。
「ん? まあそりゃ【貴賓】地区に比べたらまず生活に慣れるのに時間かかるし、今までとは仕事全然違うからわからんこともようあるけど」
「けど?」
「のびのびやっとうよ」
ずず、とそうめんをすする。その様子を見た星野は目を細めた。
「ん?」
「山次、よかったなあ。いい顔しよる」
「……まあ、隊長も俺の能力を買ってくれとったみたいで、ちょっとそこにはびっくりしたけど」
「ああ、お前んとこの隊長か」
「幹夫さん、もしかして知り合い?」
星野はもともと〈アンダーライン〉に所属していた人間だった。現在の年は七十であり、最後は養成機関の教官を務めて十年前に退職をしていた。松本が星野に拾われたのは、星野が退職する直前だった。そのため二人並んで歩くと親子であるのか祖父と孫であるのかといった不思議そうな視線が飛んでくることも多々ある。松本自身は親子という関係が近いのではないかと思っているが星野の方がどう思っているのかは知らない。
「俺が最後に教えた養成機関の卒業生やった。優秀やったけん、よう覚えとる。今でもときどき連絡をよこす貴重な卒業生や」
「連絡来るんだ、意外」
名前ではなく、成績で覚えているところが星野らしいと思ったが、そんなところでつながりがあるとはまったく想像していなかった。
「この間も連絡あったぞ。優秀な副官が配属されましたって」
「うわあ」
「そんで、家が隣になったっち続いとった」
「……それは、その、成り行きで」
松本が言い訳のように言うと、星野は笑った。わかっているよ、と言わんばかりのそれに、手を横に振る。
「元気にやれとって、よかった」
その声音が松本の想像以上に真剣で、心配をかけていたのだと痛感した。
「……うん。ありがとう」
松本はもくもくと箸を動かした。久しぶりに心の底からゆっくりできる相手と食事をすることは、想像以上に松本に癒しを与えてくれた。
「山次、今夜は泊まっていくとね?」
「あーうん。明日の昼から当番だから朝には出るつもり。あ、場所無かったら帰る」
「用意しとるに決まっとろうが。泊まってけ」
「ありがと」
夜は久しぶりに寿司を取ろうと張り切る星野に、松本もつられて笑った。帰ってくる場所があって、受け入れてくれる人がいるのは嬉しいことだと思い――ふと六条院のことが浮かんだ。
「幹夫さん」
「ん?」
「覚えてたらでいいんだけど、隊長って養成機関のときは休暇、どうしよった?」
幹夫は少し考えてから箸を置いた。
「……ずっと、残っとった。家には帰らんっち言うとったな」
「やっぱり」
「そんで、俺がうちに連れ帰ってやったこともあった」
星野の回答に思わず松本は飲んでいたビールをふき出しかけた。松本がこの家に来たときに妙にいろいろとそろっていると思っていたが、もしや。
「ああ、すぐに捨てるんはもったいなかったんで、残しとった」
「……知りたかったような、知りたくなかったような」
複雑そうな表情を見せる松本に星野は呵々と笑った。
「年相応の普通の少年やった」
「多分、そう言うの幹夫さんだけやと思う。あ、うそ、ユリちゃんも言う」
「俺たちの間には子どもおらんかったしなあ」
まあ、何考えとるかはわかりにくい子どもだったが、と懐かしむように言う星野に、松本は不思議な気持ちになる。
松本が彼を知るよりも前に、ふたりを繋ぐ人がいた。世界はどこかで繋がっている。そして、今、星野の口から少し若い六条院の話が出るのが、嬉しいと松本は思った。
いつの間にか空になってしまったそうめんをいれていたガラスの器を見て、松本はごちそうさま、と手を合わせる。
「片付けやるよ」
「おう、頼む」
○
「風呂ありがと」
星野の宣言通り、夕飯は寿司だった。寿司で腹がくちくなったあと、松本は久しぶりにゆっくりと風呂に入った。隊舎でも自宅でも早風呂、早食い、早寝(これは寝つきがよいという意味だ)が身についているが、たまにゆっくりするのも好きだった。
「おう」
「シャンプーもありがとう」
星野家の風呂は今よりもさらに感覚が過敏だった松本のためになるべく香料を使わず、肌への刺激が少ないものを置いていた。それが今でも使われているのを知って、思わず頬を緩ませたのは内緒だ。
「今度は俺が気に入って使っとる」
年取ると肌から油分がのうなっていかん、とぼやきながら星野が風呂に向かった瞬間、松本の私用の端末が着信を告げた。
「?」
表示名は六条院だった。珍しい時間帯に電話が来ることに首を傾げていると、早く出ろ、というジェスチャーを星野がする。その場で出るのもはばかられて、松本は縁側からつっかけを履いて庭に下りた。つっかけが星野の足のサイズに合わせてあるので松本には小さく、かかとがはみ出した。
「――もしもし」
『休みの夜にすまない。今から出てこられるか』
端的に用件を告げる六条院に、松本は少し迷ってから返事をする。せっかく、星野は泊まりの用意をしてくれていたが、きっと彼は松本が泊まれなくなったことよりも緊急事態にここに留まることを叱る。
「今、実家がある〈ウプシロン〉に帰っているので……少し時間をいただきますが、それでもよければ」
『助かる。そこからだと交通機関がもうないだろう。迎えをやるゆえ、四十分後には出られるようにしておいてくれ』
「あ、あと少しアルコール入れてますが大丈夫ですか」
『構わぬ。ただ運転は明日までするな』
「了解です。では」
松本は通話を終了させ、後ろを振り返る。星野はまだ、風呂に行かずに待っていた。
「……ごめん、戻らないといけなくなった」
「出世するとそうなるもんや」
松本が庭から家に上がる。星野の近くに歩み寄れば、彼は松本の頭を撫でようと手を伸ばした。
「おい、少しかがめ」
無言で松本が頭を下げると、星野は松本の頭をぽんぽんと軽くたたいた。
「がんばりや」
「うん」
「怪我と病気には気ぃつけりぃよ」
「うん」
「……また、いつでも帰って来いよ」
「うん。ありがとう」
松本は礼を言うと、持ってきた泊り道具たちが入ったリュックサックから来るときに身に着けていた服を取り出した。さすがに寝間着のままで戻るわけにはいかない。
「握り飯でもつくってやるから、向こうで食え」
「え、いいの」
「明日の朝に向けて炊飯器に入れた米は俺ひとりじゃ量が多い」
早炊きすれば間に合うだろう、と言う星野に松本はもう一度礼を言った。
「具は梅干しにしてやる」
「……いいの?」
現在の星野家の梅干しは生前にユリが漬けたものだった。大量の塩と共に漬けられたそれが腐ることはないが、食べてしまえば終わりだ。それを惜しみなく使ってくれる星野の厚意が嬉しかった。
「六条院にもやってくれ」
「うん」
幹夫さんからだって言っておくね、と付け加えた松本に「それは言わんでよか」と星野は言った。――それが照れ隠しであることを松本は知っていた。
【2-1 END】
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