2-3

「遅くなりました」


 深夜の隊舎は意外とにぎやかだ。二十四時間体制の組織のため、深夜の今は隊長補佐二人(日勤の時間以外は彼らが通報を巡回チームに繋いでいる。副隊長より一つ下の階級だ)が本部の役割をまっとうするために待機している。

 松本と志登が部屋に入ると六条院と稲堂丸が難しい顔をしていた。


「二人とも、休みのところ呼び出して悪かったな」

「いえ」


 稲堂丸が代表して謝罪をする。松本はロッカーから引っ張り出してきた〈アンダーライン〉の腕章をつけながら訊ねる。


「俺たちが二人とも呼ばれるってことはかなりまずいことが起きてるんですか」

「――夕勤のチームが引継ぎ時間にも関わらず戻ってこない。第一部隊で一つ、第三部隊で一つだ。隊員の端末と自動車にはGPSがついているが、そこから動かぬままだ」


 松本の問いに六条院が答える。六条院が示したモニターにはGPSの発信地を示す赤い丸が六つあった。

「……変じゃないですか」

「ああ。【住】地区五番街〈イプシロン〉と七番街〈イータ〉巡回チーム、どちらとも六番街〈ゼータ〉の入り口周辺に自動車と端末だけ残ってた。誰かを追いかけていたのか、何かを探していたのか、たまたま居合わせただけなのか。こちらにはなんにも情報が入ってねえから、おそらくたまたまいただけだろうが」


 稲堂丸は腕組みをしたまま唸るように言う。常人が目にすればおそらく怯えただろうが、ここに集う人間はただ心配しているだけだと知っていた。


「そこで、悪いがお前らだ。もう捜索に避ける人員が限られてるからな。お前らの力を借りたい」


 じっと松本を見る稲堂丸に何も思わないほど松本は愚かではない。


「……そういうことですか」

「そういうことだ」


 お前の能力を頼りにしてるぞ、と言って稲堂丸は分厚い手で松本の背中をバンバン叩いた。「痛え!」と抗議するも稲堂丸に響いた様子はなかった。志登と二人、すぐさま出発の準備をさせられ、念のためにと連絡が取れなくなった隊員たちの顔写真と巡回の走行記録と通話記録を持たされた。


「松本」

「はい?」

「無理をするな。まずいと思ったらすぐに志登に言え」


 いつになく真剣に松本を案じる六条院に、松本はにこり、とほほえむ。【住】地区六番街〈ゼータ〉はいわゆる繁華街で、飲み屋を筆頭とする水商売の店も多い。松本にとってはかなり刺激の強い場所だ。


「お気遣い、ありがとうございます。ほどほどの範囲でがんばります」

「……それでよい」


 六条院も少し頬を緩めると、松本の肩を軽くたたいた。そこで、松本は星野に持たされていた握り飯の存在を思い出した。


「あーよかった思い出して! これ、お渡ししておきます。幹夫さ、……星野から隊長にと預かってきました」

「? 星野教官?」

「ちょっとわけありでして、俺、幹夫さんに世話してもらってたことがあるんです。今日は親孝行じゃないけど、まあそんな感じで戻ってました」


 松本がかいつまんで説明すると、六条院は「ありがたくいただく」と言って大事そうにアルミホイルに包まれた握り飯を持った。


「中身はすごく酸っぱい梅干しです」

「……懐かしい味だろうな」


 その少し柔らかくなった空気に、本当に星野は六条院を家に招いたのだろうなと松本は思った。


「では、今度こそ行ってきます。日勤との交代時間には一度戻りますのでよろしくお願いします」

「ああ、よろしく頼む」





 【住】地区六番街〈ゼータ〉の入り口までやってきた松本は街の喧騒ときらめきに思わず目をすがめた。さざめく人の声、揺れるネオン、空気の中に漂うアルコールとたばこと香水――どれもが松本には刺激が強い。


「大丈夫か?」


 志登が気遣うように訊ねた。松本は大丈夫だと答えてサングラスをかける。夜の街にはそぐわない格好だったが、繁華街で松本の恰好をいちいち気にする人間はいない。


「おそらく何か気になるものを見つけて、二手に分かれたところを襲われたんだと思う」


 松本は自らの推測を言葉にする。


「なぜそう思う?」

「GPSの地点が微妙に離れてたし、さっき現場通った時に変なニオイがした。〈アンダーライン〉の隊員からはまずしないニオイだ」

「ニオイ」


 志登は不思議そうな顔をして松本を見た。


「なんだろうな……とにかくちょっと嗅ぎなれないニオイだった」

「……わかった。もし俺たちが知らねえ薬物だったらまずいな。早めに探そう」

「ただし、二手に別れるのはだめだ。多分、別れたら俺たちもやられる」


 松本はそう言って腕章を指さす。腕章を見れば二人が〈アンダーライン〉所属の人間であることはすぐにわかってしまう。見つけてくれ、と自らアピールしているようなものだ。


「じゃあ行くか」


 志登はよし、と手を叩き、松本とともに夜の街への一歩を踏み出した。途端に押し寄せる情報に思わず松本は眉間にしわを寄せる。


「おい」

「大丈夫。本当にやばくなったら言う」


 道行く人間はなぜ自警団がここにいるのだろうか、という視線を遠慮なくぶつける。その人間を観察しつつも、人が隠れられそうな細い道をちらちらと見ていく。

 ――その時不意に、先ほどの不思議なニオイが松本の鼻をかすめた。


「ん?」

「どうした?」

「さっきの変なニオイがこっちからした」


 松本は風上を指さす。アルコールや香水の香りに紛れて形容しがたいニオイがわずかにした。そう訴えた松本の言うことを志登は疑わずに走り出した。


「あ! いた!」


 走り出して数分したところで、松本は狭い路地に放置されていた自隊の隊員を見つけた。くたり、と建屋の壁に寄り掛かっている彼の腹はわずかに上下していた。


「救急呼ぶぞ」


 志登はそう言うと、端末で救急へ連絡を入れた。松本は倒れていた隊員に近づくと、わかるか、と声をかけた。


「……ふ、く、たいちょう……」

坂本さかもと、どこ行った」


 弱ってはいるが、意識がある彼にバディの居場所を問うと、彼は腕を上げて自分よりさらに奥の空間を指さした。


「もっと、むこう、たぶん、おれたち以外にも、まだ、います……」

「わかった。……桑原くわばら、酒飲んだか?」


 しゃべるたびにわずかに香るアルコール臭に松本が訊ねた。職務中に飲むわけがない、という前提のもと訊ねると桑原は首を縦に振った。


「……飲まされ、かけ、ました」


 松本の記憶が正しければ桑原はアルコールが一滴も飲めなかったはずだ。桑原は「無理やり飲まされかけたが、命に係わるので即刻吐き出した」ということを切れ切れに言った。


「志登さん……まずいかもしれない」

「同感だな」


 おそらく彼らが飲まされたのは密造酒だろう。通常の手順で作られた酒の方が美味いのは当然だが、数年おきに粗悪な密造酒が出回るのがこの地区だった。そして粗悪な密造酒には往々にしてメタノールが混ぜられる。メタノールによる中毒症状が出る摂取量は人によって異なるが、口封じを兼ねた試飲役にされてしまっている可能性が高い。


「桑原はいいが、他の人間は手遅れになるかもしれない」

「どうする」


 ここでバディを崩さず桑原を置いてさらに奥に入りこむか、崩して二手に別れるか。迷うふたりに桑原が声をかけた。


「……行ってください」


 僕はここで待ってます、と言って桑原は大きく息を吐いた。


「松本、本部に連絡してくれ。第二部隊の巡回チームをここに呼ぶ」

「ああ、その手があった」


 そこに発想が至らなかった時点で動揺していたのだ、と松本は反省する。通常の巡回チームへ連絡すれば桑原を保護してくれるのは間違いない。松本は本部へと連絡を取り、第二部隊の巡回チームはすぐに来るとの返事をもらった。


「行くか」


 志登の言葉に松本は無言でうなずく。この先に残る三人とも無事でいればいいが、と思いながら二人は歩み始めた。

 路地の奥を進んでいくと、思ったよりもすぐに三人を見つけることができた。折り重なるようにして地面に倒れている三人を少し離れた地点から見つめる。


「……罠か?」

「いや、特に変な気配もなければニオイもしない」


 志登の問いかけに松本は答える。ただし志登と松本の二人で三人を運べるかというと答えは否だ。


「……妙だな。俺たちみたいな人間をそのまま放置するってことはそこから足がつく可能性があがるのに」

「木を隠すなら森、って言うから、ここみたいに人間の多い場所なら捨て置いてもいいと思ったんじゃないか」

「……まあ、いずれにせよ、これから調べたらわかるだろうだな」


 志登はそう言うと、倒れている三人に近寄った。おい、と自隊の人間に呼びかければひとりが目を覚ました。がばり、と起き上がってあたりを見回し「桑原は……」とつぶやいた。その顔を見て松本は声をかける。


「あ、お前桑原の同期の」

「はい、あいつだけ途中でいなくなってて」


 ちゃんと、いましたか、と訊ねる彼に松本は大丈夫だと言い聞かせ、他の二人を見た。


「起きそうか?」

「無理だな。伊勢野ルビを入力…、立てるか」


 志登の確認に意識を取り戻した隊員――伊勢野は首を縦に振った。


「走るのは無理かもしれませんが、歩くだけなら」

「上等だ」


 松本と志登で手分けして残りの二人を担ぐ。救助のいろはは仕込まれているが、自分と同じくらいの体格の人間(しかも意識がない)を担ぐのは中々骨が折れた。


「伊勢野、お前も戻ったらすぐに病院行くからな。今は症状出てないだろうが、そのうち出てくる」


 密造酒、おそらく粗悪なものであるそれには高確率でメタノールが含まれている。メタノール中毒は症状の判断がしづらく、症状の出方にも個人差があるため今は元気に見える伊勢野も危ない。今回は飲まされた可能性が高いことがわかっていて幸いだった。


「っ、はい……」


 志登の指示に伊勢野は身体をこわばらせた。


「目、見えにくいとかないな?」

「今のところは、大丈夫です」

「変化が起きたらすぐに言え」


 いいな、と念を押して志登は先頭を歩き始めた。次いで伊勢野、殿に松本と続く。感覚が鋭い松本が殿にいれば、何かあったときに気がつけるだろうという采配だ。


 ――全員何事もなく復帰をしてくれ。



 祈るように歯を食いしばり、松本は背中の隊員を担ぎなおした。



【2-3話 END】

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