銀河フライス
人類に文明が生まれてから宇宙に飛び出すまでと、飛び出してから今までの時間がだいたい同じくらいになった遥かな時代。人類は銀河系すべてを我が庭のごとく飛び回り、しかしいくら重力井戸が無いとは言っても遠すぎていまひとつお隣のアンドロメダ銀河にもトライアングルム銀河にも出ていけない、そんな頃合い。隣の銀河に出ていかなければ得られないもの、なんてものは研究者以外にはほとんど無く、たまにちょっとした物好きが旅行しにいく程度。超光速航行でもアンドロメダ銀河まで2年半ぐらいかかるし、トライアングルム銀河には丸3年かかる。その間ずっとハイパーネットの基地局も近くに無いと来れば、できる娯楽もめっきり少なくやってられない。そういうわけで、人々は銀河系の中をびゅんびゅん飛び回って過ごしていたのだった。
宇宙地理に詳しい人なら、さっきざっと言った移動時間から宇宙航行の速度が割り出せるかもしれない。1年あたり100万光年のスケールだ。すると、銀河系は端から端まで行っても一ヶ月ちょっとで、周縁部を一周しても2ヶ月半で回れそうだ。ところがここでフェリーの航路を調べてみると、銀河系の中心にほど近いアショーカ星系からまっすぐ外縁部のイリュストラシオン星系までは8ヶ月と2週間と1日と出てくる。この差がどこから生まれたのかというと、もちろんまっすぐ行くわけは無くいろいろな星系に寄っていくからという理由もあるが、それよりも、そこかしこに星系という形の重力井戸があるから、というもっと大きな理由があるからだった。
重力のあるところ、つまり質量が異常に集中しているところ、言い換えれば恒星のあるところは空間が歪んでいる。で、超光速航行は空間の歪みが本当に全く無いことを前提とした飛び方をしている。よく知らないが、まあ、そうらしい。この間の教養講座でそう習った。ちなみに、アショーカ星系からイリュストラシオン星系まではどこへも寄り道しない直行便を作れば5ヶ月ほどで到達できるらしい。
昨日の夜(協定標準時)寝る前に、私が入り浸っている、ハイパーネットのあるプチ・掲示板サービスであるクルーズ船の事故が話題に挙げられていた。ニュース越しの事故なんかはいちいち気にしていたら気を病んで一ヶ月もしないうちに自殺してしまうんじゃないかという感じなので、今回のもまた「うわあ、また痛ましい事故だなあ」と思うぐらいで、眠かったので昨日はすぐに寝た。起きるとチェックしているどのニュースステーションもその話題でもちきりだった。訳知り顔のコメンテーターが深刻そうな顔をしていたがどうせ凡百のことしか言わないと知っていたので接続を切り、信頼しているニュース解説者の記事を探しに行った。
なるほど、星系開発で星系から弾き飛ばされた惑星が恒星間天体として浮いていて、非常に偶然に、そこにクルーズ船がぶつかってしまったらしい。超光速航行をしていたクルーズ船は瞬く間に次元間断裂を引き起こし、乗客乗員は全員行方不明、と。星系開発業者は責任を問われ、しかしまたこのような事故が起こる可能性はほとんど無いだろう、とも。それはそうだ。何せ、宇宙はとんでもなく空虚なのだ。そこでこんな事故をもう一度起こせだなんて、スターリングエンジンのおもちゃに火を入れずブラウン運動だけで動かせと言うようなものだ。物理学的に全くありえなくはないが、常識的な確率感覚ならありえないと切って捨てるのが正しい。
とはいえ、感情の上で不安が全く残らないかというとそれもまた違う。自分は船に乗るたびに不時着時の案内を見てはもしやこの船が事故に遭うんじゃないかと思ってしまうタイプの心配性だった。不時着もへったくれもなく次元間断裂からの……行方不明、となっているが事実上の即死だろう、は、かなり嫌だった。一旦ハイパーネットに張り付くのをやめて、朝のコーヒーを淹れに行った。
コーヒーはうまい。それはそうと、一つ思いついたことがあった。陽光が窓から入るのを見て、それから宇宙へと考えが飛んだ。
人類が銀河を股にかけるなら、銀河を加工できないことがあるだろうか。
人類の版図が地球だけであったとき、地球はそれはもう人類の都合のためにボコボコに変形されていた。埋め立ててみたり、逆に掘ってみたり。流石に銀河を埋め立てるのは難しい。そもそも必要もない。では、掘る方はどうか。思いついたのはそこだった。
恒星間天体というものは大体の場合ものすごーく観測しづらい。なぜなら恒星と違って何も電磁波を放ってくれない上、恒星から遠いし恒星よりもとても小さいので電磁波を反射してくれることも期待薄だ。業者がふっとばした物だったら軌道の予測もできようが、天然の恒星間天体もたぶんそこら中に、空気中のウイルスみたいな密度で存在する。そこら中にあるのに全然無い、ということも宇宙ではよくあることだった。
で、それならどうにかして恒星間天体と、あと不要なら恒星系も掘ってしまえばどうか。どうにかして、といってもそんなに方法はない。ぱっと思いついたものとしては、適当な不要な恒星を拾ってきて、それを動かせば重力で惑星サイズのものは全部弾き出せるだろう、という感じの方法がある。なかなかどうしてこれは良さそうだ。これは良い商売になるぞ、と興奮しながら家を出た。
友人のうち何人かにこのことを話してみると、大概頭のおかしい計画だ、と言われたけど大半からは好意的な反応が帰ってきた。一人は知らぬ間に自然恒星主義――ダイソン球やリングワールドの建設によって恒星の輝きを覆い隠すのは人道に反するとする最近流行りの主義――に傾倒していて、話をしたところかなり怒らせてしまった。まあ、気にすることは無いだろう。
さて、大半から好意的な反応が得られたことで資金も得られた。何人かはちょっとした企業のちょっとした地位を持っていて、企業の方に取り次いでくれたのだ。その日のうちに早速一件目の仕事が入ったので、次の日には家を発った。
目的の宙域には22日かかった。最寄りの星に降りて、詳細な星域地図を貰う。依頼はここから71光年先の星に頻度の高い定期航路があるが、恒星が間に2つもあって非常に邪魔だから除けてくれ、ついでに他のいろいろなものも掃除してくれ、というものだった。初仕事は細長い運河状のものを作ることになるのだった。
実際、仕事の中身も特記するほどのものではない。恒星を捉えて、振り回して、道になるところのいらないもの――岩や、大きな岩や、とても大きな岩、ガス、大きなガスのかたまり、とても大きなガスのかたまり、あと多少の氷と岩――をくっつけたり吹き飛ばしたりする。もう一つの恒星のところまで来たら持ってきた方の恒星を投げ捨て……ると流石に危ないので、整備する区域の外に置いておく。重力井戸が作用しない程度の外まで掃き出す。ここまでで4ヶ月ほど。で、2つ目を掴んで同じように掃除をする。ここから8ヶ月、合わせて丸一年使った。
その航路はほぼ完璧に綺麗になった。2つ目の恒星の重力井戸も影響が出ないように1つ目の恒星とはほぼ逆側の航路外に蹴り出せば、一連の仕事が終わる。それでうっかり油断してしまった。反動エンジンを停滞状態にするのを忘れて、船内で寝落ちしてしまったのだ。これが何を招いたのかというと、起きたときにはもうその恒星に突っ込む数分前みたいな状況だった。流石にどうしようもない。そのまま私は死んだ。もちろん作業船も燃え尽きて、死ぬ直前には230エネルギー通貨分割賦が残ってたのにな……とか思った。見ていなかったが、潜在意識モニタには享年303歳と表示されていた。
自宅で目が覚めた。もちろん、死ぬ直前でワープしたわけでも時が巻き戻ったわけでもない。確かに死んだ。頭の硬いお役人のせいで身体的な死をもって個人の死とみなされるのだが、それはそうと別の身体を用意することなどかなり容易い。死ぬのは初めてだったが、何度か死んで行政手続きにも慣れた友人がいるはずだ。尋ねに行けば快く教えてくれるだろう。ああいや、それよりも先にハイパーネット経由でクライアントに詫びを入れなければ。不注意で工期が2ヶ月ほど延びる、と。いや、作業はもう終わっていて検査だけならクライアントだけでもできるだろうか。とかく、新しい作業船が必要だ。今日は店に行くか、と思って家を出た。
毎日投稿ランダムお題オムニバス修行 山船 @ikabomb
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