漠然たる世と諸行の無常について

 ナイル川を少しさかのぼったところにある都市、アシュートから西に砂漠を進んで300kmほど行ったところに、大して取り柄もない、大きくもないオアシスが一つある。現代にはヌトフ・オアシスと伝わるそこには、勇壮であったと伝えられる部族長にして戦士の逸話が残っている。今日はそれを貴方にお聞かせ致そう。清浄なる水の湧く、今や人無き土地の話を……。


 オアシスのあるところには町がある。町があるならば住む人がおり、住む人がいれば物の需要がある。隊商は町と町とを繋ぎ、人も物も動かしてゆく。私は水面に反射する太陽に手をかざして目に届く光を弱めた。オアシスの湖を臨む家の縁側じみた空間に座って、隊商が持ってきた話を考えていた。お気に入りの苦いコーヒーを従者に入れさせ、頭を働かせようと試みた。

 話はかいつまんで言うと、ナイル川を支配する奴らとその向こうを支配する奴らが争い、ナイル川の向こうを支配する奴らが我々の兵力を求めているから、ナイル川を支配する奴らが先んじて攻め込んでくるかもしれない、という話だった。

ナイルを支配する奴ら……ビリターニヤとか言っていたか。異教徒らしい。つまり多神教徒だ。対してその向こうを支配する奴らの王は、我々と同じ、唯一の正しき神を奉じているらしい。であれば、その2つから選ぶのであれば後者に利するように動くのが筋というものだ。が、選択肢はそもそも2つではなく、1つしか無い。我々は我々のためにだけ働く。

 では、どうして今私は頭を悩ませているのか。それはもうすでに滅ぼされてしまったオアシスの町があり、そこからの亡命者を受け入れようとしていたからだった。亡命者が来た段階では話半分に聞いていたが、隊商も同じ話をしたのでおそらく真実だろうと判断した。亡命者は男が3人。数えて4つ南の町から逃げてきたらしい。町からの一行はたどり着いた町々に分散して残り、最後に残ったのが彼らだったらしい。

 コーヒーを一気に飲み干した。苦味、えぐ味とさらに粉が口の中に入っている感覚。不快と断じてしまうには惜しい、癖になる何かがあった。

 従者が私のいる部屋まで人を案内してきた。くだんの亡命者から1人、だれか代表を決めて来てくれと言付けてあった。目に映ったのは印象に乏しい男だった。

「よく来てくれた。話を聞かせてくれ」

「ええ、まずは我々を受け入れてくださってありがとうございます。その御礼だけ真っ先に言いたかった。それでですね、えっと、どんなことからお話しましょうか」

「そうだな……お前の故郷はオーフ・アオシスで間違いないな?」

「ええ、生まれてこのかたあの場所だけで暮らしてきました」

「ずっと?」

「ええ。母がそれはもう有名な機織りでしてね、私はその家業の手伝いをずっとしてたんですよ。それで町から出たことはほとんどありません」

「それでそんななよなよしいのか」

「手厳しいですね、ははは……」

「まあそれはいい。ラクダには乗れるな?」

「ええまあ、もちろん。私だって男手です、ラクダ騎兵として最初は応戦しようとしてたんですよ」

本題はそちらではないのですか、とでも言うように彼は目配せしてきた。

 彼は実に様々なことを話してくれた。オーフ・アオシスに侵攻してきた軍はビリターニヤ軍で間違い無かろうこと、ビリターニヤ軍はラクダをほとんど使わず歩兵ばかりであること、その歩兵は刃渡りが短く柄の長い剣を持ち、轟雷のごとき音(これが何を意味するのか分からなかったので尋ねたところ、もっと北の方やナイルの向こうの国ではけたたましい音を伴う雨が時折降るらしく、その音を指している、と彼は答えた)を発し、見えない矢でラクダや兵を射抜いてくるらしい。凄まじい音でラクダも兵も恐慌状態に陥り、三々五々に散ってしまったところを各々捉えられたり殺されたりしてしまった、という。

 刃渡りが短く柄の長い剣、という部分を除けばビリターニヤの使う兵器はわかりやすい。銃だろう。たまに隊商が持っている。興味本位で買ったことはあったが、大きくて取り回しは難しいし、何よりラクダを駆けながらでは撃てたものではない。そういう話を隊商にしたところ、北の方ではもっと短くした銃を使って接近して撃って反転する、などという戦法が流行ったことがあったという話をしてくれた。もっとも、その戦法も熟練の騎兵突撃にはかなわなかったようだから、気にする必要はないだろう。

 思ったよりも多くのことを話してしまった。この亡命者を信用しているつもりはなかったのだが、やはり外の脅威への対抗で我々は団結するのだと思った。誤った預言者に従う者共の最終的な敗北は確信しているが……それは我々の、今この場に生きている人間の勝利を必ずしも意味しない。

 有益な話をありがとうと言って、私も彼も建物の外まで出た。しばらく見送りをしてから従者を適当に2人ぐらい選んで倉庫の方に向かった。記憶と違わず、銃が半ダースと大量の火薬が倉庫の隅の方にあった。これでラクダに爆音を聞かせて慣れさせようという企みをしたのだが……やはりなんとなく気になって銃を手にとってみた。整備されずに放置されていたからどこも錆びに錆びていて、爆音を鳴らすだけならともかく、とても銃撃できるような状態ではなさそうだった。少し惜しい。新しいがあれば、使ってみたくなるものだ。

 それと、この銃を手に亡命してきた3人組のところへ行ってみた。このような物を使っていなかったか、と聞きに行ったのだが、3人共戦うのと逃げるのとに必死でよく見ていなかった、と答えた。まあ仕方ないことだろう。あとで火薬の爆ぜる音をラクダと一緒に聞かせてやったところだいたいこのような音だったと言ってくれたので、情報としては十分だ。やはりビリターニヤの獲物は銃のたぐいなのだろう。剣と言っていたのは鉄色に輝いていたからではないかと疑っているが、特に根拠のあるものでもないので黙っておいた。

 ラクダたちは実に素早く適応してくれた。爆発させてはなだめるということを繰り返した結果、3日目にはもう23頭中18頭が爆発音を聞いてもパニックにならないようになった。一週間続けたところ23頭中22頭にまでこの数が伸びた。十分だ。

 新たな部外者が現れたのは、それから3日後だった。報告によれば、歩兵ばかりざっと80人ほど。よく光を反射する銃と思しきものを一人あたり一つ所持。妙な服装。おそらくビリターニヤの軍勢だった。

 日が激しく照り、風の穏やかな日だった。物見塔に登ると、砂の果てに土埃を上げる集団が動いているのが分かった。隊商よりも遥かに大規模で、見たこともない人数に戦慄した。

 塔を降り、日陰に入って休もうと思った。

 明らかに敵兵の人数が多すぎる。私が突撃して戦死する分には、明らかに私の自己責任だ。しかしそれでは私は犬死にし、配下の者たちが付いてきてくれないとなると……将来は予見し難い。少なくとも、多神教徒の手から我らが町を守る努力をしなければいけないだろう。神の御下に旅立ち、善き方へ審判されるために。そのために私が使える最大限の力を振るうのならば、精強なる我々の兵……罪無き彼らを多神教徒と争わせねばなるまい。それは事実上、私が彼らを殺すことと何も相違無いのではないか、と感じてしまうととても目を開けていられなくなってしまう。

 目を閉じたまま日向に出た。日差しの熱さを感じて、そのまままぶた越しに太陽を見た。まぶたの裏が真っ白になった。

 あの太陽のように無慈悲な多神教徒に町を明け渡すほうがよっぽど神に背を向けることになる。覚悟は決まった。直射日光が私の開いた両目を照らした。

 斥候が帰ってきた。彼らは連合王国軍と名乗ったらしい。ビリターニヤでは無いのか、と聞くとビリターニヤでもある、と答えた。多神教徒らしいごまかしだ。さらに、我々に対する降伏勧告も行ったらしい。無論斥候の彼はその場で撥ね付けてきたが、もはや戦闘が起こらないようにはならないだろう。わかった、とだけ言ってラクダ厩舎の方へ行った。

 30分も経たないうちにラクダ騎兵全17名は町の外まで出ていた。全員の腰にはサーベルがあり、皆々士気に満ちていた。我々の揚げる土煙が多神教徒のそれと向かい合い、まるで迎え火のように疾駆している様子が目に浮かんだ。

 彼らがだんだんと近づいてきた。それが人の集団であると判別できる距離になって、足を止めた。彼らも同様にこちらに近づくのをやめ、にらみ合いになった。

「我々はブリターニヤ陸軍である! エジプト総督ハーバート・キッチナーの命により領内の安定化を図る掃討任務を行っている! 今投降すれば危害を加えないこと、女王陛下の名において保証する!」

向こうから声が叫ばれた。兵の反応はどうだろうか、と後ろを振り向いた。怯えた顔は一つも無かった。問うまでもないか、と思い正面を向き直し、

「我々はあくまで戦う。神は偉大なり!」

と言った。一斉に我々のラクダの足の回転は速まり、各々のサーベルを抜く音が聞こえた。

 あっという間に彼らとの距離は近づいてきた。まだ顔は判然としないが、彼らが銃を構えているのは見えた。数瞬後に大音量が聞こえた。銃声だとわかった。予想していたのと異なり、銃火が一斉にまとまって起こってとてつもない音量が鳴るのではなく、まるで池に砂をばらばらに投げ入れたときに鳴る音を一万倍にしたような感覚だった。

 銃火は我々のだれも殺傷しなかったようだった。うめき声や落伍したような音は無く、私が先陣を切って彼らの横隊の中に飛び込んでいった。ラクダが蹴り散らし、私がサーベルで斬る。サーベルは2人に当たった。ラクダの足は少なくとも1人に当たったはずだ。後続に轢かれないように前に突き抜け反転すると、横隊の端から四分の一から三分の一程度のところに大穴が開いていたのが見えた。

 では、再度突撃だ。千切れた横隊の大きい部分の中央に向かって突進する。何人かの兵が追従してきてくれた。ビリターニヤの連中は、横隊の端から切り崩さんとする我らの兵に注意を向けすぎている。もう一度穴を開けることに成功した。今度は中央部分を孤立させることができた。サーベルに付いた血を振り払って、もう一度反転した。我々に囲まれつつある中央部分に、おそらく敵将と思われる派手な服装の人間が見えた。その銃口はこちらを向いていた。

 一発が轟いた。ラクダがいななき、私は急にバランスを失ったことを知った。ラクダから落とされ、地面に背中を強く打ち付けた。痛みを堪えて姿勢を起こすと、私からもラクダからも赤いものが出ているのがわかった。

 私をラクダから落としたのは見事な業前だった。だが、それは大勢を決さなかった。もうビリターニヤの兵は散り散りになっており、将の首級も取られた。戦場に残された彼らの遺体の数は22。対して我々の死者数は3名に留まった。死せるナスル・アッディーン、サアド、ハリドの3名に安らかなる眠りあらんことを。


 第一次ヌトフ・オアシスの戦いはこのようにして幕を閉じた。族長はこの戦いで負傷し、約一ヶ月後に死亡した。死亡の直接の原因は現代では脊椎結核と見られている。

 族長は輝かしかったが、間の悪いことに後継者、すなわち息子を持たなかった。跡目争いでヌトフ・オアシスの町は内紛に陥り、その片側を支援した連合王国によって事実上その町は支配されることとなった。この折に人口の大幅な減少が起こり、若者はほとんどナイル川沿いの町に移住した。第一次ヌトフ・オアシスの戦いから数えてちょうど40年後、その町は滅んだ。

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