鉄手空拳

 知は力だ。シンプルに強力で、扱いが難しいじゃじゃ馬な力だからどの王も皇帝も人々から知識を奪おうとした。ところができなかった! 知識はタダでコピーされてゆき、力は人々に充満し、ついにロンバルディア王国はロンバルディア共和国になってしまった。ロンバルディアの首都ヴェネツィアから放たれた知識の波動は世界をめちゃくちゃにしたが、それは今の本題ではない。いつかまた別の機会に語られるだろう。

 自分は今、その水の都ヴェネツィアの上に立っていた。ああいや、水の都と言ったほうが良いだろう。もはや水は熱されて蒸気になり、運河の代わりにパイプラインが走っていた。運河よりも圧倒的な力が運搬され、水の代わりに蒸気で人が行き交い、元水の都は熱く燃え上がっていた。

 ところで、知は力である。蒸気も力を運ぶ。すなわち、蒸気は知によって動く。より正確には、知識によって動かせる蒸気端末がある。それは腕に装着する。お好みならば足や頭にも付けることができるが、腕が一番メジャーだ。それは各人が知識を放つことによって駆動する。カスみたいな知識ならカスみたいな駆動量、世界の真実みたいな知識ならこの地球を破壊しかねないほどの駆動量が出てくる。で、そういうものがあると人々はみんな戦い争ってみたくなる。そういうものだ。

 というわけで、このヴェネツィアにはそのデバイス――「ヴィッセンダンファー」――を使った格闘競技が存在した。チャンピオンになれば億万長者、負け続けたって命より他に失えるものもない。億万長者とは言わずとも、そこそこ勝ってちょっとした住処をこのヴェネツィアに、そう思っていた。

「勝てねえ……」

「そりゃ当たり前だろ、田舎から出てきたお上りさんがなんかすごい知識持っとるわけねえからよ」

エンジニアのおやっさんがいじくり回しているのは、一番量産されている型の、さっきまで自分の左腕に付いていたガントレット型のヴィッセンダンファーだった。それか真っ二つに割れ、修理するよりも新品を買ったほうが本来安いぐらいの壊れ方になっていた。

「運が良かったな坊っちゃん、ニュービーお得プランに加入しててよお」

路銀の余りのなけなしの金を出してヴィッセンダンファー貸し出し+修理2回のプランを買っていたのだった。新品を買うよりも2倍ぐらい高いが、安心を買いたかった。

 が、しかし。

「坊っちゃん、まだ2回しか戦ってないんだろ? それでこんなにボッコボコに壊されるなんてさ、どんだけ弱えんだ?」

「返す言葉も無い……」

初戦は何をすればいいのかすらわからずあえなく敗北。二戦目は……よくわからない。相手がなにかすごいことを言って、咄嗟に左腕で体を守ったところ体ごとふっとばされて気を失ってしまったのだった。

「俺あ商売だからいいけどよ、お前さんこれ向いてないんじゃねえか? 死なんうちに故郷に帰ったほうがいいだろ」

「……そういうわけにもいかないんだよ」

「まあ事情はあるか。じゃあなきゃこんなところ来ねえもんな!」

「うん、まあ、そういうことで。あと1回分はあるでしょ、その分は頼むよ」

「そら勿論。つってもこりゃひでえな……」

「おやっさん、それってどのぐらいかかる? なんとか今日のうちに一回は勝っておかないと明日は飯抜きだ」

「うん? んじゃあちっと急ぐか」

「頼むよ、3時頃に取りに来るから」

「無理を言ってくれるねえ」

声を背に受けて階段を降りた。まだ午前10時半を少し回ったところだった。使える金もほとんどないので適当に町をぶらつき、飯を食べ、またぶらついてから帰ってきた。宿も取っていなかったことを思い出した。

 で、次の試合も普通に負けてしまった。なんならガントレットの拳部分とその下が分離してしまい、さっきとは全く違う壊れ方だっただけにおやっさんも責められないが明らかに修理しないといけなくなってしまった。もう修理回数の残りも金もない。まずい。

 いや、いくら自分が弱っちいといっても知識ゼロの幼児並の人間というわけではない。自己弁護のため、さっきの試合の様子をすこしご覧いただいてほしい。いやまあ、こうやって考えることも現実逃避の一環ではあるのだが。

 さっきの試合の推移はこうだ。

 自分と対戦相手がリングの上で向かい合った。相手は身なりの良い痩身の男で、自分と同じようにガントレット型のヴィッセンダンファーを右腕につけていた。彼のは肘まで伸びていたが、多分性能に大差は無いと思う。

 一礼して試合が始まった。まず相手が右腕を振りかぶって何か詠唱を始めた。対抗して自分も詠唱を始める。「神は父であり、神は子であり、神は精霊である。父は子ではなく、子は精霊ではなく、精霊は父ではない」非常に有名な三位一体の説明だ。有名すぎて大した火力にはならないが、ジャブにはちょうどいい。

 素早く言い切って相手めがけて放つ。突き出した左腕が強烈に後ろに押される感覚があり、体をひねってそれを受け止める。蒸気の奔流のように見える何か――実際のところこれが何であるかは知らないし、知っていても得にはならない――が相手に襲いかかるが、苦もなく避けられる。同じようなものが相手からも飛んできて、一度しゃがんでかわした。

 そこからが続かないのだ。ジャブに使うのはだいたい手の垢が付きすぎてもはや垢自体と区別がつかなくなっているような定型句で良いが、よほど高速に打ち続けられないのならそのような文句だけで勝ち星を取ることはできない。

「えっと、聖ペテルの司教座は……うわっ」

考えようとしてもすぐ相手の攻撃が飛んできて、詠唱破棄を迫られてしまう。

「……れは真に強盗的である!」

「うわっととと」

相手からの攻撃が頬をかすめた。すぐ横にはリングの端が見えてきている。もう逃げ場が無くなってしまった。

「ぜ、全能者ハリストスは地獄へ降りハリストス以前の善き者を救った!」

カスみたいな流れが相手に飛ぶが、わずかな時間稼ぎにはなった。体勢を立て直し、何かを。

 そう思って顔を上げ、とてつもない力が自分に襲いかかっていることに気がついた。数瞬後にはふっ飛ばされて、負けた。

 現実逃避終わり。手元にはほとんど何も買えない額の小銭とパーツが倍になってしまったヴィッセンダンファー。どうしようもない。

「おやっさん、頼むよ」

「いやいくらなんでも早すぎるだろ、雑な修理はしてねえぞ?」

「うん、そんなことは分かってる。どれぐらいで直る?」

「こんなもんならアウスンロアーをちょっとつなぎ直して全体を1パーツに戻すだけで終わるから10分もあればできるが……いや、こんなに早く2回使い切る人間は初めて見たな」

軽快な金属音が鳴りはじめた。おやっさんがそれを演奏していた。弟子入りしたほうが早いような気がしてきた。次勝てずに壊したらそうしよう。

「おやっさん、普通はどんぐらい保つの?」

「む……2日ぐらいか。だいたいは5日目までに3回壊れて返却されるが、今まで一番保たせたやつだと4年と220日ってやつもいる。そんなに保たせられちゃ商売上がったりだよ」

「へえ、良いこと聞いた。次の試合でこれ言うか」

「は? 坊っちゃんお前そんなこと使ってんのか?」

リズミカルな金属音が止まっておやっさんがこっちを向いた。

「え、何かまずい?」

「だめに決まって……ああいやなんでもない、対価無しには教えられねんだ」

「そこをなんとか。出世払いでどう?」

「ダメだ。2回壊してまだ1回も勝ってない奴が勝てた割合は5%も無いんだ、そんな分の悪い賭けには乗れねえ」

「ケチ」

「ケチで結構。ほれ、直ったぞ」

ヴィッセンダンファーが投げて寄越された。修繕された生々しい傷跡が十字を描いていた。

「ま、餞別代わりに一つぐらいは良いだろう。豆知識はカスだ」

「……豆知識はカス?」

「これ以上は言えねえ。精々勝ってまた顔見せてくんな」

「……わかった。じゃあ、また」

がんばれよー、という声を浴びて階段を降りていった。

 自分にとっては4試合目。この試合でなんとしても勝たなければいけない。まだ日暮れまでは時間があるから負けてもなんとかなるかもしれないが、それだけ壊れるリスクは上がる。今日の寝床と明日の飯のために、金を手に入れるのだ。

 対戦相手を凝視する。ひどい服だ。スラム上がりか何かだろう。自分と同じように日銭を稼ぐためにやってきたのかもしれない。それにしては変なヴィッセンダンファーを持っていた。彼……もしかすると彼女? は右手に球状のそれを持って、浮かせて遊んでいた。なんであれ相手のことが分からないのは今に始まったことではないから、気にするだけ損だった。

 試合が始まった。いつものように三位一体の文句を言ってみる。普通にかわされた。その自分が撃った奔流を貫いて、彼の持っていた球が飛んできていた。完全に不意打ちを食らった格好になって、地面に仰向けに叩きつけられた。すぐに跳ね起きたが、痛いものは痛かった。

 相手の動きを見破ってやろう、と1分ぐらい何も言わずに彼の球を見続けていた。が、彼も何もしてこない。カウンター専門なのだろうか。それならこちらから仕掛けるしかあるまい。誘って罠にはめられるような技能や経験は持ち合わせていなかった。

「……4年と220日!」

出たのは三位一体よりも少し強いぐらいの奔流だった。自分の出したもので自分の視界は塞がれ、また彼の球が飛んできた。今度はなんとか避けられた。

 しかし埒が明かない。彼が遠距離から攻撃してくる上、近づこうとすると牽制球を撃ってくる。なんでこんなことになってしまったんだ。私はただ少し金を稼いで生きたかっただけなのに。

「地図は隣り合う部分同士で同じ色を使わないとき4色で塗り分けられるが、その証明はコンピュータで行われた!」

さっきの2つよりも多少強い。多少程度なのがわるかった。さっきの2回よりも早く彼の球が飛んできて、今度は壁に叩きつけられた。

 なんでこんなに苦しまなくちゃいけないんだ。ただパンを食べたいだけなのに。ハリストスは石をパンにしたというが、今ここに降りてきてそのへんの石をパンにして自分に食わせて欲しい。でもできないだろう、ハリストスは。だから、

「全能者ハリストスはゲイのサディストだ!」

なんてことを叫んでしまった。ヴィッセンダンファーから凄まじい勢いで力が吹き出して、しかしそれは対戦相手に飛んでいかず、ガントレットの周囲にとどまった。

 彼の球が飛んでいるのが見えた。しかしそれはひどく緩慢だった。普通なら自分の真正面を覆い尽くす力の蒸気がそれを見えなくしていたのだろう、やすやすと避けることができた。なんにせよチャンスだ。相手に向かって駆け出した。彼は今無防備だ。彼が右手を跳ね上げた。糸か何かでつなげているのだろう、自分の背中を襲う気かもしれない。それよりも速く叩きつける。

「聖ペテルの司教座は岩の上に建つが、岩は風化するので実質空中楼閣である!」

ガントレットの周りの奔流が更に増していった。腕を全力で振るい、彼に叩きつけられた。

「勝負あり!」


 こうして、後にヴィッセンダンファー貸し出しの最長記録を塗り替えることになる男の初勝利が成った。そして、彼はこの変な戦法で好事家の注目を集めることとなる。今の彼にはまだ分かっていなかったが、嘘の豆知識によって力の行き場を無くしたその戦い方は彼をチャンピオン目前まで押し上げることになるのである。しかしそれもまた別の機会に語られるだろう。

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