デスプウェス・デ・ヌエヴォ・ムンド #2
通常、座礁し着底しようと船は動けなくなるだけで爆発四散するわけではない。外郭に穴が開き、バラスト水を出し入れできるような浮きの部分に水が入ってしまうだけだからだ。通常の吃水よりも船が沈んでしまうわけだから無理やり引きずり出して外洋を航行させても甲板から水が入って船は沈んでしまうが、少なくとも今すぐにだめになってしまうわけではなかった。
そういうわけで、
これを確かめるために3日ほどかかった。それで座礁した日を1日目として4日目の今日になってやっと船の損傷を確かめる作業を始めることができたのだった。いくらか潜水の心得のある船員にダイビング装備をもたせて、まず船の外側から潜らせた。予想通り船の後ろの方が地面と接続してしまっていた。水も入っていることだろうが、そのあたりは大した問題ではない。ちょっと船を無理やり引きずるようにして動かして、ちょっと浸水は増えるだろうがいい感じに応急処置を施して、それから排水すればいい。応急用のビスや鉄板、排水用のポンプもある。予定が数日狂っても大したことではない、と思っていた。
「船長! エンジン室に浸水してます!」
「なっ、本当か!?」
「ええ、冗談言ってる場合じゃないですよ!」
船のエンジンというものは馬鹿みたいな大きさをしている。炉に火を入れても100%の力を出せるようになるまでかなりちょっとした時間がかかるし、馬鹿みたいに大きいものがかなり高圧で水を沸かしてタービンを回している。エンジン全体が持つ熱量も馬鹿げた量だし、エンジン自体が爆発したりせずともその熱で温められた海水、もとい川の水が大量に蒸発してエンジン室全体を吹き飛ばしてしまう。そうなればこの船は真ん中から折れて本当におしまいだ。冗談でなければ、
「分かった。エンジン緊急停止」
「エンジン緊急停止、良し」
と、すぐさまエンジンを止める必要があった。
こうしてこの船は動力を失ってしまった。一部分が急冷されたエンジンなど、いくら我らがカレネロ製鉄が誇る強靭鋳鉄といえども怖くて使えたものではない。外洋を航行中に爆発でもすれば船は沈み、私は主の御下行きだ。さすがにエンジンの取り外しまでは想定していなかったのでひとまずそのままにして、今日明日は冷めるのを待つ必要があるので修理も排水もできなくなってしまった。
やれることはそんなに多くない。一応積んできたものに帆がある……が、帆なんて扱ったことはない。私だけでなく船員の誰にもない。まるきり非現実的だ。すると、新たに鋳造する必要があるか。これもまた無理がある。出先で動けないのに高温炉なんてどこから用意すれば良いのか。純度高めのカルシウムもバナジウムもない。第一鋼鉄を回収するための重機もこの船には積んでない。コバルトの回収はカッター船に積めるぐらいの量で十分な予定だったのだ。
カッター船で思いついたことがあった。ちょっと川上まで行って帰ってこよう。あまりくよくよしたりはしない方だが、責任ある立場にいるのに何もできないというのは胃に悪い。だから少しの間、この動けなくなった鋼の塊から離れておきたかった。
大義名分は沿岸の実地調査とかでいいだろう。
「クラウディオとエルナンドあたりが適任か」
カッター船がいくら小さいとはいえ一人で行くわけにもいかない。何をするにも人手があったほうが得だ。部下から適当に2人を選び出して呼びつけた。2人とも割と退屈しがちな人間だったのでその点を配慮して選んだのだが、2人とも二つ返事で了承してくれて助かった。
「湖の方で一泊する予定だから好きな食料積んでいいぞ」
やったあ、と言ってエルナンドが船長室を出ていった。
「船長、本も持ってっていいですか?」
「本? 本なんか持って行ってどうするんだ」
「書いとくんですよ、なんか色んなものがあるんでしょう、知らないところだし」
「なんだ、そんなことなら白紙が山程あるから自由に使っていいんだぞ」
そう言って船長室備え付けのキャビネットを開けた。両面白色の紙はそんなに貴重でもない。
「言ってくれればいつだって出せたんだ」
「知りませんでした」
紙を受け取り、クラウディオは笑顔になった。良いことだ。
カッター船の方に移り、思ったよりも倉庫のサイズが小さいなとか思っていたところにエルナンドがやってきた。彼の持っていた玉ねぎの山を見てたまげた。二度見したが、話を聞くとどうやら玉ねぎを生で食べるのが大好きらしい。でもいくらなんでも過剰だろう。10個を数えて、残りは戻させた。一泊分としてはこれでも過剰だ、と言ったがこれより少ない数は頑として譲らなかったので、私が折れた。
「クラウディオも十分な量の食べ物を持ってきただろうな?」
「はい、もちろん」
「エルナンドはちゃんとガイガーカウンターも持ってるな?」
「えっ、あれ持ってこなくちゃいけないんですか」
「当たり前だ。今回は廃都市に踏み入る予定だからな、絶対に持っていてもらわなくちゃ困る」
「えー……」
「いいから持ってきなさい、死なれちゃ私が困るんだ」
「分かりましたよ、っと」
エルナンドがその細身に似合わない声を出して本船の方に帰っていった。
彼が戻ってきてからもう一度荷物を確認し、出港、もとい出船した。川をカッター船が快速に駆けてゆき、風景が流れていく。旧モントリオール市の鉄屑を川の両側に見据え、川の真ん中あたりに針路を取ればガイガーカウンターの鳴りも弱まってくれる。少しして川がかなり開けた場所に出てきた。ここまで平均33ノットで40分ほど、カレネロ市からの遥かな旅路に比べればだいぶ短いのだが、人間の時間感覚というものはそう揺るぎはしない。何が言いたいのかというと、暇なのだ。
穏やかな川を遡上していくと、なかなか急な操作が求められたりスリリングな体験をしたりする機会には恵まれない。今本船が置かれている状況を考えればそんなことどうでも良いのだが、本船の方はどうにかなるだろう、とずっと思っていた。根拠は無い。
冷静になって考えてみると、どうにかなる根拠はあまり無い。帆船を扱ったことも無いのに帆走で大陸縦断なんてかなり馬鹿げている。帆で受ける力ではそもそも座礁地点から脱出できるのかもわからない。回頭自体はこの開けたところまで来ればできるだろうが、そこまでの川でまた座礁させずに帆を使って船を操れるかどうかは……分の悪い賭けだ。
ではエンジンを直すことを考えると、こちらは尚の事無理がある。すると代わりのエンジンをどうにか手に入れられればなんとかなるか。……100年以上放置されて朽ちたエンジンの信頼性を考えれば、損傷してしまったエンジンを騙し騙し使ったほうが良いような気もする。
「そういえば船に中波発振器付いてたな」
「そうですね」
「エルナンド、お前電波かじってなかったっけ? あれでカレネロに救難信号送れたりしない?」
「うーん、まあ今の食料の残りを考えればありえないわけでは無いと思うんですけど……おすすめしませんね」
「何でだ? 通信できるんならしたほうが良いだろ」
「えーっと……クラウディオ、ちょっと簡単な絵描いてくれない? 同心円2つ、大きめに」
「りょーかい、はい」
「ありがとう。船長、このへんが今俺らがいるとこです」
そう言ってエルナンドは同心円の内側の、時計盤で言えば 5時ぐらいのところを指した。
「で、カレネロはこのへんです」
2時ぐらいのところが指された。
「実際にはこんな離れてはいないんすけど、まあわかりやすさのためです」
「カレネロはまだ北半球だからなあ。続けて?」
「ええ。そんで、電波ってのはだいたいまっすぐ飛ぶことは知ってますね?」
「ああ。あ、ちょっと曲がるから」
「いや電波は曲がらな……船ですか」
「紛らわしかったか、すまんな」
「構いませんよ。で、まっすぐ飛ぶと地球に邪魔されて届かないこともわかりますよね」
「ああ。ということは空で反射したりするの?」
二重の円の外側を見て言った。
「ご明察。とはいってもいつでも反射するわけではなくて、けっこう珍しい気象現象が起こって初めて反射するんですよ」
「ふーん、じゃあそれを待つか」
「ところがここからカレネロは遠いんですよ」
「うん?」
「えっとですね、カレネロまで電波を送るには2回反射してもらう必要があるんです。珍しい気象現象が偶然にも2個連続して起こってくれる確率を考えると……」
「……そうか、じゃあ無理かあ」
その話はそこで終わってしまった。そこからかれこれ4時間ほど川を下り、やっとオンタリオ湖まで出てきた。ガイガーカウンターの反応は無い。ここから北岸に沿って進んで陸地が見えたら南下し、真西に陸地が無くなったら真西へかっ飛ばせば旧モントリオール市からここまでと同じぐらいの距離、すなわちここから旧トロント市までを2/3ぐらいの時間で行ける。いくらか雑に操縦しても大丈夫になるな、と思って操縦席の背もたれにもたれかかった。やっぱり全身の筋肉が凝り固まっているのを感じ、オートスタビライザのスイッチを入れて席を立った。
乗員室で何か話をしていたクラウディオとエルナンドに会釈して、船後部の展望台のようになっているところまで出てきた。そこで飛び上がった。本当に浮きかけたので、もう少し私の体幹が弱ければ船から落ちてしまっていたと思う。それだけ驚いたのだ。口をぱくぱくさせて乗員室に駆け戻った。
「おち、落ち着いて聞いてくれ。廃都市から煙が立ち上っていた!」
ちらつく雪の中に、名前も知らない廃都市の姿があった。人間の活動の証がそこから上がっていた。
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