デスプウェス・デ・ヌエヴォ・ムンド #1

 カレネロ造船所がパナマックス――すなわちパナマ運河を通れるギリギリのサイズ――の船を造るらしいというニュースが都市から都市へと駆け巡った。カレネロ造船所自体はここ10年の歴史しか持たない新興の造船所だが、この大陸でパナマックスの船が最後に作られたのはもう100年以上も前のことだった。正確には最後のパナマックス船が進水したのが110年3ヶ月と1日前、メキシコ第三帝国の崩壊とともに南アメリカとその他の世界がだいたい全部核で焦土になったのが109年前。海底ケーブル網は109年前の時点でもうとっくの昔にお役御免になっていたし、その代替を担っていた亜空間通信は一世紀経っても復旧の目処が立たない。予備の衛星網もなんかよくわからないがそのときに死んでしまったらしい。しかしなんとか文明は生き残った。

 ヨーロッパは念入りに焼かれ、報復で北アメリカも焼かれ、東アジアとインドも特に理由なくどこもかしこも焼け落とされた。だから今の世界の中心は南アメリカとサハラ以南アフリカ、その二大陸の大西洋に面するところだった。無線有線問わず遠隔通信システムは全部死んでしまったので、通信のために船がどんどん動かされていた。

 文明が生き残り、都市が立ち上がれば通信だけでなく輸送も大量に必要になる。輸送のための通信、通信のための輸送、と相互的に成長してきていた。小麦を西へ、鉄を東へ、政変を西へ、市場を東へ。そうやっていろいろなものを運んできた船たちの故郷はだいたいここ、カレネロだった。こうしてカレネロ造船所は莫大な利益を得て、カレネロ市を一手に握る大企業にまで成長したのだった。

 ところで、カレネロ市は今ひとつ良い地理的環境に恵まれた都市とは言い難かった。小アンティル諸島を西へ越えてカリブ海に面するカレネロ市は東コロンビアの首都のマカパ市からも遠く、西アフリカとの交易での不利益は言うまでもなかった。造船を牛耳る巨大企業の本拠地としては異様に小さい都市で、東コロンビアの中ですら第7位の都市という地位に今まで甘んじていた。

 それをカレネロ造船所は良しとしなかった。地理的に不利なカレネロ市がもっと発展するにはどうすればいいか。地理的に有利になってしまえばいいのである。パナマ運河の整備を行っていたナショナル・フルーツ社を買収し、パナマ市の名称もカナル・ヌエヴォ・カレネロ市と改名した。確かそれが4年前のニュースだったはずだ。パナマ運河を使って、南アメリカの西側への短縮経路を、ひいては巨大な商機を作り出す、という試みだというのは誰の目にも明らかだった。ただ、あまりにもスケールが大きいもので当時の私にはまったくぴんと来ず、何か歴史書でも読んでいるような気分だった。

パナマックス船を造るというニュースが流れたということは、その試みはうまく行ったらしい。そうとなれば、私のところには大きな仕事が転がり込んでくるだろう。カレネロ造船所の完全子会社、カレネロ製鉄は造船用製鉄の大部分を担っていた。そして私はそれの結構な責任者をやっていた。

 つまり、私が大量に鉄を用意して、大量の金を貰うのだ。

 ところで、今私は造船の方の工場長に呼び出されて工場長室にいる。彼女は私よりも地位が上で、なのでさっきまでの私は栄転かな? とか無邪気にウキウキしていた。部屋に入っての第一声が、

「君、しばらく北アメリカと西アフリカ行ってきてもらうからね」

だったので当たらずとも遠からじといった具合かもしれない。

 そんなことはない。

「どうしてですか? いや、鉄ならマラカイボから拾ってくればいいじゃないですか。今まで散々やってたみたいに」

「うん、いままでの造船ならそれで十分だ。でも、私達が作ろうって言った船が何かはわかるだろ?」

「ええ、パナマックス船ですよね。前に暇だったときに引張強度のことも考えてみたんですけど、鋼屑バンバン使えば300 N/mm^2 ぐらいは普通に確保できますし、うまくやれば400も届く。これじゃ不満だってんですか?」

「400が恒常的に出せるなら文句は何も無いよ。できる?」

「それは……」

できない。400も出せるのは体感で200回に1回ぐらい。350でも10回に1回ほど。安定して出せるとは嘘でも言い難く、出れば製鉄所の皆で喜ぶ。高い値は付くが、うちの船に使えるほど貯めようとすれば何百年かかるか。

「ま、今回の船に使う分には300でも平気っぽいんだけどね」

「そんな」

「ほーら会社のためにエンヤコラだ、もう決定事項なんだから従えい」

「そんなあ」

「嘆いてても何も始まんないよ。ほらこれ、今回の指令書」

「そん……え、これマジ……本気ですか?」

渡された紙束の表紙を見て感情が全部吹き飛んだ。紙と彼女の顔を交互に見て、彼女の表情もにやりと笑ったものになっているのを見るにつれ、武者震いが起きてきた。

「こんな面白いものなら最初から言って下さいよ。不肖クルス・ヒメネス、この大任を喜んでお受けいたします」

 それからすっかり興奮してしまい夜になるのに眠れなくなってしまったので、酒を流し込んで無理やり寝た。睡眠不足は工業の敵なのだった。

 朝になっても興奮は晴れず、体が熱くなりっぱなしでいるのを感じた。開いた目が天井を捉えて、跳ねるようにベッド横のサイドテーブルに置いたはずの紙に手を伸ばす。紙の感触を見つけ、皺にならないように取ったほうがいいと思い直して上体を起こし、その紙を掴むより先に表紙が再び目に入った。幻覚ではなかった。

『旧時代の廃鋼からの放射線除去とコバルト60をトレーサーとして用いた強靭鋳鉄の安定的量産にかかる計画』と題された紙の束が手に取られていた。

 幻覚ではないが、相当気の長い計画であることには表紙の段階で気がついていた。中身を読み進めるとなおのことそれが実感できた。小規模な放射線除去であればカムサル王国の首都のカムサル市と、リベリア共和国のサスタウン市に有力な企業があったはずだ。どちらにせよ西アフリカで、ちょっとした長い船旅が必要になる。コバルト60に至っては今製造できる企業はなく、旧時代の遺物を回収するためはるばるカナダまで行く必要があった。

 放射性物質除去に関して言えば、たしかそれは飲水からの放射線除去を念頭に置いた技術のはずだった。偶々核で焼けた直後にも放射線除去技術があり、それを企業が営利化したものだった。西アフリカの飲水浄化はその2つの会社が寡占しているらしい。シェアはカムサルの方が38%、サスタウンの方が60%、あと僅かに泡沫企業が……主題はそこではない。資料にかなり詳細に情報が書いてあったものだからつい読み込んでしまった。

 その2つのどっちがより適しているかを検討して、暴利をふっかけられないようにうまいこと交渉して、技術を超高温環境下に応用する。遠い道のりだ。体力のない会社ではこんなことはできやしない。技術者として、また技術が新たな歩みを始めるところの大きな展望を見て、期待に胸を膨らませずにはいられなかった。

 それと比べ、コバルト60の回収の方は今ひとつ、心にさざなみが立ちはするが未来への開かれた展望! という風には感じなかった。なぜだろうか、なんて問う必要は無い。途方もなさすぎて、よくわからないのだ。

 無論、抜かりなく計画書には計画が書かれている。カリブ海を北に抜け、東海岸も北に進み、セントローレンス湾を入って旧モントリオール市に港を建設、そこを拠点として川を遡行、旧コバルト市まで到達し、おそらく別の放射性残骸とごっちゃになっているであろうコバルト60を回収した後来た道を戻ってカレネロまで帰る。現実味の無い計画だった。

 熱狂が冷め、代わりに不安が襲ってきた。製鉄なんかやっていると廃材は何もかも放射線まみれで感覚が麻痺してしまうが、本来放射線は危険なのだ。自然がいくらか洗い流してくれただろうが、北米はその放射線を死ぬほど浴びせられた土地だ。そして回収するものも放射性物質。まあ、覚悟を決めて行くしかあるまい。どうせ行く以外の選択肢は無いから、楽天的にやるしかなかった。そして、私はそうやって切り替えていくのはなかなか得意だった。

 それから2週間ほど経ち、第一陣、すなわち旧モントリオール市に港湾を建設しに行く船を出す日となった。無論私が船長をやり、船にかかる全ての責任を負う。補給ができる都市も無いので食料庫には山ほどの玉ねぎやじゃがいもを積み、肉は……まあ、船から小舟が出せるので野生動物を狩ろうと思えば狩れるか。のぞみ薄なので諦めてくれ、とは船員に言い含めておいた。海水浄化装置と過剰量のフィルタ、それから浄化装置自体の予備、一人一台の携帯ガイガーカウンター、セメント、セメント、コンクリート、多少の爆薬、やっぱりもうちょっとと思ってさらに多少の爆薬、それを油中に保管しておくための重油、気象条件が良ければカレネロ市とも通信可能な中波発振器、余暇を潰すための本(一人10冊まで)、その他諸々を積んで、何も忘れていないかを念入りに検討してから(結局不安はあんまり取れなかったが)出港した。

 北へずんずん進み、サントドミンゴ市でちょっとした補給を受けた。東コロンビアが支配する都市の中ではギリギリ北から2番目で、1位は同じ島にあるプエルト・プリンシペ市だった。何にせよ、この都市を出て北に向えばもう我々が知る文明は無い。つまり、補給は受けられない。大西洋を横断する時はそもそも島が無いので、その点は何も怯えるべきものは無かった。フロリダ半島に接近したときにガイガーカウンターが異常に鳴り出して慌てて外洋に逃げたり、旧ニューヨーク市沖を通ったときに陸地に煙が上がっているのを観測したりもしたが、この後経験したことに比べれば、私達にとっては些事だった。

 船は旧モントリオール市にたどり着き、そこで座礁した。

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