凱歌

 空が白み初めてから少し経ち、今の時刻は午前3時を回ったところ。真夏といえども北緯60度弱に位置するステルセンダム港では、夜の海風も手伝ってとても寒く感じた。コンテナ群の影に隠れて人の目線は遮れても風は遮れない。それももう少しの辛抱だと自分に言い聞かせる。コンテナの隙間から乗るべき船が覗けた。甲板の前方に、船のサイズと比較してしまうととても小さいものと錯覚してしまうような砲が一門だけ見えた。砲の口径だけで100mm以上あるはずなのだ。人に撃てばひとたまりもない、どころか建物だって余裕で打ち崩せる。艦隊戦をしようというときには心もとないが、私の目的には大きすぎるぐらいだった。

 私が身を潜めているところに、一人分の足音が近づいてきた。こんなコンテナ倉庫の奥深く、それもこんな早朝では、道に迷っても来るところではない。念の為息を潜めたが、すぐに不要だったことがわかる。

「先輩」

聞き覚えのある声が聞こえた。8ヶ月ぶりの声だった。応えて、一応決めておいた符丁を言う。

「我、太陽に付き従うものなり」

「もう、先輩ってば、そんな大仰なのは恥ずかしいですって」

「だが、一回も使わないってのも勿体ないだろう」

「そんなこと無いですよ」

そう言いながら彼が姿を現した。まだ少し暗いが、彼の顔もやはり見間違え得ない。東にある山で朝日も遮られ、互いに逆光にもなっていない。開けた西側を見て、もしや良い夕焼けスポットになるのでは、とか思った。そう思うと、彼の顔が朝日に照らされていないことが少し残念に思えた。朝日が差し込んでいれば、私が逆光になって少しは威厳あるように見えたことだろう。

「予定通り5時16分出港です。もう荷物は詰み終わりましたんで今のほうがさっきよりは人の目も少ないんですけど、やっぱりもうちょっと人の出入りがごたつく4時半過ぎがいいと思います。どうします、先輩麻袋に入れてかついで行きます? 私なら怪しまれませんよ、先輩」

「俺を、お前がか?」

「ええ、鍛えたんですよ、私も。ほら、これだって」

そう言って彼は左肩の袖をつまんで見せた。その意味が分からなくて袖を見て顔を見てを二度ほど繰り返したあと、彼の軍での階級が一つ上がったのだと説明してくれた。

 政変で皇帝が退位させられたのが8ヶ月前のことだった。共和主義者共の政権の掌握は非常に迅速で、軍の掌握も一両日中には済んでしまったように思えた。私をはじめとした皇帝支持者は当然反発したのだが、端から相手にされず、皇帝支持者は軍から除名する、とだけ布告が出て、できるのならやってみろと思っていたら本当に無職になってしまった。

 軍が掌握されてしまってはどうしようもない、というのは敗北主義者の考えだ。士官学校の後輩と親交を深めようと思うから来てくれ、という趣旨の手紙を今私の真正面にいる男に出し、彼を呼び出した2ヶ月半前のこと。彼は私が熱烈な皇帝支持者であることは知っていたし、彼もまた皇帝への恩義があった。たまたま共和主義者のクーデターが起こった時に休暇を取っていたから除名されずに済み、その後も賢く立ち回って皇帝支持者の摘発を免れた。頭の良さでは私は彼に全く敵わなかった。

 だから今、私は彼の手引きの元の密航を計画し、実行しようとしている。より正確には、彼の助力を得てあの船を乗っ取る。そのために、もう少しだけ我慢する必要があった。もう少しだけ、海風の寒さを耐え忍ぶ必要があった。

 彼はもう行ってしまった。急に直射日光が差し込んできて、なんだか噛み合わないなと思った。水面が輝いていた。

 直射日光に温められれば北の大地であっても夏場は汗ばむ。朝方の無風の時間というのもあり、彼が戻ってきた頃には寒さを忘れていた。そして彼の手には本当に麻袋が持たれていた。躊躇しながらもそれに足を入れ、彼が体全体を覆うように引っ張り、口がきゅっと閉められた。そして担がれた。けっこう苦しかったが文句は言えない。おそらく20分ほど歩いて、音の反響具合が大きく変わったことと漏れてくる光の質が変わったこと、それから人気が多くなったことからもう船内に入ったのだと気づいた。1分もしないうちに地面に置かれ、彼の気配も無くなった。ドアが閉まる音がした。

 自分以外の音は聞こえなかったので、手を伸ばして麻袋から顔を出してみた。何かの倉庫の中にいた。見回して見えたものは、箱、また別の箱、少し粗雑な箱、袋、別の袋、小さめの箱、細長い箱、それから……いいか。特段興味を惹かれるものもなく、また出港までも30分以上あるはずだった。箱の置かれ方が疎だったこと、箱の無いところの埃の積もり具合からあまり使われていない倉庫らしいことはわかる。とかく安全な場所だろうということが分かると、急に寝たくなった。元軍人としていつだって起きられるし、寝られる時に寝るべきだろうと思い、麻袋の口をドアの反対側に向けて寝転がった。口を閉じるのが難しく、内側に折り込んで満足とした。そして寝た。

 急に地面が揺れて目が覚めた。いや、地面ではなく、揺れているのは船全体だろう。出港か、と喜んだのも束の間、部屋の中に自分以外の人間がいるのを感じ、背筋が凍った。麻袋の口の方に来て、万事休すかとも思ったが、そこで覗いた顔が今日一番見た顔だったので、緊張が解けた。麻袋を脱いで倉庫の中に二人が座った。

「これからどうするんですか、先輩?」

「ひとまずもう少し待つ。外洋に出ないことには乗っ取ってもすぐ捕まってしまうだろう」

「ええ、まあ。これが船内図です」

「ありがとう。で、この部屋はこれだとどこだ?」

「ここですね、ここに副船長室がありますでしょ? この裏の名前の書いてない部屋です。私が副船長になれたんで、この部屋は私が自由に使えるんですよ」

そうか、昇進したというのはそういうことだったのか、と今になって気づいた。

 さておき、どんなに緻密な計画を立てたとて2人で船を1つ乗っ取るのは無理がある。乗っ取るまではできても、反対者を全員縛り上げて船を航行させるわけにはいかない。協力者はどのくらいいるのか、と尋ねたら10人ほどという答えだった。大満足だ。船のいろいろな業務には支障があるだろうが、動かす分には十分な数だ。

 実行は2時間後と決まった。副船長が見当たらないのは露骨に怪しいので、ということで私を別の部屋に案内してもらってから彼はどこかへ行った。船内では不思議と人に出会わなかった。

 部屋に入ると、ちょっとした歓声が上がった。海の男らが顔を出すこと11人、狭苦しい部屋が尚更狭くなったように感じるが、懐かしさもあった。違う船だが、8ヶ月前までは私はこういった場にいたのだ。不当に私を排斥した共和主義者への怒りが燃え上がった。

「歓迎ありがとう、諸君」

「ペッレさんにはいつもお世話になってまスから、その先輩を喜んで迎えるのは当然スよ。我々は全員、まあ皇帝への積極的な支持者ってわけでは無いんスけど、共和派が気に食わないってことと、あとペッレ副艦長にいつも世話になってるってことは一致してるんでス」

「そうか、助かる。君がこのグループの代表か?」

「いえ、そりゃ代表はペッレさんでスよ」

「すまない、聞き方が悪かった。君の名前を教えてくれ。それと、話を聞く限りでは艦長の名前が出てこないようだが」

「あー、俺の名前はトールビョルンでス。艦長は……グスタフさんは、共和派が抜擢して連れてきた人で、話してみても筋金入りの共和主義者なんでスよね」

「……なるほど。なるべく人は殺したくないが、いざというときには……まあ、やむを得まい。それでは、そこの君の名前は?」

そのようにして、一通りの名前を把握し、次いで襲撃の計画を説明した。時間が余り、テンションも上がったので、共和派によって歌詞が若干変更された国歌を皇帝礼賛の歌詞のまま歌ったりもした。酒も飲んでいないのにすっかり上気してしまった。

 突然人が入ってきて、部屋は水を打ったように静まり返った。後輩の彼だった。部屋に緊張が走った。彼が来たということは、襲撃の時間が差し迫っていることを示していた。彼の声が部屋中を震わせ、彼と目が合った。私を見てはいない気がした。

 通信室の前に13人が揃った。後輩の彼が通信室のドアをノックし、ドアは内側から開けられた。

「やあやあこんにちは、交代の時間だよ」

彼は銃を構えながら部屋に入った。それに私も続いた。通信員3人を苦もなく拘束し、我々のうち3人がその代わりに就いた。哀れだが、仕方ない。

 陸上への通信はただの通信員の交代ということで続けられた。船長室へのそれだけが変わった。

「もはや艦内に共和主義者の味方はいないことを自覚せよ。どうぞ」

「……反乱者は、常に変わらぬ鉄の規律によって処分される!」

「どちらが反乱者であるか、まだお分かりになっていないようだな」

通信が切られた。銃を再び見直して、船長室へ栄光ある歩みを進めるだけとなった。

 そこで銃声が聞こえた。

 もう一発聞こえた。拘束した通信員の一人が銃で自身を撃ち抜いていた。私の横で人が倒れた。そこにいる人間は後輩の彼だった。驚いてとっさに体を支えたが、顔の傷がちらりと見えてしまった。額に赤いものがあった。


『怒りに任せ、我々は船長室まで決断的に進んだ。共和派の蒙昧を象徴するような船長はその命でもって代償を支払い、私が暫定艦長となった。これよりこの船は共和国首都まで向かい、同調する同志の支援のもとクーデターを開始する。皇帝に栄光あれ。』

これがこの事件のあと、艦内で発見された日記に記された最後の文であった。船から3人が消え、1人が増え、その後船の撃沈とともに全員がこの世を去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る