宗教的無政府主義

 お師が死んだ!

 お師の死体は今朝見つかった。この講堂からそう遠くない道の崖下に転がっていた。お師は時々趣味で崖から飛び降りたり一ヶ月飲まず食わずで過ごしたりとかしていたけれど、いつも我々には理解しがたい超自然的な力で死んでいなかった。だったらお師の加護は消え去ってしまったのか?

「そんなわけないだろう! お師はもうこの世にいる必要が無くなったから、お師を守る力も消え去ったのだ。神がそう認めたのだ!」

私の声ががらんどうの講堂に響いた。実はお師の弟子は私を除いて誰も私の見解には賛同してくれなかった。どころか、「あっ、普通に死ぬんだ……」とか、もっと悪ければ「やっと死んだか」とか言ってほかの弟子たちはどこかへ散り散りになってしまった。そんなだったから、そもそも私の意見を伝えようとする暇も無かった。

 どれだけお師に頼ってきていたのか、しみじみと実感が湧いてきた。お師がいつも立っていた台に乗ってお師の真似事をしてみても誰一人聴衆は出てこない。今まで弟子を自称していた人々が私を除き全て去ってしまった以上、もしお師を継ぐことができる人が存在するなら、それは私をおいて他にいるはずがなかった。ところが、私ではお師を継ぐことはできない。お師の力を私は全く持っていないからだ。それならどうすれば良いのか? 私には、なんとか離れてしまった元弟子たちを説得して呼び戻す以外に何も思いつかなかった。

 それも私にできるのか? いや、こればかりはやってみなければわからないだろう。

 というわけで、私は講堂を出て、お師飛び降り推定地点を通り過ぎ、お師ゆかりのなんやかんややお師に特にゆかりのないなんやかんやも通り過ぎ、一昼夜を明かして山を降り、また夜が来て寝て起きて歩いてやっと町らしきものにたどり着き、通りの一番端にあったので扉を叩いて入れてもらった建物の中にあった意味のわからない装置に目を釘付けにされていた。がしょんがしょんとけたたましい音を鳴らしながら見る見るうちに布に模様が織り込まれていく。店主は何もしていないように見える。何もしていないのに、物事がもりもりと進んでいく。こういったものには見覚えがあった。

「そうか……お師の力はここに残っていたのか」

「おーいお客さん、そっちに触ると危ないよ! 針で指ごと縫われちゃうんだから」

お師がよくわからない力でボロボロになった衣をあっという間に元に戻しては、またよくわからない自傷をしてボロボロにするのを何度も見てきた。お師は装飾を好まなかったけれど、やろうと思えばお茶の子さいさいだったのだろう。

「……店主! おい、店主!」

「なんですか」

「このあたりに、をやってる店は他にもあるのか?」

空間内にうるささを撒き散らしている元凶を指差して言った。こいつのせいで一度目の呼びかけはかき消されてしまったのだ。

「ええ、もちろんありますよ。真向かいとその隣、それから一つ飛ばしたところとその向かい、それから……口で言うよりも地図でも描いた方がいいですかね」

「いや、その必要は無い。……いやはや、お師の力はちゃんと広まっていたのだな……」

「なんて? お客さん、もうちょっと大きな声で話して下さいよ!」

「なんでもない! いや、なんでもなくはない! お前もお師の力を借りているのだろう、お師の教えを再び纏めることに」

そこで唐突に轟音が止まった。装置が止まったらしい。店主がやってきて縫われていた布を取り上げた。誰かの名前らしきものが刺繍されていた。いくぶん声量を落としてから続きを言い切った。

「お師の教えを再び纏めることに協力してくれないか」

「はあ?」

「話はまとまったな。また明日来る!」

このときの私は無垢が過ぎた。お師の力を使うということがお師に従うということとは限らない、ということが分かっていなかったのだ。

 次の日、町で見つけた宿になんとか泊まらせてもらい、朝になって意気揚々と昨日行った店に行って異変に気がついた。昨日行った店にまた行ってみたところ、私の顔を見るなり店主がぴしゃりと扉を閉めてしまったのだ。他の店々を回ってみてもあの店でと言った途端にだいたい同じような反応を受けた。ここに来て流石の私も気がついた。実はお師の力がこの町の連中に奪われたのだ、と!

 実際にどうやって奪ったのか、そもそもお師の力はあれだけではなかろうが、とは思ったが、まあ私の知らない何かがあるのだろうと思って納得した。

 というわけで別の町まで来た。今度は歩いて半日もかからなかったから、相当近い位置に町が何個もあったということになる。お師を追いかけていたころには気付けないことであったなあ、と思って何かの感慨に耽った。

 次の町でも、今度は少し探したが、あの面妖な装置で(つまりお師の力で!)布を作っている人間が見つかった。しかも前の町の人間とは違い、快く泊めてくれると言ってくれた。お師のことは知らないようだったが、これだけ善い人間がお師から力を奪ったとは思えない。さてはあの町の人間を介して知らずして奪われた力を持ってしまったのだな、と思った。

「で、旅のお方、そのお師サンってのはそんなにすごい人だったのかい?」

「ああ、それはそれはすごいお方だ。崖から飛び降りて骨を何十本も折ってもすぐ治せ、猛毒を持つ茸を鍋にして食べて盛大に嘔吐はすれど命にはかかわらず、雷に打たれても皮膚が焼けるだけで済んでいたりした。そのお師が突然死んでしまったというのは神の思し召しとばかり思っていたが、先の町を見て私は確信した。お師は力を奪われ、その欠片を民衆が利益のために使っているのだ。ああいや分かっている、お前は知らずしてその力を得てしまったのだろう、気に病むことはない。なにせお師はもう死んでしまったのだからな、その力があっても……」

「いや、俺これは関係ないと思うけどね」

「お師を見たことがないからそんなことが言えるのだ。そんな強大で摩訶不思議な力を持つもの、お師を除いてほかにはあるまい!」

「……まあいっか。俺がこれ作ったわけじゃないし」

「しかし腹の虫が収まらないということもある。そこで、私はあの町にお師の弔い合戦を挑もうと考えている。お前はどう思うか!」

「どうって言われても……待って、弔い合戦ってどういうのやるの?」

「それは勿論、お師の力を全く不当に奪い去り、私がお師の一番弟子だと知るや否や門戸を全く閉ざして私を町から追い出した輩共の家々を焼く、それだけだ!」

「……ふーん。んー……分かった。じゃあ、そのお師サンの言ったことをもっと教えてくれない?」

それを聞いて飛び上がるほど嬉しかった。私が笑ったのを見て、この善き店主もにっこりと笑った。

 信頼できる人たちに話を広めて隣町を攻める準備するからまあ一週間ぐらいは待っててよ、とその店主に言われ、そしてその間は求められるままにお師のこと、お師の教えを話してまわる生活を送った。お師の弟子を詐称する人々は去り、お師から力を奪った人々は鉄槌を下されるのだ。

「『高いところに物を置くと落ちて危ないから、重い物や大事な物は地面に置いた方が良い』。お師はそうおっしゃった。価値のあるものこそ低く見よ、ということである」

「へえ」

「またさらに、『火は実際やけどとかが危ないので、もし火を使わないでも良い方法があるなら使わないほうが良い』ともおっしゃった。仮初の輝きに惑わされずに真実を見極めよ、さもなければ真の価値は失われる、ということである」

「そうなの?」

「真の言葉だ。もっと他にもあるが、一度に言っても仕方あるまい」

「ふーん。じゃ、それを皆に広めてくればいいわけね」

「ああ。頼んだぞ、若き店主よ」

「わーかった。じゃ行ってくるわ」

と、襲撃の日まで、このようにお師の言葉を広めることに勤しんでいた。

 そしてついに隣町を攻め落とす日がやってきた。あの店主のほかに何十人も弓矢で武装し、そして当然私が先頭に立って篝火を持ち夜の街道を行進していった。どうやら私が最初に通った道はかなり遠回りだったようで、すぐつながる道をゆけば3時間ほどでたどり着くらしい。着くまで篝火の火を一度も点け直す必要は無かった。

 町の入り口に立ち、私は篝火に矢をかざして矢の先端に火を付けた。弓の心得は無かったが、どうせ精密に当てる必要は無いのだ。お師の力を奪った代償、町ごと焼き落として貰い受ける。黒い夜の帳に金色の火矢が光った。家屋の建ち並ばないところまで飛んでいき、消えた。

 それを合図に各々矢をつがえた。これまたよくわからない火を出す小さな装置で矢に火が付いていく。火を付けた者から撃っていく。夜闇に金の筋が溢れていく。時折金地に闇があるようにすら見えた。すぐに町の家の並びも金色に染まった。

 町から人々が飛び出してきた。刀や棒やを持っていた。しかし大義はこちらにあるのだった。

「お師から力を奪ったその代償、その命で償いたまえ!」

あらん限りの声で叫んだ。矢など当たらないので弓で殴るかと思って構えようとした。その瞬間、背中に衝撃を受けて倒れ伏した。同時に背中から激痛が走り、動けなくなった。

「はい、お疲れちゃん。いやー、なんつーか、そのお師サンっていうのはそんな不思議な力は持ってないんじゃないかなって思うよ、俺は」

泊めてもらった店主の声だった。分かっても、声も出せなかった。

「なんでって、そりゃーどう見てもカルト宗教やってるおじさんじゃん、あんた。刺繍ミシンはお師サンの力じゃなくて電気で動いてるんだし、奪うも何もそのお師サンが死ぬよりずっと前からこれは使ってたんだよ? あっ、じゃあなんで今さらって、それは偶然あんたを使ってこっちの町を焼けるってわかったから。単純に商売敵なんだよね、こっちの町」

今まで経験したことのない激痛が続いていて、何かを喋っていることしかわからなかった。お師は今までずっとこんな体験を繰り返していたのか。苦しかっただろうに、どうしてなのだろう、あっ、これを耐え抜けば私も、あるいは

「いやーすみません! 元凶はもう射止めましたんで! あっ詳しいことはあとで話すんで、とりあえず消火しましょう消火! あとで勿論損害賠償とかもやりましょ、それよりも先」

聞こえたのはそこまでだった。

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