継承演舞

「それでは、ここに新国王マクシム一世陛下と、クバンスク伯爵にして騎士団長レフ・アレクサンドロヴィチ・ヴィクトロフとの試合を執り行います」

厳かな声が響いた。目を閉じたまま右を向いて、先王の遺体が入った箱に一礼した。向き直って目を開いた。兜の細い一文字の隙間から残りの世界が見えた。その背景には王家の聖堂があり、その中央には新たな王となった人物が立っていた。私よりもかなり背が低く、まだ14になったばかりなのに全身には鎧を身に着けて、立派に私に向かって立っていた。

 本当に惜しい。私はこの王に仕えることはない。なぜなら、私はこの場で死ぬからだ。それも、あの新たな王の剣に斃れて。

 騎士団長の職は単なる名誉職ではなく、王国中で最も強い騎士の証としての誉れ高き称号であった。無論戦争があれば兵の最も上に立つものとして振る舞い、王には忠誠を誓う。そしてその王が騎士団長と戦い討ち取ることで力を示す。遥か数百年前は本当に弱ければ王になれず、強い者が王座を争ったりしたこともあったという。しかし今ではもはや儀礼的な意味しか残っておらず、そのために私はこの若き王君に殺されなければいけないのだった。

 不満は無い。もとより先王に一生かけて仕えてきた身、ここで死ぬことで王の御下に旅立ってあの世でお仕えできるのであれば、それよりも良いことは無い。そのためになされるべきことは何であろうか。

 そう、無論、新たな王の刃に斬り伏せられることである。

鉄同士がこすれる音が真正面から聞こえた。私の腰元からも鳴らした。聖堂のステンドグラスから入る光は柔らかく、若き君主の剣全体が光っているように見えた。

 一度中段に構えてから、この身長の人間相手では高すぎる構えだということに気づいた。下段に降ろそうかとも思ったがやめた。私は勝つ側ではないのだ。威圧的ながら動きに乏しい構えは、むしろ一番良い選択とさえ言えるだろう。それを見て、彼は上段に構えた。剣を大きく振り上げたままずんずんこちらへ接近してくる。私も呼応して少し体を前に動かした。

 彼はそのまま剣を振り下ろしてきた。半歩下がり、私の剣を少しだけ回転させて彼の剣を弾き、場所を入れ替えた。彼が中段に構えたのを見て距離を詰め、同じように剣を回して弾いて、彼の鎧の肩を剣の腹で叩いた。力加減はしたつもりだったが、彼の姿勢は崩れた。間違っても殺したりしてはいけないので後ろに飛び退き、また距離をとった。

 彼はまた上段に構えた。私は下段に構えた。自然と間合いは詰まった。互いに中段であれば剣先が交わされて剣2本分の間合いとなるところ、彼が上段で私が下段に構えている。交わる剣先は無く、剣1本と少しの間合いだけが残った。

 彼の鎧に描かれた、彼自身の紋章が光っていた。先王の紋章であれば、私の親はとうにこの世を去っている身、本当に親の顔より見たかもわからない。よく見れば先王の紋との違いがわかる。紋章学にはとんと疎いのでなんと呼ぶのかは知らないが左上の部分とその縁取りだけが違う。先王のもののほうが立派に思えた。

 彼がわずかに動いたように見えた。反射的に斬り上げ、彼の剣にぶつけようとした。目論見は当たったが、予想よりも高いところでぶつかった。反応が早すぎたか。自然な風を装って、押し返されたように胸元まで手を降ろし、鍔迫り合いをするように籠手を向けた。

「おい、レフ」

「なんでしょう、陛下」

「……なんでしょう、じゃないよ。僕と試合をしようって気はあるの?」

「ありませんよ」

舌打ちする音が聞こえて、多分突き飛ばされた。私は動かなかったが、彼は反動で大きく下がった。

 当然だ。これは試合という名前の付いた継承儀式なのだ。私が陛下を斬ってしまっては何の意味も無い。まあ、それはそうと私はもうすぐ故人になるのだ、本音を雑に言ってしまってもかまわないだろう、という思いから気楽ではあった。一時間後には死んでいることがわかっているのなら、今自由意志によって生きているとは言えないだろう。だったらもう死んでいるのではないか? 死人が葬儀に参列するとは、これはおかしい。いやいや、死人だからこそ陛下の相手ができるのだ。

 彼の剣先が光った。鎧の胴が一瞬押されたのを感じた。剣先で突かれたのだ。この間合では当たるまいこと、相当の馬鹿力の持ち主でなければ胴を貫通することなどできやしないことから私は避けようともしなかった。それだけに驚いた。流れるように彼の剣が私の剣をわずかに弾いて、近すぎるほどに間合いが詰められた。

「どういったおつもりですか」

「真面目に試合をしろって言ってんの」

「できませんよ、陛下。陛下も理解いただけていますでしょう?」

「……ちゃんとやってくれなきゃ、次はお前の肩を落とす」

それは困る。この戦いは騎士団長の首が若き王に撥ねられて終わらなければいけないのだ。肩なんか斬られて私が戦闘不能になっては収まりがつかない。

 それに、彼だって本気を出してなんかいないのだ。彼はもっと速く剣を振るえる。彼の踏み込みはもっと速くできる。やろうと思えば、今のほとんど無抵抗の私の剣を吹き飛ばして10秒もかからずに兜を地面に落とすことができる。なにせ、その技術は全部私が教えたのだから。

 彼の剣先が閃いた。私から見て時計回りに少し回る癖がある。もっと真っ直ぐにしないと、目で見てからのタイムラグで弾かれてしまう、と何度も教えたのに。それを見て私の剣で彼のを弾き、返す刀で彼の胴の横を叩いた。彼の刃はまっすぐ私の右肩を狙っていた。

 微妙な間合いになった。中段で構えるほどの距離は無い。横から見れば斜め上に持ち上げた互いの剣が中程で交差しているぐらいの距離だ。突然彼の剣が視界から消えた。剣が見えずとも体の動きを見ていればどこに行ったのかぐらいはわかる。すぐ下、私の手元を狙って動かしたのだ。そして私の剣の握りをぐらつかせ、できた隙に剣を叩き込む。私の得意技だった。鍛錬のときによく陛下相手にやっていたものだった。体格差から陛下は簡単に吹っ飛んで、練習用のなまくらのを叩き込む前に倒れてしまうこともしばしばあった。逆に、今の私の腕はぜんぜん動かなかった。隙もなく、彼の剣はいともたやすく弾かれてしまった。

「陛下が本気をお出しになってもいないのに、私が本気で戦うなどできませんよ」

「僕だってそうだ!」

「そんなことはありませんよ。陛下は皆の上に立たれるのですから」

「本気でない相手に本気を出すのは騎士道精神に反する! 教えてくれたのはお前だろう、レフ・アレクサンドロヴィチ!」

「ええ、騎士団長として、私はそう教えました。しかし」

「しかしも何もあるものか!」

「しかし、陛下。陛下は、もはや騎士ではないのです。騎士ではなく、王になるのです。騎士などのような小駒相手に気を使う必要は無いのです」

「だったらどうした! いや違う、そうか、お前は騎士だったか! 騎士なら、本気で戦う相手に本気を出さないわけにはいかないな!」

弾かれるようにして彼が後ろに下がった。そして、今までで一番速いスピードで剣先の光の軌跡が見えた。光が左に流れていった。油断した。そう思ったときには鉄のパーツがぶつかる激しい音と左の肘に熱を感じ、剣を握っていたはずの左手の指の感覚が無くなった。また鉄のぶつかり合う音がして、彼の剣先を視界が捉えた。血が滴っていた。左腕全体がずきりと痛んだ。剣を重くするだけになったので、右手だけで剣全体を振って左腕を落とした。肩からだらりと垂れて、痛みが少し増した気がした。

 彼の剣先が手招きをするように動いた。右手だけで剣をぶん回す。手首から先だけを一回転させて、その勢いのまま彼の剣にぶつけた。正面から受け止められた。拳一つ分だけ弾かれて、逆に彼の剣が私の左肩を狙って来た。体を回して避けた。さらにその内を剣が通り、鎧の肩の丸さに刺さらず流れた。彼の肩が引かれるのが見えた。私の首を狙った軌道だったから、その剣に私の剣をぶつけようとして、彼の剣は籠手にぶつかった。腕が鈍くしびれた。

 彼は間違いなく本気になっていた。目も表情も兜に隠れて見えないけれど、まっすぐ私の顔を見、視線が私の腑の奥まで貫き通しているように感じた。

 危ないと思って後ろに跳んだ。しかし彼は追ってきた。私が痛みをこらえながら下がるよりも彼の方が速かった。瞬きするくらいの時間で間が詰まって、剣を振り回せば彼の後ろの空間を斬ってしまうほどの近さになった。彼の剣が下から私に向かって突き上げてきた。すんでのところで首の隙間に刃が通ることは避けられて、剣先が兜の正面をひしゃげた。

 しかし、捉えた。右腕を根本から回して体を捩り、彼の剣を巻き込んだ。剣を離すまいと彼がその勢いに乗せられて私に背中を晒した。引き抜いて右肘から先だけを時計回りに回し、彼の背中に私の剣先が通った。貫通はしなかったが、単純なぶつかった勢いから彼はのけぞったように見えた。振り返りの勢いを使った彼の斬撃が飛んできたが、もうだめになっている左腕を使って受けた。痛みがしびれで薄まった。

 もう一撃だ。今度はまっすぐ、恐ろしくわかりやすい軌道で彼の左肩にまっすぐ剣を突き刺しにいく。踏み込みごと飛んでいく剣先は相当の速度だ。しかし弾かれる。当たり前だった。私が教えたとおり、体の外に向かって彼は私の剣を弾いた。だからこそ、そこから回して二の太刀を入れられた。彼の頭を飛び越えて、剣は逆側の肩に刺さった。すぐに引き抜いたが、剣先は赤く染まっていた。それでも彼は大上段に剣を構えた。つい、私の口角が上がってしまった。兜で隠れていて、本当に良かった。

 彼の剣は愚直に私の首を狙う軌道だった。ニ度避けた。ものすごく単純な軌道だったから、私は一歩下がるだけで避けることができた。三度目は、避けなかった。

 聖堂の白い床が血で赤く染まった。王に捧げる生贄の血だった。

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