毎日投稿ランダムお題オムニバス修行

山船

閃光の魔女

 昔から、たぶん1年に1度ほど、私が住む町の丘の上でものすごく強い閃光が放たれていることがあった。時間はブレがあるけどだいたい日が暮れて暗くなりきってからそんなに時間の無いくらいの時で、家の明かりを消していても新聞が読めるほどの明るさになるものだからいつでも気づかないことは無かった。ときどきこうして明るくなったりするたびに、こういったことがあるたび大はしゃぎしていた子供の頃のことが思い出された。やっと寝入ったのにやたら明るくなるから起こされて困ったものだったよ、と言っていた両親のことも。

 その両親も死んで、私も老いた。対照的に閃光の頻度は増えて、最近では1月に1度ほどにまでなっていた。たまに昼に光ることもある。突然明るくなって、おや、雲が切れたかな、と思うと影が長く伸びているのだからすぐにわかる。太陽と同じように目に悪いので見ないほうが良い。もっとも、失明しても困るほど若くもないのだが。

 あの光には、この町の伝説とも民間信仰ともつかない話が一つあった。あの光は人間の感情が光になったもので、あの丘の上には魔女が住んでいるのだ、と。その魔女は迂闊にやってきた人間の感情を食らってしまい、食らわれた人間は無感動になるからすぐに自殺してしまう、だからあの丘には近づくな、と。初めて聞かされたときには震え上がったし、しばらくの間は光を視界に入れるだけでも感情を食われてしまうんじゃないかとまで思っていたけど、幸運にもそんなことは無かった。

 面白いことに、最近その噂話が半ば真実らしいことが分かってきた。どうやらインターネットか何かを通して心霊スポットとして話が広まったらしく、たまに肝試しに行く若者がいるのだ。半分ぐらいは町に帰って来ず、帰ってきたうちのさらに半分はなんともない。それで、残りの半分はすっかり魂を抜かれたようになってしまっていた。それが感情を食われたからなのかはわからないが、町に帰ってこない若者らはもしかすると本当に自殺でもしてしまっているのかもしれない。

 もしかしたら話が真実の一端を含むのかもしれないが、全体は判然としない。ただ一つだけはっきりしたことがあり、それはグループで行けばグループの全員が「感情を食われてしまう」か、全員なんともないか、という二つに一つの結果しか無い、ということだった。感情を失って朦朧とした若者らは何か尋ねても全然意味のわからない答えしかくれないし、普通に帰ってきたグループからは普通の廃屋しかなかったという答えしかくれない。そこのことはまるでわかっていなかった。

 だから、私自身がその場に行く必要があった。人生の最後にすべきこと、その一つ前にすべきこととして、あの場所に行こうと思っていた。あれさえ見れば、あとはどうやって楽しく死ぬかを検討するだけだ。逆に、あれを確認せずして死ぬことはできない。私の好奇心がそうさせない。

 もしかしたら死ぬかもしれない。死なずとも廃人のようになるかもしれない。まあ、死んでも惜しくなかろう。衝動的に死んでしまうのなら死ぬ前の楽しみが少し減ってしまうことになるが、あいにくまだこの世に生を残す友人も片手で指折り数えられるほどしかおらず、家族に関して言えば天涯孤独の身になってしまった。帰って来られなかったときのため、居間の机の上に遺書も置いておいた。国王にだって迷惑はかけまい。居間の明かりを消すと、月光に照らされて遺書のところだけやけに明るいように感じた。やはり違和感がある。遺書はここにあるべきではないように感じ、きっと遺書は自分の手で取るのだろう、と思った。

 これが見納めでも頭の中で正確に再現できる我が家を、もう一度玄関から見回した。柱の傷に目が止まった。故意に付けた覚えはないから自然に付いた傷か、それとも父の身長でも記録した傷かもしれない。どちらでもよかった。帰ってきたらどの傷よりも高い所に一つ傷をいれてやろう、と思った。玄関の明かりを消して鍵をかけずに出発した。

 家を出て歩き出せば、もうあっという間だった。町の見慣れた部分は数分。一度は見たことがあるかなというところも精々一時間。明かりがだんだんと減り、ついにはすっかり無くなった。手持ちのライトで行く先を照らした。野山に分け入って、棘のある植物がちくちく当たった。公式にはトレッキングコースのはずだし、多分最近は月に一度ほど使われているだろうに、まったく踏み固められていない道だった。そしてそれも唐突に終わった。

 満月の光に照らされて、開けたそこには小屋があった。看板のたぐいは見当たらず、正面のドアには小さな家屋に似つかわしくない古風なドアノッカーがあった。一応、ここは魔女の家ではない、とか書かれたりしていないか確認して回ってみた。私の町の住人ならこんなところには住むまいし、もし住んでいるのがただの人間だったとしたら最近の若者らには辟易しているだろうと思ったからだ。が、そんな文言は見当たらなかった。

 そんな風に万を持してドアノッカーをがんとやろうと思っていたから、手を伸ばしたときにドアが開いてそれはもう驚いた。多分私の足から背中からは物理的に跳ねた。扉からは人の姿が見えるよりも先にくすくすと笑いが漏れてきていた。

 青の見えるような白い肌の中に真っ赤な目が浮かんでいた。

「ようこそいらっしゃいまし、魔女の館へ」

「これは……どうもご丁寧に。こんな真夜中に失礼」

「いえいえ。魔女にとっては昼間のほうが失礼ですもの、さ、こちらへどうぞ」

明かりのない室内に蝋燭立てだけが乗ったテーブルがあった。その椅子の一つに座って、彼女が正面に座った。蝋燭立てが月光に照らされて金色に輝き、その奥から彼女の鮮血のような色の目が光っていたように見えた。

「まずはお茶を一杯どうぞ。とは言っても、わたくしのこれはもう随分と前の茶葉ですから、口に合わなくともご容赦なさってくださいまし」

「これは……ニルギリじゃないか、私の好みの」

「あら、お気に召しましたら幸いというものです」

口に合わないどころか、今まで飲んだどんな紅茶よりも美味しかった。そんなに高い茶葉を選んで飲んだことは無いとはいえ、口にしたことのあるどんな味よりも別格と思えた。甘く、穏やかで、澄み切っていた。

「それで、本日はどのようなご用件で?」

「……語弊のある言い方をすれば、君に会いに来た、となるね」

「あら、あら、まあ。わたくしが魔女であることをお知りになった上で!」

「そうだ」

「ふふふ、良いでしょう、良いでしょう! まあ、わたくしは魔女ですもの、この山に貴方様がお入りになった時点で、貴方様がここに来ることはわかっていたのです。貴方様が近づいてきて、良い心をお持ちであったからこそ、わたくしも幻惑の魔法を解いてこの館を貴方様の元へと現したのです」

「良い心?」

「ええ、良い心です。ただひたすらに、人生を終わらせても良いから、私に会いたい、という」

「それじゃ、随分私がロマンチストみたいだな」

「ある意味ロマンチストでしょう? わたくしがすることだってわかっておいででしょうに」

「ああ。『感情を奪う』なんて伝えられているが、本当なのか?」

「ええ、真実の一端ではございます。しかしながら、悲しいことにそれは真実の一端でしかございませんのよ」

「そうなのか?」

「ええ。本当のことは、貴方様自身が体感なさっていただきたく思いますのよ」

そう言って、彼女は椅子を引いて立ち上がった。紅茶の残りを飲みほして、私も立ち上がった。彼女の右手にはまばゆい光が持たれて、部屋全体が曇りの日ほどの明るさになった。その光から目を離せなくなったことに気づいて彼女の目を見ようとしたが、どうにもできなかった。

「お気づきになりまして?」

「ああ。でも、お嬢さんの綺麗な目を見られないのは残念だな」

「あら、そんなことでしたら、こうすれば良いのではなくて?」

「……顔の正面にあってもあなたの目が見えるだけで、あなたの目を見ることはできないな」

「こだわりの強いお方。でも、わたくしにもこれを消すことはできませんのよ。これを終わらせるまでは」

じゃあ、と私は口角を上げた。それに応えて彼女もウインクをした。次の瞬間には私の視界は光だけになっていた。

 光は美しかった。極彩色が光のなかにきらめいた。たぶんあれは赤外線の色で、あれはガンマ線の色だ。そうだと。それから星々がきらめいた。夜空に浮かぶかりそめの火球の集合体ではない、光の星々だった。それから赤い目が何組も何組も光の中に浮かんでは消えていった。最後には何も無い闇があって、それもまた美しかった。

 パン、と手を叩く音が聞こえて私は我に返った。目の前に彼女がいた。目は青く、光っていなかった。反射光は鈍かった。蝋燭立ては土のような色を返して、小屋は公営の安く量産された建物のようだった。

「さあ、お返りなさい。あなたのいるべきところへ。あなたはもう死んだのですから」

私は死んだ?

 たぶん、まだ生きている。意志に従って指は曲げ伸ばしできるし、伸ばしたときの皮膚の伸びる感覚もある。ひげもなぞることができる。でも、誘導されるがままに足を動かした。

 扉を開けて外に出ると寒かった。振り返るともう扉は閉まっていた。ドアノッカーがずいぶんと野暮ったいものだったことをよく覚えている。この廃屋のもともとの主人もきっとセンスの無い人間だったのだろう、無感動な私と同じように。

 なぜ遺書など置いてここまで来ようと思ったのだろう? 誰かに見られて恥をかく前にあれを破り捨てよう。そもそも鍵をかけずに出てこなかったか? まあ、いいか。取られて困るものももはや無い。それなら、わざわざ戻る必要も無いのかもしれない。足の力が抜けて立てなくなった。座り込んだ地面は冷たく、空からは雪がちらついていた。

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