銀華のつぼみ、王女のお茶会に招かれる

第3話 1

「――シーラ、はしたないわ。起きなさい……」


 学園の図書館で。


 テーブルに突っ伏すわたしに、お姉様は容赦なくそう仰います。


 そうは仰いますが、お姉様……


「もう……もうムリですぅ……」


 わたしを囲む貴族名鑑と、お姉様手書きの資料束。


 今のわたしはそこに書かれた文字を見ると、矢印が伸びてくっついたり離れたりする奇妙な感覚にとらわれているのです。


「これしきなんだというの?

 まだ基礎的な親族閥だけでしょう?

 ここに利権派閥が加わったら、さらに複雑になるのよ?」


 まだ複雑になるのですか……


 わたしは思わず呻く。


「でも、わからないんですよぅ。

 なんで同じお家なのに、お兄さんと弟さんで違う派閥だったり、さらにお父様とも派閥が違ってたりするんですか?」


 さらに家族全員が違う派閥という場合まであるのです。


 元々頭のデキのよろしくないわたしには、もはや理解の範疇を越えています。


「もう、仕方のない子ね」


 お姉様はそう仰って、わたしの隣の席にやってきました。


 ふわりと香る薔薇の匂い。


 わたし、お姉様のこの匂い好きだなぁ。


 思わず顔がにやけちゃう。


「ほら、起きなさい。

 おまえが言っているのは、このダートウィル家でしょう?」


 お姉様は貴族名鑑の一角を指差し、その家族をノートに書き出していきます。


「おまえは個々人を線で派閥と結びつけようとするから、混乱するのよ」


 そう告げると、お姉様はダートウィル家の当主様の名前を端に寄せた、大きな円を書きました。


 そして円の上には派閥名。


 お姉様は同じようにして、それぞれの名前を端にして、円を描いていって。


「そして、この派閥の中心は派閥名にもなってるからわかるわね?」


「オルセン家ですね?」


 わたしが答えると、お姉様は微笑まれました。


「繋がりの理由は今は考えなくていいわ。

 いまはとにかくどこの閥に所属してるのかを覚えなさい」


 そうして、お姉様はわたしがノートに書き出した、名前を線で繋ぐやり方にバツを付けます。


「この直線的な覚え方では、利権派閥や政治派閥を覚える時に苦労するわ。

 こんな風に、派閥の中心となっている家を中心にした円――面で記憶するようになさい」


 なるほど。


 わたしは思わず呻きながらうなずきました。


 さすがはお姉様です。


 こんなやり方があったとは。


「円の中心に近いほど、派閥の中で立場が上と覚えていくの。

 ちなみに――」


 お姉様はダートウィル家を指差し。


「この家のように、家族全員が派閥が違うというのは、お家の規模が小さいからよ」


 繋がりは気にしなくて良いと仰っていたのに、お姉様は丁寧に教えてくれるようです。


「――規模が小さいと、複数の派閥に入る必要があるのですか?」


「そうしない家もあるけれど。

 ひさしは数あれば良いと思う家もあるという話よ。

 でもね、そういうお家であっても――」


 お姉様はノートにさらにペンを走らせて、ダートウィル家の当主様が所属するオルセン家の派閥円さえも含む、大きな円を描きます。


 それはダートウィル家のご家族の方が所属する派閥の円をも含んでいて。


「こんな風にさらに大きな派閥の視点で見た時は、同一派閥ってことになるの」


「なるほど。

 つまりは下から覚えていくより、まず大きな派閥を覚えて、そこから下に掘り下げていった方が楽って事ですね?」


 わたしが手を打ち合わせながらお姉様に尋ねると。


 お姉様は驚いたような顔を一瞬だけ見せて、すぐに顔をほころばせた。


「……本当におまえは――」


「? ちがいました?」


「いいえ、当たりよ。

 そうして大きな派閥はたいてい、爵位も上だから上位貴族のお家から覚えていくのが正解ね」


 やった!


 正解頂きました!


 褒められてやる気を取り戻したわたしは、貴族名鑑をめくって上位貴族のお家を書き出していきます。


 これならなんとか期日までに覚え切れそうです。


 そう、そもそもわたしがこんなに苦労して派閥知識を身に着けさせられているのは――





「――フローティア姫殿下のお茶会、ですか?」


 数日前。


 いつものように、学食で食後のお茶と雑談を楽しんでいたわたし達だったのですが。


 お姉様の侍女のミーナさんが手紙を手にやって来たのです。


 ダストア人に多い茶髪を一本編みにして垂らした彼女は、お姉様とは別の意味で、『お姉さん』という印象の人で。


 ウチのモニカの良い相談相手にもなってくれているのだと聞かされています。


 そんなミーナさんから手紙を受け取ったお姉様は、中を確認して首を振りました。


「……冗談じゃなく、本気だったのね」


 便箋を封筒に戻して、お姉様はため息まじりに呟かれました。


 そうして聞かされたのは、フローティア姫殿下がお茶会を開催する事と、そこにわたしも招待されるという事。


「うわぁ……シーラ、すごいじゃない!」


 ルシアが両手を合わせて歓声をあげます。


 すっかり仲良しになったわたし達は、すでに名前で呼び合う仲です。


 えへへ。


 まあ、お姉様がわたしを名前で呼ぶようになりましたからね。


 ルシアもつられて自然にっていう流れだったのですよ。


「――あら、ルシア。

 おまえも行くのよ?」


「ふええぇっ!?

 わ、わたしもですかっ!?」


 ルシアはいつも、家格を気にして遠慮しがちなのですが。


「おかしい事ではないでしょう?

 確かにミンクス家は家格では男爵ですが、南部の穀倉地帯で我が国の食卓を支えている大家ではないの。

 もっとお家を誇りなさいな。

 ――そしてなによりわたくしの友人なのです。

 姫様のお茶会くらいなら、参加してもおかしくはないわ!」


「――うんうん」


 ルシアにズビシと指を突きつけるお姉様に、わたしもまったくの同意見です。


 ルシアはこんなにも良い子なのに、自分を低く見積もり過ぎなのです。


「で、でも――着ていく服が……」


「そんなものわたくしがどうとでもします!

 それともおまえは栄えある姫殿下のお茶会に出席したくないとでもいうの?」


 微笑みと共にそう仰るお姉様に、ルシアはプルプルと首を横に振りました。


 その顔で強く出られると、拒否しきれない気持ちはわたしもよくわかります。


「わかりました。どうぞよろしくお願いします……」


「よろしい。

 それでシーラ――」


「……はい」


 ――キターっ!


 来ると思ったんだよね。


 きっとまた……


「……姫殿下のお茶会では、様々な思惑を持った者達がおまえを取り込もうと、あるいは取り入ろうと近づいてくるでしょう」


 ふむふむ。


「そうならないよう、おまえには社交界での派閥知識を身に着けてもらうわ。

 殿下のお茶会まで二週間……できるわよね?」


 にこりと微笑むお姉様に。


「……へぃ……」


 また地獄の特訓の日々が始まるのか……


 しかも今回は知識面。


 前回のダンスみたいな身体を使うものならまだしも……知識面は苦手だなぁ。


 思わず返事もへにょりとしたものになってしまいます。


「シーラ、頑張って!」


 胸の前で両拳を握りしめて応援してくれるルシアに。


「あら、ルシア。

 おまえはミーナについてもらって、作法の学習よ?」


「――へ?」


「前々から思っていたのよね。

 おまえは基礎はできているだけに惜しいのよ。

 いい機会だから、より洗練なさい」


 そうしてお姉様はわたし達を見回し。


「――ふたりとも、できるわよね?」


 わたし達は横目で互いを見合って。


「……へぃ……」


 二人揃って、へんにょりした返事を返しました。





 そんなワケで、わたしはその日の放課後から図書館にこもって、貴族名鑑とにらめっこする事になったのです。


 お姉様が用意してくれた資料を元に、まずはどういう派閥があるのか把握するところから始めました。


 そうして各派閥の名前を覚えるだけで四日が過ぎ……進捗を見に来たお姉様が、机に倒れたわたしを発見したのが先程の事。


 ですが!


 もう大丈夫ですっ!


 お姉様に教わった記憶法なら、なんとか行けそうな気がします!


「――ところでシーラ。

 おまえ、お茶会の時のドレスはどうするか決めているの?」


「……ふぇ?」


「……その様子だと考えていないようね?

 訊いておいてよかったわ」


「冬越しの宴のを使い回せば……染み抜きも済んでますし……」


「王城に一度着ていったものを再び着て行ったら、笑いモノにされるわよ?」


「じゃあ、こないだのやつを……」


「最寄りの宴で着たものを着回しても同じことよ。

 ――新調なさい」


 ……令嬢の世界とは、本当に面倒くさい仕来りばかりのようです。


「……お祖父様にご相談しておきます」


 さすがにわたしの一存では即答できないので、お姉様にはそう答えました。


 そうしてわたしはその晩、領屋敷にいるお祖父様へと手紙を書き。


 四日ほど経って届いたお返事には。


『――支払いは気にしなくて良いから、デザイナーのところへ行きなさい』


 と書かれていました。


 かくしてわたしは新たなドレスを購入する事になったのです。


 ――お祖父様、ありがとうございます。

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