第2話 10

 宴がお開きになり、招待客が興奮冷めやらぬ様子で帰宅し始めた頃。


 わたくしは姫様達と共に、屋敷の応接間に居た。


 本当はシーラを見送りたかったのだけれど、姫様達のお相手をしなければならなかったのだから仕方ない。


 今頃、お兄様がシーラを寮まで送っているはずだわ。


 余計な事をしたり言ったりしなければ良いのだけれど。


「――それにしても美しい娘だったわねぇ」


 姉姫――フローティア様が頬に手を当てて、うっとりと仰る。


「先代の銀華は、私もお父様のお話でしか知らなかったけれど、あの娘のお母様というのなら、さぞかし美しかったのでしょうね」


「あら、あの子の良さは見た目だけではないのですよ?」


 わたくしがそう告げると、フローティア様はにやりと笑みを浮かべる。


「わかってるわ。

 あの山サルが私達を連れて現れた時のあの娘の反応、貴女にも見せてあげたかったわよ。

 あの娘は隠し通せたつもりでしょうし、サルは気づかなかったけれど。

 ――さすがは勇者だわ。

 あの可憐な見た目に反して、苛烈なまでの義侠心!」


「――あたし、人が蹴られて空飛ぶのはじめて見た……」


 妹姫のアレーティア様がカップを傾けながら、ボソリとそう仰った。


「そう、なによりあの武力よ!

 あのサル、腕前だけは騎士訓練所でもトップだったでしょう?

 それが――ぷふっ……」


 フローティア様はあの最後の一撃を思い出したのか、口元を両手で覆って笑いを堪える。


「なんでも、幼い頃からご両親に鍛えられていたそうですよ。

 十三で冒険者登録していたという話ですし」


「その上、十四で侵災を調伏して勇者認定。

 ――話題だけなら、先代を超える逸材ね」


「……あたしは<銀華>まで見られて、本当に協力してよかったと思った」


 アレーティア様は大の<兵騎>好きで、普段城では工廠に入り浸っていて、陛下を悩ませている。


 わたくしがシーラと懇意にしているのを知って、ずっと<銀華>を見せるよう頼んでほしいと言われていたのよね。


「あの娘、ウィンスターに戻るまで<兵騎>なんて触った事なかったのでしょう?

 それなのにあそこまで見事に操ってみせるなんて、本当にすごいわね」


「あの子の真の素晴らしさは、その吸収力と努力する姿なのですわ。

 ご存知ですか?

 あの子、ウィンスターに戻るまでは言葉遣いも作法も、最低限しか知らなかったそうですわ。

 家庭教師に教わっただけで、冬越しの宴に参加したのだそうです」


「……それで金薔薇と呼ばれる貴女を魅了したというのだから、すごいわね」


「ええ、あの子は磨けば磨くほどに輝くのです。

 姫様達が音を上げた鍛錬をあの子はどんどん熟していくのですよ?」


 わたくしが皮肉を込めてそう言えば、姫様達は苦笑した。


「貴女のそれは鍛錬を越えて苦行って言うのよ」


「……地獄とも言う」


「貴方が鍛えてるって聞いた時、お父様は銀華のつぼみが摘み取られてしまうとお嘆きになったそうよ。

 ……耐え切って成長していると聞いた時は、ひどく驚かれてもいたわね」


 わたくしは口元を笑みの形にしてみせる。


「わたくしがあの子を潰したりするものですか。

 姫様方、わたくしはね、あの子を真の銀華として開花させるつもりなのです。

 あの子のお母様を超える社交界の華として!」


「……やりすぎないようにね」


「――あんな逸材、滅多にないのだから本当に頼むわよ」


 気合の足りないお二方は、わたくしが無闇矢鱈にあの子を鍛えているように見えているようね。


 ちゃんとモニカさんを通じて体調管理もしているというのに。


「――それはさておき」


 フローティア様がお茶を一口含んで、そう切り出された。


「あのサルの件、本当に災難だったわね」


「いえ、元々、お祖父様が入れ込んだのがきっかけでしたもの」


 最初はお祖父様も本当に助けられたのだと思ったのだという。


 けれど、襲ってきた魔獣は本来であれば森の奥地にしか居ないもので。


 しかも都合よくアベルがその討伐依頼を受けていたとなれば。


「――魔獣はアベルから逃れて街道まで出てきたものというのは、すぐに判明したのです」


 それでも武力に優れた者には違いない。


 お祖父様はあくまで過失には目をつむるつもりでいたのよ。


 実際、はじめの頃のアベルは至ってまともに見えた。


 けれど、わたくしとの婚約が内定した辺りからだろうか。


 次期伯爵を堂々と名乗って夜の街で遊び呆けるようになったのは。


 それをなんとかしたくて、お祖父様は彼を騎士訓練所に入れた。


 そこで身分照会をかけた処、彼が口にしていた出身地が存在しない事がわかり……


「――冒険者ギルドを通じて、彼の身辺調査をしたところ、彼の素性が明らかになったのです」


「……まさかホルテッサ王太子の婚約破棄事件の当事者とはねぇ」


 ホルテッサ王国で、公認勇者が王太子妃候補をたぶらかした挙げ句、王座まで狙って、王太子に返り討ちにあったのは周辺国の貴族の間では有名な事件だ。


 温和な事で有名な王子がキレにキレて、衆目の前で勇者を滅多打ちにしたというのだから、驚きをもって伝えられたのよ。


「……それで証拠を掴む為に、あたし達を使って同じ事を企ませてみようってなったんだよね」


「お二人のご協力には、本当に感謝しております」


「あら、他ならぬアリーの為だもの。このくらいなんでもないわ。

 ――まあ、あのサルは本当に気持ち悪かったけど」

「……<銀華>が見られたから、あたしは満足してる。

 ――サルはめちゃくちゃ気持ち悪かったけど」


 アベルが気持ち悪いというのには、わたくしも同意するわ。


 あの後、城から駆けつけた騎士達に捕縛されたアベルは、取り調べを受けた上でホルテッサの大使館に引き渡される事になる。


 なにせ国家反逆罪の逃亡犯だものね。


 より厳しい処罰が待っていることだろう。


 ……アベル本人にとっては、シーラに受けた一撃で、男としての機能を喪失した事が、なによりの罰なのかもしれないけれどね。


「でも、サルとあの娘に面識があったのは驚きね」


「なんでも勇者時代にパーティーを組んでいた時期があったそうで」


 わたくしも不思議に思ったから、シーラに聞いてみたのよね。


「あの子ともうひとり――今はあの子の専属侍女をしている娘を自分の女扱いして周囲に触れ回っていたそうでして。

 気持ち悪いのでパーティーから追い出したそうです」


「……どこでもハーレム作ろうとしてたの?

 本当に気持ち悪いサル……」


 わたくしの鍛錬の初歩の段階で逃げ出したアレーティア様は、本当に言葉遣いが悪いわね。


 まあ、その意見にはわたくしも同意するけれど。


「――あの娘も苦労してるのねぇ。

 まさか追い出した者と、めぐりめぐって社交界で出会うとは思わなかったでしょうに」


 フローティア様のお言葉に、わたくしは思わず苦笑してしまう。


「ふふ……アベルで二人目ですからね。

 案外、他の者にも会ったりするのではないかしら?」


「それこそ災難ねぇ」


 フローティア様が頬に手を当てて仰って、対するわたくしは首を振る。


「たとえそうだとしても、わたくしが磨き上げるあの子は、きっとより強く輝くだけですわ」


「……だから災難と言っているのよ」


「ねえ、姉様達、あたしもっと<銀華>が見たい。

 ……いいえ、シーラともお友達になりたいな」


 アレーティア様が<兵騎>以外に興味を示すなんて珍しいわね。


 いいえ。シーラの魅力を誇るべきなのかしら。


「いいわね。わたしもあの娘とはもっとお話してみたいと思っていたのよ。

 アリー、あの娘をわたしのサロンに招きたいのだけど」


「……フローティア様主催のお茶会をなさる、ということでしょうか?」


 わたくしは探るようにフローティア様を見つめる。


「そうね。まずはそこからね。

 いきなりサロンとなると、貴族達が派閥がどうとかうるさいものね。

 だから、怖い顔しないで。アリー」


 政治的な意図はないのだと、フローティア様は手を振る。


「――他意がないようで安心致しました。

 あくまで友人になりたいだけとお約束頂けるのでしたら、ご協力致しましょう」


「ホント? やったぁ」


 無邪気に両手を挙げて喜ぶアレーティア様をよそに、わたくしとフローティア様は微笑み合う。


 いずれはそういう場も踏ませなければいけないのでしょうけれど。


 シーラはまだまだそういう面に疎いものね。


 あの子を政治の道具にさせたりは、絶対にしない。


 わたくしが守ってあげなくては。


 それからしばし談笑を交わして。


「それではアリー、頼んだわ。

 日程は決まり次第、連絡するから」


「――アリー姉様、またね……」


 屋敷の前で見送るわたくしにそう声をかけて、二人は馬車で城へと帰って行った。


 お二人を見送ったわたくしは、思わずため息をつき。


「とりあえずシーラに派閥の知識を身に着けさせなくてはね」


 我が家にある最新の貴族名鑑などの資料を頭の中でリストアップしながら、わたくしは呟く。


「明日からまた、頑張りましょうね。シーラ」


 いかに複雑怪奇なつながりを見せる派閥関係であっても、あの子なら覚えきるはずだわ。


 わたくしを姉と呼ぶあの子ならきっと……

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