第2話 8

 オルベール公爵閣下が挨拶なさって、宴は始まりを迎えました。


 公爵閣下は、やや白いものが混じった金髪を後ろに撫で付けた、アゴヒゲが素敵な方でした。


 以前は宰相をなさっていたそうですが、今は後進に道を譲って領政に専念なさっているのだとか。


 文官とは思えない鍛えられた身体は、わたしのお祖父様に通じるものがあります。


 そういう意味でも、お二人は親友なのでしょう。


「それじゃあ、シーラ。

 アリシアからの指令でね。

 必ず君を踊らせるようにってさ」


 クラウス様は整ったお顔立ちにお茶目な笑みを浮かべて、わたしに手を差し出します。


「――シーラ・ウィンスター嬢。

 僕と一曲、踊ってくださいますか?」


 断る理由はありません。


「ええ、喜んで」


 彼の手に手を重ね、わたし達はダンスホールに向かいます。


 なにやら周囲の視線や声がざわざわしていますが、なんなんでしょうかね?


 カッコいいクラウス様が、わたしなんかにダンスを申し込んだからでしょうか。


 お姉様の鍛錬のお陰もありますが、クラウス様のリードもお上手で。


 自分で言うのもなんですが、これまでで一番上手に踊れているように思えます。


「――これは……明日は覚悟しないとなぁ」


「? なにをですか?」


 思わずといった風に苦笑したクラウス様。


「公式の場での君のファーストダンスのお相手を務めたからね。

 きっと嫉妬した同僚達にからかわれる」


「――そんなワケありませんわ。

 わたくしなんて庶民育ちの小娘ですもの。

 むしろ、わたくしの方がご令嬢方から嫉妬されてしまうのではないかと」


 今も周囲のご令嬢が熱い視線でこちらを見ているのがわかるもの。


「君は……いや、自覚がない方が良いのか?

 アリシアの逆鱗には触れたくないしなぁ……」


 なにやらブツブツ呟かれるクラウス様。


 それよりも。


「クラウス様、先程おっしゃってらした、アベル様の奔放が今日までというのは?」


「ああ、ちょっとした催し物を用意してるんだ。

 楽しみにしていると良いよ」


 どうやら詳しく教えてくれる気はなさそうです。


 曲が終わり、わたし達は礼をしてホールから戻ります。


 そこへ一気に詰めかける、紳士淑女の皆様。


 わたしへは殿方が。


 クラウス様にはご令嬢の皆様が次のダンスを狙ってやってきたのです。


 助けを求めるようにクラウス様を見ると、口の形だけで『がんばって』と告げられました。


 お姉様の三十人連続ダンス鍛錬。


 大袈裟でもなんでもなかったのですね。


 本当にそれくらい申し込まれました。


 手前の方から順に。


 いつしかわたしとのダンス待ちの列が生まれています。


 わたしに付き合ってくれているのか、クラウス様もご令嬢方のダンスを断らずに踊ってらっしゃいます。


 せっかくのパーティーなのに。


 美味しそうな料理がそこに見えているのに。


 まるで食べられそうにないのは、なにかの拷問なのでしょうか。


 わたしは笑顔を貼り付けたまま、そんな事を考えます。


 宴もたけなわとなった頃。


 オルベール公爵閣下が注目を集める為に手を叩きました。


「それでは本日の主役達の支度が整ったようだ。

 ――紹介しよう。

 我が孫娘のアリシアと、その婚約者となるアベル殿だ」


 使用人がホールのドアを開くと、金糸をふんだんにあしらったドレスを纏ったお姉様が姿を現します。


 その美しさに、皆様が感嘆のため息をつきました。


 そうでしょう。


 お姉様、すごいでしょう。


 わたし、あのお方にお姉様って呼んで良いって言ってもらってるんですよ?


 思わず興奮してしまいますね。


 けれど、その興奮は続いて現れたサルの所為で台無しになってしまいました。


 皆様も驚きにどよめきます。


 あのサル、さっき連れてたご令嬢をそのまま左右に侍らせていたんです。


 お姉様を先に進ませて。


 自分は左右に女を侍らて。


 誰が婚約者なのかわかりませんね。


 怒りで目の前が真っ赤になりましたよ。


 公爵閣下に目を向けると、彼は面白そうに顔に笑みを浮かべています。


「――アベル殿? そのおふたりはどういうおつもりかな?」


「俺の恋人達だよ。

 おまえも顔くらい知っているだろう?

 この国の王女様達さ」


 ――あのサル、閣下をおまえ呼びしましたよ!?


「……つまりはどういう事ですかな?」


 閣下、すごい我慢強いな。


 笑顔のままそう尋ねたよ。


「俺は真実の愛に目覚めたんだ!

 このふたりと俺は幸せになる!

 俺は学んだんだ。王族と結婚したら、今度こそは王族になれる!

 ――そうだ。アリシアも妾にしてやろう!」


 あいつの言ってる事が理解できないんだけど。


 サル語?


 王族と結婚できるのは、上位爵位持ってるものだけで、その爵位をあいつが得るためにはアリシア様と結婚するしかないのに。


 そもそもの話、お姫様と結婚しても、それはお姫様が降嫁するだけで、夫は王族にはなれないんだけど。


 あいつ、相変わらず頭悪いな。


 けれど、公爵閣下は忍耐強く――すごいよね。実際――笑顔のままで、サルに尋ねる。


「つまり、ホルテッサと同じ事をしようとしていると捉えていいのかな?」


 ……ん?


 なんでお隣の国の名前が出てくるの?


 閣下に問われて、途端に顔を青くするサル。


「な、なんでそれを……」


 途端、それまで黙っていたお姉様がサルを振り返り。


「なかなか尻尾を出してくれないので時間がかかってしまいましたが。

 間違いないようですわね。

 元ホルテッサ王国公認勇者――いいえ、国家反逆者アベル!」


 ええ!?


 あいつ、元勇者だったの?


 ていうか、国家反逆者!?


 驚くわたしをよそに、事態はどんどん進んでいきます。


「――そろそろよろしいのかしら?」


「……もう我慢しなくて良いのよね?」


 アベルの左右のご令嬢――お姫様達が互いに顔を見合わせてそう仰って。


「本当に気持ち悪かったわ」


「……ハーレム作ろうと考えてるなんて、クズもいいとこ」


 お二人は公爵閣下の方へ歩み寄り、その後ろに設けられた二脚の椅子に腰を降ろしました。


「私達がここまで協力したのです。

 オルベール。期待していますよ」


「……お姉様、高望みは良くないわ」


 そう仰るお二人に一礼し。


 閣下は再びアベルを見ました。


「おまえが私達を助けた事には感謝している。

 ……それがおまえ自身の過失から起こった出来事だとしても、助けてくれたのは事実だったしな」


 そこで初めて、閣下は笑みを消しました。


「だが、おまえがホルテッサの犯罪者なのは頂けない。

 まして王家乗っ取りまで企んでいたとなればなおさらだ」


「――けれど、捕らえようにも証拠もなしにはできませんので。

 ホルテッサに居た時より悪知恵を磨いたようですわね。

 なかなか尻尾を出さないので苦労しましたわ」


 お姉様がため息をついて。


「……だからわたし達まで協力する事になった」


「新経済機構を生み出したホルテッサとは、仲良くしていきたいのよねぇ。

 あんな気持ち悪いおサルさんの所為で、友好にヒビを入れたくないの」


 お姫様達、すんごい煽りますね。


 アベルのヤツ、顔を真っ赤にして青筋立ててますよ。


「お、おまえ達……俺の真実の愛を受け入れたじゃないか!

 ――おまえ達も裏切るのか!?」


「複数の女に真実の愛って……どれが真実なのかしら?」


 姉姫様が嘲笑します。


「ア、アリシア! おまえはわかってくれるよな!?」


「妾がどうのと仰ってたではありませんか。

 ――そろそろその弱い頭でもご理解できるでしょう?」


 お姉様は扇を広げて口元を隠しました。


「あなたはもう、終わりなのですよ」


「――バ、バカにしやがってっ!」


 キレたサルがお姉様に殴りかかりました。


 ――危ないっ!


 思わず駆け出そうとしたのですが。


「――フッ!」


 お姉様は扇でサルの腕を弾いて、その身をひるがえします。


 金糸のスカートが広がって、華が咲いたようです。


 勢いをそらされたサルは、無様に前のめりに倒れ込みました。


 さすがお姉様です!


 わたしも皆様も思わず拍手してしまいます。


「勇者といっても所詮は元ですわね。

 ――鍛錬が甘いっ!」


 凛としたお姉様の一喝に、サルの顔が本物のサルのように赤に染まりました。


「――舐めるな……舐めるなよ!

 これで終わりになんてするものか!」


 ヤツは立ち上がって、胸の前で拳を握ります。


「――来たれ、<古代アーティフィカル・アーム>!」


 カイルだけじゃなく、あいつも持ってたのかよ!


「それがホルテッサの刑場鉱山で見つけて、逃亡に用いたものですか」


 アベルの背後に魔芒陣が開き、<古代騎>が姿を現します。


 お姉様は公爵閣下に手を引かれて、閣下にかばわれます。


 <古代騎>の胴が横に開いてアベルを呑み込みました。


 と、そこで。


「――さて、銀華のつぼみ」


 姉姫様がわたしに視線を向けて来たのです。


「父上の――陛下との約定は存じ上げておりますが、この場は学園ではありません。

 例外と言って良いでしょう。

 ――私は銀華の舞いを所望します」


 ――うぇっ!?


 本当に良いの?


 確認の為にお姉様を見れば。


「――おまえを巻き込まずに済ませられれば良かったのですけど。

 <古代騎>相手ではね」


 肩を竦めてそう仰います。


 そうしている間にも、<古代騎>の無貌の面に文様が走って、貌が結ばれます。


『――なにをゴチャゴチャ言っているっ!』


 <古代騎>が剣を抜いて振りかぶりました。


 ホールに悲鳴が響きます。


「――人相手にあのサルッ!」


 わたしはホールを駆けて、お姉様目がけて振り下ろされるその切っ先に、飛び蹴りかましてそらしました。


 長剣が大理石の床を割って、激しい音が辺りに轟きます。


 お姉様をかばうように前に立ち。


 わたしは<古代騎>を一瞥すると、周囲を見回す。


 もう我慢しなくて良いって、王族のお墨付きだ。


「――皆様方。

 殿下のご要望に応えまして、不肖、このシーラ・ウィンスター。

 ウィンスター流にて、この場を治めてご覧にいれましょう」


 招待客の皆様の期待に満ちた視線に応えて。


 わたしはスカートの裾をつまんで一礼する。


「――今宵咲きます銀華の舞い、どうぞ皆様、お楽しみください」

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