第2話 7

 翌日、わたしは夜会に参加する為、寮の自室でモニカにドレスを着せてもらっていました。


 普通の服ならひとりで着られるのですが、ドレスのような背中に留め具のある衣装だと、ひとりではどうしようもないのです。


 今回のドレスもまた細かな刺繍の施されたもので、青銀色をしていました。


 前回の宴ではドレスを汚されてダメにしてしまいましたからね。


 今回はそうならないように気を付けましょう。


「あとは――」


 机に置いた肘まである手袋を取ろうとしたところで。


「あ、それを着ける前にコレを。

 昨日、王都屋敷で預かって参りました。領屋敷のお館様からだそうです」


 と、モニカが手の平サイズの小箱を取り出しました。


 開けてみると、そこには銀晶を嵌められた金の指輪があって。


「うわぁ。ついに出来たんだ。

 楽しみにしてたんだよねっ!」


「お嬢様。お言葉遣い」


 ……うぅ。


 モニカはすぐそれ言う。


 いまや彼女はすっかり侍女として馴染んでいて。


 言葉遣いも立ち居振る舞いも、つい半年前まで冒険者の少女だったとは誰も思わないはずです。


 それが誇らしいような、先を行かれているようで悔しいような、そんな複雑な気持ちにさせられてしまいます。


 わたしの人差し指サイズに調整された指輪は、剣を振るにも邪魔にならない、細い作りをしているので、嵌められた銀晶はことさら目立って見えます。


「んふふ~」


 右手の人差し指にそれをはめて、頭上にかざして眺めます。


 ウィンスターの嫡子の証の指輪です。


 またひとつ、お祖父様に認められたようで嬉しくないわけがありません。


 色んな角度から指輪を眺めているわたしをよそに、モニカは窓の外に目をやって。


「ご満悦のところ申し訳ありませんが、そろそろお時間では?

 ――お迎えにいらっしゃってますよ?」


 と、モニカの言葉に、わたしも窓の外を覗き込みました。


 校門前にオルベール家の紋章を付けた馬車が停まっています。


「そうね。急がなきゃ」


 手袋を着けて、最後に銀のヒールに足を通すと。


 わたしはモニカをともなって、校門に向かいました。


 寮の廊下や校門までの通りで、生徒達にチラチラと視線を送って来られます。


 今日は他にもオルベール家の夜会に招待されてらっしゃる方は多いのですから、ドレス姿も珍しくもないでしょうに。


 そんな事を考えながら校門にたどり着くと、馬車からクラウス様が降りてきて出迎えて下さいました。


 白の礼装を身にまとったクラウス様は、控えめに言って輝いて見えます。


 彼が馬車から姿を表した途端、校門の周囲にいらっしゃった令嬢の皆様が、黄色い声をあげ、あるいはうっとりとため息をつきました。


 すごいですね。クラウス様。


 令嬢の皆様の心を鷲掴みですよ。


 彼は胸に手を当てて腰を降り。


「お迎えにあがりました。銀華のつぼみ」


 そう言ってわたしに手を差し出します。


「お待たせして申し訳ありません。ありがとうございます。

 本日はどうぞよろしくお願い致しますね。クラウス様」


 わたしも返礼すると、彼の手に手を乗せました。


 手袋越しでもわかる、剣を握る者特有のゴツゴツとした手でした。


 見た目スラっとして細身なのに、きっと服の下も引き締まっているのでしょう。


 世の中には魔法で肉体を強化するからと、鍛錬を怠る方もいらっしゃるそうですが、クラウス様はしっかりと身体も鍛えるタイプの方のようです。


「オルベール様、どうぞお嬢様をよろしくお願い致します」


 と、お辞儀するモニカに見送られて。


 わたし達を乗せた馬車は出発します。


 車内では、クラウス様はお姉様の幼い頃の事の様々をお教えくださいました。


 病弱でらしたのに、持ち前の負けん気で数々の習い事をこなして習得なさった話など、すごいとしか思えません。


 わたしに課している鍛錬は、お姉様自身がなさって来たことなのだとわかります。


 勇者の肉体を持つわたしですら厳しいと感じる事もあるというのに、病弱なお身体でそれを成し遂げてきたのだと思うと、お姉様はやっぱりすごいとしか思えないのです。


「僕ら家族にしてみたら、そんな無茶ばかりしてるから、身体を壊してるんじゃないかとも考えているんだけどね」


 クラウス様は苦笑なさいます。


 やがて馬車はオルベールの王都屋敷に辿り着きます。


 公爵家を訪れるのは三度目ですが、本当に大きなお屋敷です。


 お城のすぐそばに建てられていますので、初めて見た時はお城の一部なのかと思って、お姉様に笑われました。


 なんでも領都のお屋敷は、本当にお城なのだそうです。


 クラウス様に招かれるままに、パーティーホールへとやってきて、わたしはついキョロキョロとしてしまいました。


「ああ、アリシアなら今は準備中でね」


「準備、ですか?」


「ああ。今日の宴はアリシアの婚約発表の為のものなんだ」


 そういえばわたし、宴の内容を知らされていなかったのでした。


 でも、お姉様の婚約と聞いて、浮かれていたわたしの気持ちが一気に下降します。


「……クラウス様は、あいつ……アベルの事をどこまでご存知ですか?」


 わたしが呻くように尋ねると。


 クラウス様は一瞬驚いたような顔を覗かせました。


 けれどすぐにそれを笑顔で隠して。


「お祖父様やアリシアが君を招いたのは、本当に正解だったんだね」


 と、意味深にウィンクなさいます。


「開始までもうしばらくかかるようだ。

 飲み物を取ってこよう」


 そう言ってクラウス様は離れていき、わたしは壁際によってホールを観察します。


 着飾った紳士淑女の皆様。


 天井から下げられたシャンデリアは王城でみたものと比べても遜色がなくて、改めて公爵家の財力を思い知らされます。


 冒険者だった時――いいえ、その前でも。


 こんな世界は絵本の中の出来事だと思っていました。


 でも、決めたのです。


 わたしはこの世界で生きていくのだと。


 わたしは手袋の上から、ウィンスター嫡子の証である指輪に触れます。


 気後れしてはいけません。


 そんな事を考えながら、クラウス様を待っていると。


「おや、君はアリシアの同級生の子じゃないか?」


 左右の手にご令嬢の腰を抱いたアベルがやってきて、わたしに声をかけてきました。


 その左右のご令嬢はなんだ?


 おまえはお姉様の婚約者として、この宴に参加しているんじゃないのか?


 お姉様が準備中なのを良い事に、好き勝手やってんじゃねーぞ。


 ――などなど。


 怒りのあまり、危うく令嬢としての皮が剥がれ落ちてしまいそうになってしまいました。


 わたしは深呼吸して顔をあげ、笑顔の仮面をかぶります。


 宴はまだ始まってもいないのです。


 ここで短気を起こして、台無しにしてはいけません。


「――これはこれはアベル様。

 ずいぶんオモテになるのですね。

 アリシア様はよろしいのですか?」


 皮肉混じりに言ってやったのですが。


「俺くらいになると、女性の方から放っておいてくれないんだ。

 みんなに等しく真実の愛を与える。

 それが俺のやり方さ」


 ――気持ち悪い。


 今すぐこいつをぶっ飛ばしたい。


 そんな気持ちをぐっと堪える。


 確かにダストア王国の貴族は一夫多妻を認めている。


 けれどそれは、当主夫婦に子供が恵まれないとか、上位貴族のご婦人が後家になってしまった為に、近隣縁戚が養うためといったやむを得ない事情の場合でだ。


 そもそもこいつ、入婿になるのに、今から妾を作ろうとしてるのか。


 そんなわたしの内心になど、アベルはまるで気づかないようで。


「それで君――ええと、シーラだったか。

 アリシアと仲が良いそうだね」


 名前を知っていてなお、わたしだと気づかないのだから、こいつの頭は本当にどうにかしている。



 ヤツはわたしに身体を寄せて。


「いつもアリシアをありがとう。

 俺とも仲良くしてほしいな」


 と、頭を撫でようと手を伸ばしてきました。


 それをわたしは手を挙げてブロック。


「――アベル様?

 淑女の身体に軽々しく触れるものではありませんわ」


 わたしは笑顔でそう告げました。


「スキンシップはコミュニケーションの基本だよ」


 などと。


 アベルは反対の手をさらに伸ばしてきます。


 当然、それもブロック。


 両手が鍔迫り合いのようにブルブルと震えて攻防を繰り広げます。


 ――くそっ。こいつ、やっぱり力強いな。


 押し切られそうになった時。


「――アベル。

 そろそろアリシアの支度が整ったようだよ。

 迎えに行ってあげたらどうだい?」


 クラウス様が戻ってらっしゃって、アベルにそう告げました。


 助かった。


 あのままだったら、きっと力負けしていただろう。


「これは兄上。

 ……ありがとうございます」


 明らかに邪魔されたというように顔をしかめ、アベルはその場を去っていきます。


 というか、その令嬢ふたり、そのまま連れてくの?


 頭おかしいんじゃない?


「シーラ、大丈夫だったかい?」


 クラウス様に問われて。


「ええ。お陰様で。

 それにしても彼はずいぶんと奔放に振る舞ってらっしゃるようですわね」


 クラウス様からグラスを受け取って、わたしはため息をつきます。


「まあ、それも今日までの事なんだけどね」


 と、クラウス様はその優しげな微笑みに、少しだけ。


 ほんのちょっぴり、黒いものを滲ませました。


 ……ふむ。

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