第2話 6
案の定、アリシア様のダンス特訓は苛烈でした。
どんなお相手とも踊れるよう、練習相手の殿方は日替わりでクラスメイトに声をかけてお願いしたのですが、なぜか日毎にその人数が増えていくのです。
三日目の段階でその人数は十人を越えていました。
練習の最終日だった一昨日などは、明らかに他クラスの男子も混じっていましたし。
……アリシア様、どのようにしてあれほどの人数を集めたのでしょうか。
「――人気の令嬢ともなれば、何度もダンスを申し込まれるものです。
あなたは自分が疲れているからと、申し込まれた殿方に恥をかかせるのですか?」
おかしいなぁ。
――『疲れているので』は、ダンスを断る時の常套句だって、家庭教師の先生に教わったはずなんだけど……
アリシア様の中では、『疲れている』はお断りの理由にならないようです。
ともあれわたしは、ぶっ通しで三十人と踊っても耐えられるようになり、同時に大抵のテンポの曲でも踊れるようになったのです。
さすがアリシア様の鍛錬ですね。
そうして夜会を明日に控えた今日、わたしはパートナーを紹介すると、オルベールの屋敷に招かれています。
モニカにも一緒に来て欲しかったのですが、彼女は明日の夜会の準備の為にウィンスターの王都屋敷に出向いています。
そんなわけで。
わたしはひとりでオルベール家の応接室で、アリシア様が戻ってくるのを待っているのです。
メイドさんが淹れてくれたお茶は、わたしに合わせたのかウィンスター領の茶葉が使われていて。
こういうさりげない気遣いができる辺り、さすが公爵家の使用人というところなのでしょう。
「――待たせたわね。
手紙で約束していたのに、中々帰って来なくて」
そう言ってやってきたアリシア様は、ひとりの男性の腕を引いていました。
アリシア様と同じ緩やかに波打つ金髪。
その瞳は、やはりアリシア様と同じ深い碧をしていて、ご兄妹なのだとひと目でわかる、整った顔立ちをされています。
「お待たせして申し訳ない。
ちょっと面倒な仕事が舞い込んでしまってね。
急ぎで処理する必要があったんだ」
後頭を掻きながら眉根を下げるその様子さえ、後光が指して見えるのだから、間違いなく彼はアリシア様のお兄様なのだろう。
ひょっとして、アリシア様の仰るパートナーって……
「クラウス・オルベールです。
今回は君のパートナーを務めるよう、妹に頼まれてね。
陛下も絶賛する銀華のつぼみのお相手には役者不足だけれど、精一杯勤めさせてもらうよ」
やっぱりぃ――っ!
わたしは努めて笑顔を貼り付けたまま、内心で絶叫しました。
だって。
だってですよ?
こんなキラキラした男性、いままでわたしの回りにはいなかったのです。
アベル?
あんなの、クラウス様のような本物の貴公子様に比べたら、サルですよ。山サル!
「シーラ・ウィンスターと申します。
明日はどうぞよろしくお願いいたしますわ」
なんとか自己紹介して、わたしは腰を落としてみせる。
「――これは……アリシア。
君が入れ込むのもわかる気がするよ」
「差し上げませんわよ。シーラはもはや、わたくしの妹のようなものなのですから」
――へぃ?
「シーラ――失礼。アリシアがいつも手紙で名前で呼んでいたもので、つい。
名前でお呼びしても?」
「――ふぇ、ふぇい!」
「シーラ、アリシアは君の姉のつもりでいるようだが、兄は欲しくはないかい?」
「お兄様! 差し上げないと申しているでしょう!
シーラ、あなたもきっぱりと断りなさい!
あくまでお兄様は明日だけの臨時パートナーです!」
なにやらお二人が言い争っているけれど。
わたしは別のところで、頭がいっぱいになっていた。
アリシア様が……わたしの事を妹のようなものって。妹のような!
実はわたし、上の兄弟――特にお姉ちゃんに憧れてたんだよね。
モニカ?
あの子は普段からちょいちょいお姉さんぶろうとしてるけど、なんか違うのよ。
お姉ちゃんっていうより、やっぱり親友って位置がぴったり。
アリシア様を初めて見た時に、わたし思ったんだ。
――ああ、これが理想のお姉様って!
そんなアリシア様が、わたしを妹のようなって!
嬉しすぎるっ!
「――シーラ、あなたもそう思うでしょう?」
すっかり自分の思考に没頭していたわたしは、名前を呼ばれて我に返りました。
そして思わず。
「――はいっ! お姉様っ!」
ついうっかりそう呼んでしまったのです。
それを聞いたアリシア様は、顔をうつむかせてぷるぷると身を震わせました。
うぁ……怒らせちゃったかしら。
あくまで妹の『ような』ですものね。
興奮して調子に乗りすぎてしまったようです。
と、アリシア様はツカツカとわたしの元までやってきて、不意にわたしを抱きしめました。
すっごい、いい匂い。
「――お兄様、勝負ありですわね。
シーラは確かにわたくしをお姉様と呼びましたわ!
これはシーラもわたくしの妹になりたいと申しているようなものです!」
うわぁ……すっごい良い笑顔。
こんな満面の笑みのアリシア様、見たことないや。
「いいのよ。シーラ。これからは存分にお姉様とお呼びなさい!
わたくしも姉として、おまえをしっかり導いて行きますわ」
わぁい。お姉様呼びを許されたー。
――ではなくて。
「よ、よろしいのですか?」
庶民なら義兄弟の契りとか、そういうのも結構聞く話なのですが。
貴族の場合は、家のしがらみとかで面倒な事になるのではないでしょうか?
けれど、クラウス様もアリシア様も二人とも優しい笑みのままで。
「君のお母様と僕らの母がそのような関係だったと聞いているよ。
姉と妹の立場は逆だったようだけどね」
「いわばおまえを姉として導くのは、オルベールができるウィンスターへのご恩返しなのです!
さあ、シーラ。もう一度、わたくしを呼んでごらんなさい」
「こんなに一人に執着するアリシアも珍しいんだよね」
クラウス様も苦笑なさって。
「……お、お姉様?」
「――――ッ‼」
わたしが再度、そう呼びますとアリシア様――お姉様はちょっと淑女としては、よそに出せない蕩けるようなお顔をなさってました。
そのお顔、よろしいのでしょうか?
あと腕のお力がちょっと強いです。
めっちゃいい匂いで頭がぽわぽわします。
「アリシア、そろそろ落ち着いて。
明日の打ち合わせをするんだろう?」
クラウス様にたしなめられて、お姉様はわたしを解放してくれました。
メイドさんがふたりの分もお茶を用意し、わたし達はソファに座りました。
あれ?
お姉様、クラウス様のお隣じゃなくてよろしいのですか?
クッキーあーん?
はい、おいしいです。
オルベール領のナッツを使ってるんですよね。風味でわかりますよ。
「本当に……アリシアでこれだと、お母様にはしばらく合わせられないな」
なんでもお二人のお母様はオルベール領ですごしてらっしゃるそうで。
お母様と懇意でらしたという彼女もまた、お姉様のお手紙を受けて、わたしと会いたいと仰ってくださっているのだそうです。
「まあ、気持ちはわからなくもないんだ。
僕だってウィンスター伯と会えた時は、同じくらい興奮したものだからね」
「祖父をご存知なのですか?」
「アリシアから聞いてないのかい?
元々、僕らの祖父同士が懇意にしてたから、母達が仲良くなったんだよ」
文官閥のオルベールと武官閥のウィンスター。
接点なんてないようにも思えるのだけれど。
わたしの疑問が顔に出ていたのでしょうか。
「――昔、南の国のパルドス王国が領土侵犯してきた事があってね」
歴史の授業で習いました。
彼の国はちょっと資金に余裕があると、他国にちょっかいを出すのだそうで。
三十年ほど前に、我がダストアの南部に攻め込んできた事があるのです。
不意を突かれた南方騎士団は対応が遅れ、あわや壊滅の危機にあったのだそうです。
「我がオルベール家は宰相を何人も出しているから、文官閥だと思われがちだけどね。
だからこそ武門の苦労を知らなければならないと、男子は一度は騎士団に入れられるんだ。
僕も近衛騎士団で一年揉まれたよ。
それがお祖父様の場合は南方騎士団だったようでね」
パルドスの急襲によって将軍をはじめとした幕僚が命を落とし、立場的に指揮できるのは当時、士官教育を終えたばかりのオルベール公だけとなったのだそうです。
国土を守る為に徹底抗戦すべきか、後の戦に備えて兵を温存するために撤退すべきか。
王都からの指示を待つ余裕もなく、オルベール公はひどく苦悩なさったそうです。
「――そこへ駆けつけたのが、当時はまだ、東方騎士団のいち部隊長にすぎなかった、ウィンスター伯だったんだよ!」
興奮した眼差しで、クラウス様は語ります。
「わずか十騎の<爵騎>で早駆けしてきて、壊滅した戦線を一気に立て直し、敵陣に斬り込んで将の首級を挙げると、ウィンスター伯は祖父を叱咤してパルドス軍を追い返したんだ!
しかもその時の功績はすべて祖父に譲ったっていうんだから、もう!」
……クラウス様。
興奮してるところ申し訳ないのですが、お祖父様はたぶん、命令なしに戦場に出ちゃったもので、功績を受けるわけには行かなかったんだと思いますよ。
オルベール公の視点での話だったので、すぐには気づけなかったのですが。
わたし、このお話知ってます。
わたしがウィンスター領で<爵騎>の訓練をしている時に、お祖父様が若気の至りとして語って下さったのです。
代々、東方騎士団の団長を務めるウィンスターの嫡男として、鍛錬を積み重ねていた当時のお祖父様は、その日も部隊員達と共に<爵騎>の山岳訓練をしていたのだそうです。
そしてちょっと訓練に熱が入ってしまったお祖父様達は、どんどん山を突き進み……南部との境にある山頂からパルドス軍に襲われる南部の戦火を見つけ。
――いっちょ鍛錬の成果を試してみるか。
そんなノリで、ウキウキで戦線に突撃したのだそうで。
わたしはこめかみに汗が滴り落ちるのを感じてしまいます。
――お祖父様も部隊員達も頭どうにかしてるんじゃないでしょうか?
というのが、その話を聞いた時のわたしの感想でした。
「――それがきっかけで、お祖父様とウィンスター伯は親友となられたんだ」
ま、まあ、それがきっかけでその後お二人が仲良くなれたのならば、真実は必要ないですよね。
「そんなわけで、僕らオルベールは昔からウィンスターの大ファンなのさ!
だから君のパートナーというのも、すごく光栄だと思ってる。
明日はよろしくね。シーラ!」
お姉様呼びされた時のアリシア様のようなすごく良い笑顔で、クラウス様は告げられました。
あは……あははは……
これってもう、笑うしかないよね?
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