第7話 ドイツ海軍の苦境

 開戦劈頭、グラーフ・シュペーは南大西洋で通商破壊に従事していた。

 だが、南米近海で日本から急遽派遣された大和に捕捉され、砲撃戦を展開。

 多数の被弾を受けて、ウルグアイに逃亡。

 戦闘の損害により機関部に重大な損傷を受けて離脱不能となり自沈した。


「装甲艦が戦艦と戦ったからだ。君の指揮する船は戦艦なのだよ」


ヴェルサイユ体制下で様々な制限を加えられたドイツ海軍が生み出したのがドイチュラント級装甲艦、通称ポケット戦艦だ。

 巡洋艦の船体に戦艦の主砲を持つことで、重巡洋艦以下をアウトレンジで撃破し、戦艦からは速力で逃げるのがポケット戦艦だ。

 長期間、大西洋で行動し敵の商船を捕獲、撃沈することが目的であり、ティーゼル機関を搭載し長大な航続距離を持たせている。

 同格の敵と戦うことを目的としてはいない。

 これは英国に比べて劣勢なドイツ海軍の置かれた状況によるものであり、ドイツ海軍の作戦方針でもあった。

 当然、建造されるドイツ艦艇も、このドイツ海軍の方針に従った条件で建造されており、ビスマルクも例外では無い。

 そして、英国と戦争になった今、英国の通商網破壊は急務だ。


「英国の通商網を破壊するためにも、今すぐ大西洋へ出て行く必要がある。遅延は許されない」

「ですが、ブレストで活動出来るか疑問です」


 今年一月より大西洋へ出撃したシャルンホルストとグナイゼナウは、北大西洋で通商破壊を行った後、ドイツ占領下に置かれたブレストへ入港している。

 北海のドイツ本国より、大西洋に面したブレストの方が英国の通商路に近いからだ。

 だが英国本土にも近いため、英国側の攻撃を受けやすい。

 事実、グナイゼナウは英国空軍の攻撃によりブレストで損傷し出撃不能になっている。

 シャルンホルストは機関に故障が生じ同じく出撃不能だ。

 本来ならビスマルクの出撃に呼応しブレストから二隻が出撃。

 通商破壊しつつ、英国側の戦力を誘引しビスマルクを援護するはずだった。


「ならば此方も準備を整えるべきでは、そのために出撃の延期を」

「シャルンホルストとグナイゼナウが出撃できないからこそビスマルクが行かなければならないだろう。英国を屈服させるには連中の通商網を一日も早く寸断する必要がある」


 リンデマン大佐の意見をリュッチェンス中将は否定した。

 先の大戦で英国を屈服させ掛けたのは潜水艦による通商破壊だ。

 だが対潜艦艇が充実したことにより、封じられた。

 しかし、今回はビスマルクを初めとする大型艦艇を出し、敵の艦艇を撃破し、船団をバラバラにして潜水艦で撃破しようとしていた。


「それに随伴の駆逐艦も足りん」


 前年のウェーゼル演習作戦――ノルウェー占領作戦でナルヴィクへ陸軍部隊を送り出したドイツ海軍駆逐艦部隊は、第一次、第二次ナルヴィク沖海戦でイギリス海軍の攻撃を受けて全滅していた。

 特に第二次ナルヴィク沖海戦ではウォースパイトの三連装一二インチ砲により一方的に蹂躙されてしまった。

 この結果、ノルウェーという良港を手に入れたが、随伴駆逐艦不足にドイツ海軍は陥っていた。


「敵の駆逐艦が出てこない、この時期を逃しては大西洋へ進出できない」


 ビスマルクの出撃が命じられたのも駆逐艦が行動できない悪天候を利用するためだった。

 防御力過多な戦艦を撃沈できる有効な手段は現在のところ、水線下への魚雷攻撃のみとされていた。

 海戦で戦艦に魚雷を撃ち込めるのは魚雷を装備した艦艇、特に機動性に優れ船体が小さく戦艦が狙いにくい駆逐艦が最適とされていた。

 これらの艦艇から戦艦を守る為に随伴艦として駆逐艦は必須というのが当時の海軍の常識だ。

 だが随伴駆逐艦が足りないドイツ海軍には戦艦を護衛できる駆逐艦がいないため、敵駆逐艦を駆逐できない。

 ならば敵駆逐艦が行動できない嵐の時期、終わりつつあるデンマーク海峡の嵐の中を突っ切るしか無かった。


「また、英国海軍の配置を見る限り、今をおいて好機はない」


 開戦劈頭のスカパフロー奇襲侵入雷撃、去年のイタリア参戦による地中海方面への戦艦派遣、フランス降伏によるフランス海軍艦艇への対処。

 そして船団への護衛艦艇。

 大海軍である英国海軍も各戦線の戦艦需要の高まりで保有戦艦不足が顕著だった。

 頼りになる同盟国日本から大和をはじめとする増援を受けていても足りずビスマルクへ対応できる戦艦の数は限られていた。


「英国海軍はそれでも迎撃するでしょう」

「ならば好機だろう」


 同時にドイツ海軍はこの状況を現状打破、英国海軍へ打撃を与える好機とみていた。

 ビスマルクへ対応できる兵力が少なくても英国海軍は必ず艦艇を迎撃に派遣してくる。

 そこをビスマルクが反撃し返り討ちに出来るのではないかとドイツ海軍は考えていた。

 通商破壊だけでなく、その一歩先、現時点ならば小規模ながら艦隊決戦によって英国に打撃を与えられる、とドイツ海軍上層部は考えていた。

 ごく少数しかない貴重な戦艦ビスマルクを活用できる機会は今しかない。

 強大な英国海軍の一部とはいえ戦力を減らせる好機を逃したくないという思いが、ビスマルクの出撃命令に滲み出ていた。


「無謀では? 英国軍が少数で出てくるとは思えませんし、少数でも脅威です」

「交戦できる。機会がこのあと来るのかね?」


 逆質問されてリンデンマン大佐は黙り込んだ。

 現状、ビスマルク以外の有力な戦艦がないドイツ海軍に、英国海軍へ、英国戦艦に戦艦を以て海戦が出来る好機は今以外にない。

 ティルピッツが就役し戦列に加わったとしても、英国海軍はそれ以上の戦艦を持ってくるだろう。

 日本海軍も新たな戦艦を大西洋に派遣してくる可能性が高い。

 今はビスマルクにとって、ドイツ海軍水上艦艇部隊が戦果を挙げられる最後の時期なのだ。

 だからこそリッチェンスは命じた。


「ライン演習作戦は既に発動された。戦艦ビスマルクはプリンツ・オイゲンを伴い通商破壊を行いつつブレストへ向かう。軍艦との交戦は極力避けるように。だが、好機あらば積極的に撃破せよ。以上だ。これは艦隊司令部、海軍総司令部からの正式な命令だ」

「……了解しました」


 リンデマン大佐はリッチェンスの命令を受諾した。


「果たして上手くいくか」


 リッチェンスが離れてからリンデマン大佐は呟いた。

 英国海軍もビスマルクの動きには神経を尖らせているはずだ。

 警戒が薄いと予想されるデンマーク海峡を悪天候を突いて突破する予定だが、上手くいくだろうか。

 リンデマン大佐は疑問に思った。


「英国海軍との戦いは避けられまい」


 そう判断し、様々なケースを考えながらビスマルクに出撃を命じた。

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