27 リュディーの笑み
目の前で、メイド服のスカートがふわりと舞う。
黒い鳥が舞い降りるようにステージ上に降り立ったのは、リュディーだった。
私のすぐ前に、私を背にかばう格好で、リュディーは着地する。身をかがめ、手をステージの床について、誰かにかしずくように首を垂れて。
水中にいるように舞っていた彼女のスカートの裾が床につく。それと同時にリュディーは顔をあげる。次の瞬間、彼女の身体はまたしても宙にとんでいた。
空中でリュディーが剣を抜く。その両手の先で細剣の銀の刀身が白い光を放つ。たちまちその光は糸を引くように伸びて、ステージ前の敵を襲った。
真ん中にいた敵が倒れてから、あとはあっという間だった。リュディーが光の糸を引きながら群がる敵の間を駆け抜ける。まるで無人の林の中をかけるように。そして彼女の通り過ぎた後には、剣を手にしたクラリスの部下がことごとくレンガ畳の地面に伏し、二度と立ち上がることはなかった。
クラリスの部下をすべてやっつけたリュディーは素早くステージ上に舞い戻った。
「リュディー。どうして?」
嬉しさに身を震わせながら、しかし私は思わずそんな問いを彼女に投げかける。彼女が駆けつけるとは思っていなかったから。だって彼女はもう……。
リュディーは私の質問の意味が分からないらしく、首をかしげる。
「ロッシュ殿から、知らせを受けたので」
「ううん。そうではなくて」
私は首を振り、もう一度きく。
「だって、あなたは私の護衛を罷免されたのじゃないの。もう、私をたすける義務はないはずなのに、どうして……」
リュディーは答えようとして、口ごもる。その表情はいつものように不愛想だ。しかし、この数カ月毎日一緒にいた私にはわかる。こうやって口ごもるときは、彼女なりの優しさを見せてくれた時なのだ。
「義務はないですが。……あなたがピンチだと、きいたので」
ぼそぼそと答えて、この元侍女兼護衛兼教育係はわずかに頬を染めた。
ああ、このひとは、仕事だからではなく、友達として私をたすけてくれたのだ。
心の底から暖かいものがこみ上げる。それが何かわからぬまま、衝動に駆られて私は思わずリュディーに抱き着いた。
「キー! 次から次へと。みんな。射殺してしまいなさい!」
顔をあげると、いつの間にかステージからおりたクラリスが、群衆の先頭に立って手を振り上げている。
「いけない。ヴィオレーヌ様。アラル様。ロッシュ殿。はやく逃げましょう。レストハウスに」
リュディーはそう言うと私を抱き上げて駆け出した。アラルとロッシュもつづく。
晴れ渡った空に何十本という数の矢が放たれ、それは宙でいったん止まったように見えたかと思うと、突然風を切って私たちの周囲の地面に降り注いだ。
「クラリスの部下はやっつけたはずじゃあないの。なんで、一般市民が弓矢なんか持ってるのよ」
「おそらく群衆の中にもクラリス殿の手の者がまざっているのでしょう。ひょっとしたらかなりの数が」
そんな会話を交わす間にも、次々に矢は放たれ、豪雨のようにレンガ畳の地面をうつ。私たちにあたりそうなのはリュディーが剣で振り払うが、私を抱いて逃げながらなので動きづらそうだ。
「リュディー。私を下ろしなさい。このままではあなたもやられてしまう。大丈夫。脚力には自信があるから。建物までみんなで一気にかけましょう」
「わかりました。私は最後尾で矢を防ぎます」
「あなたも、無理をしないで逃げて」
リュディーはうなづいて私を地面に下ろす。
私は地面を蹴って、一目散にレストハウスへと走る。白い館の玄関まではもうあと十メートルほど。大丈夫。いける!
飴色の扉がどんどん近づく。そのドアノブに手をのばす。
その時だった。
「危ない!」
その言葉とともに私の身体は突き飛ばされる。
見上げると、さっきまで私のいた場所にリュディーが立っていた。扉を背に。私たちの盾になるように。
私は息をのんだ。その胸には一本の矢が、刺さっていたから。
「リュデ……」
私が声をかけようとすると、それをさえぎるように、飛来した矢が次々と彼女の身体を貫いた。
リュディーの手から剣が落ちる。彼女は振り返って私を見ると、目を細め、頬をほころばせた。
それは、笑みだった。彼女が私に初めて見せる、笑顔だった。
こんな時だというのに私はその表情に見とれた。ああ、この人は笑うとこんなにも優しい表情になるのか。
私の酔いは一瞬だった。リュディーの口から血がこぼれる。私に笑みを向けたまま、彼女は力なく地面にくずれた。
声が出なかった。悲鳴もあがらなかった。ただ私は無我夢中でリュディーのもとににじり寄り、彼女の上身を抱き起す。
「ああ、リュディー。リュディー。どうか目を開けて。死なないで」
私は必死に呼びかける。しかしリュディーは目を開けない。その口は笑みの形のまま、私の呼びかけに応えることなく、安らかな眠りに入ろうとしているかのようだ。
いつの間にか矢の攻撃は止み、代わりに周囲をクラリスの支持者たちにすっかり取り囲まれていた。しかし私にはもう、そんなことどうでもよかった。リュディーが死んでしまう。そのことが何よりも重大だった。
「リュディー。起きて。リュディー」
私は彼女に呼びかけ続ける。私のかたわらにアラルとロッシュがひざまずく。彼らは何も言わない。ただ、沈痛な面持ちでうなだれている。
私達を取り囲む群衆の中から、クラリスが進み出てきて私の前に立った。
「ここまでよ。あなたは、ここでおしまい」
そして、いつの間にか手にしていた剣を鞘から抜いた。
クラリスが鈍く光る剣を振り上げても、私は動かなかった。不思議と恐怖はない。私の心は静かだ。クラリスなんかどうでもよかった。ただ、目の前のリュディーを死なせたくなかった。死なせたくない。それなのにこうやってすがりつく以外何もできないことが、ただただ悲しかった。
「リュディー。生きて」
私は祈るように目を閉じる。そのまぶたの間に暖かい涙がにじみ、雫となってこぼれ落ちた。
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