26 窮地

「帰れー。このクソ女」

「魔女め。クラリス様から離れろ」

「不吉な緑目。はやく消え失せて」


 群衆の中から、次から次へとヤジが飛んでくる。そんな彼らを前に、私は何も言い返せず、ただただ立ちすくむばかりだ。


 違う。私は魔女じゃない。私は貴族に憧れて田舎からここまできた、ただの女の子だよ。


 私はうったえたかったが、声が出てこなかった。ただ声にならないうめきだけが口からこぼれる。それさえ私を取り囲む人々には届かない。


 そんな私の隣から、クラリスが勝ち誇った顔でささやきかけてきた。


「もう終わりね。あがいたって無駄よ。あんたの言うことなんか、誰も聞かない。あんたの味方なんかいないの」


 何を思ったか、楽しそうにぐにゃりと口の端をゆがめる。


「このまま殺してやってもいいんだけど、いいこと思い付いた。今から言うことをそのままみんなに向かって言えたら、命だけは助けてあげるわ」


 そして彼女は私の耳に口を近づけて、いくつかの文言を発した。それは……。


 自分が宰相に脅されて田舎から連れ出されたということ。

 宰相もその家族も、みんな血も涙もない冷たい連中だということ。

 彼らに騙されてアラルというどうしようもない男に嫁がされるということ。それが嫌で嫌でしょうがないということ。

 自分が常に宰相邸の人々からひどい仕打ちを受けていたこと。

 これからは自分はクラリスの下僕となり、彼女のために宰相家と闘うこと……。


「そんなデタラメ。言えるわけない」

「ならいいのよ。あなたを殺して犬の餌にするだけだから」

「うう……」


 そんなこと、言えるわけない。だけど、言わなければ命はない。


 うつむくように、私は小さくうなずいた。罪悪感で胸が痛む。

 クラリスはそんな私を愉快そうにながめてから、ステージ前の部下たちに合図を送った。彼らは一歩さがって剣をおさめる。


「さあ、前に出て。ヴィオレーヌ。今耳打ちしたことをみんなに向かって言いなさい」


 私は一歩前に出る。いつしか群衆は静まり返り、かたずをのんで私の発言を待っていた。

 私は目を閉じて深呼吸する。フリュイーに来てからお世話になった人たちの顔を一つ一つ思い浮かべながら。

 ラファエル、ミカエル、ロッシュさん、アラル、キャロル、リュディー、そしてアンヌ……。


 みんな、ごめんね。そして、ありがとう。


 私は胸に手をあて、首飾りの石をつかみながら目を開けた。


「み……みなさん。聞いてください。私は……田舎から、宰相家にやって来ました。脅されて……」

 一旦口を閉じ、そして、息を大きく吸って思いきり声を出す。

「脅されて、ではありません。自分の意思で、貴族に憧れてやってきたのです」


 広場にざわめきが生まれる。クラリスの部下たちが顔を見合わせている。背後からクラリスの「ちょっと、何を……」という声が聞こえる。しかし私はかまわずにつづける。


「それ以来、宰相家の人たちからは本当によくしてもらいました。いろんな方が貴族の暮らしに慣れない私を導き、陰日向に私を守ってくださいました。そして、アラル・ド・ウィンター様という、素晴らしいお方との婚約をむすんでくださった」


 私の脳裏に、宰相家に来てからの様々な出来事が、走馬灯のように浮かんでは消えていく。

 口数少ないリュディーの、ときどき垣間見せるやさしさ。

 アラルの屋敷に通った日々。

 ロッシュの部屋への訪問。

 ミカエルと一緒にみた彗星。

 アラルとの手紙のやり取り。

 土鍋奪還作戦。

 舞踏会で私とアラルにアドバイスをしてくれたアンヌ。

 宮殿の裏庭での告白……。


「私は、ほんとうにあの人たちに感謝しているの。私は……」

「ええぃ。黙りなさい!」


 金切り声をあげたクラリスが割って入り、私を突き飛ばした。


「デタラメ言うんじゃないよ。ヴィオレーヌ。あんたはかわいそうで惨めな娘なの」

「そんなことないわ」

「そんなことあるわよ。あんたの味方なんかいないの。ほら、今この瞬間、誰も助けてくれないじゃない」

 私に人差し指を向けて、必死に叫ぶ。

「あんたのことなんか、誰も知らない。誰も興味ない。いてもいなくても変わらないのよ」

 そしてクラリスは手の甲を口にあてて、高笑いした。優雅さの欠片もない、品のない笑いかたで。もはや体面を取り繕うことを忘れて、なりふり構わず私を蹴落とそうとする欲望をむき出しにして。


 私は悔しさに唇を噛む。

 クラリスの言うことを肯定なんかできない。だけど、事実この場で私は孤立していた。私を助けてくれる人はこの場には誰もいない。きっとクラリスを支持する人や支援する人は街中に大勢いるのだろう。それにひきかえ、私を助けてくれるのは私に近しいほんの数人だけ。


 クラリスの笑いに煽られるように、また群衆からヤジが飛びはじめる。私の胸を冷たい風が吹き抜けていく。ああ、このまま私は死ぬのか。私のことをバカにされ、大事な人たちのこともバカにされて。


「そんなことはない」


 そのときだった。群衆の中から、突然クラリスの笑いを遮って声があがったのは。


「そんなことはないよ」


 力強い言葉とともに、声の主は群衆を掻き分け、ステージに近づいてくる。やがて最前列のクラリスの部下を押し退けて姿を現したのは……。


「アラル!」


 私は喜びで思わず叫ぶように彼の名を呼んだ。

 アラルと、そして彼に続いてロッシュが群衆の前に躍り出る。ふたりはすかさずステージ上に駆け上がり、私をかばうようにしてクラリスと対峙した。私の大事な人。私の数少ない味方のうちの二人もが。それはたった二人だけど、私にとっては百万の味方を得たかのように頼もしい存在だった。


「クラリス。君は間違えている。ヴィオレーヌは孤独ではない」

 アラルはクラリスに向けてきっぱりと言い切った。

「そしてひとつたずねたい。君はヴィオレーヌがひとりで先に宰相邸にもどったといっていた。それがどうして、このようなことになっているんだ」


 後ずさりながらクラリスは歯軋りをする。

「もう、面倒くさいわ。もう、こうなったらみんな殺してやる。宰相も、宰相家の人間もみんな悪。そうでなければならないの。あんたたちはきっと洗脳されている。救いがたいわ。皆のもの!」


 そしてクラリスは手をあげた。ステージ下の部下たちが、一斉に剣を引き抜いて私たちに向ける。

 アラルたちが来てくれたけれど、不利な状況は変わらない。武器を持った敵は十人はいる。しかもその後ろに控える何百という人たちも、クラリスの味方だ。だけど……。

 

 だけど、不思議だった。負ける気が、少しもしない。


 そんな私の背を押すように、突然ひときわ強い風がステージ上に吹いた。

 この風、覚えがある。

 そう思うと同時に、風とともに何かが私の前に飛び降りる。大きな鳥……。と勘違いしたのは一瞬。それは、鳥ではなかった。

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