25 反撃

 暗闇のどこかから、音が聞こえる。

 優しい音だ。

 鳥の鳴き声。木の葉のささやき。川のせせらぎ……。

 故郷ブルジヨン村にいたときに、いつも私の周囲にあった音。


 そうか。と、唐突に私は納得する。

 クラリスに毒を盛られて死んだ私は、魂になって故郷に帰ったんだ。

 だけど不思議だな。魂になったわりには五感がある。どうして音が聞こえるのだろう。肌にあたるお日様のあたたかさも感じる。吹く風の感触も。なんなら、自分に手足があることもわかるし、このまま起き上がることだってできそう。

 そう思っているうちに、闇が裂けて光が差し込む。ああ、単に自分の瞼が開いたのだ、と気づくと同時に、青い空とそこにたゆたう白い雲が視界に入った。


「う……む……。どうやらここは、あの世ではなさそうね」


 私はむくりと上身を起こす。そこは荷馬車の荷台の上だった。周囲を見渡すとそこは林の中で、右手の木の枝のすぐ向こうに大きな河が白い光を瞬かせながら流れているのが見えた。


 ここは、どこ? という疑問を言葉にする直前に、悲鳴が静かな林の空気をつんざいた。

 振り向くと、女が口を両手でふさぎ顔を青ざめさせて突っ立っている。


「ど、どうして……。どうして?」


 まるで幽霊でも見たような驚きようだ。実際そう思っているのかもしれない。瞬きもせずにじりじりと後ずさる彼女には見覚えがあった。クラリスの召使だ。あのとき何食わぬ顔で私に毒入り紅茶を配膳していった奴。


「ちょっとあなた。ここはどこ?」


 私が尋ねると、女はヒャっと奇妙な叫びをあげて一目散に逃げだした。


「待ちなさい!」


 私が荷台から飛び降りるのと同時に、女が足を滑らせる。どうやら相当慌てていたようだ。この好機を逃さず私は、倒れた彼女にすかさずのしかかる。


「ここはどこ? そしてクラリスはどこ行った? 隠し立てすると、あんたを呪い殺すよ」


 女の胸ぐらをつかみながら、そう凄んでみせる。実際呪いをかけるスキルなんかないけど。でも、どうやら今の私には説得力があるらしい。女は口から泡を吹きそうなくらいガタガタと震えながら、小刻みに首を上下させた。


「こ、ここは……フリュイー郊外の河原です。クラリス様は……すぐそこの、東部御苑で、スピーチをして、おられます」


 東部御苑。私はそこに覚えがあった。忘れもしない。アラルの家に通うようになった初日に、アヤメオラスの花を摘んでさんざん怒られたところだ。

 私は一瞬考える。いったん宰相家かアラルの屋敷に戻って態勢を整える方が賢いかもしれない。しかし、すぐそこにいるのなら、このまま一気呵成にクラリスのところへ行って反撃することも可能だ。時間をおいて私が生きていることがクラリスの耳に入ったら、またどんな手を打ってくるかわからない。私が死んだと油断しているクラリスの意表をつけるのは、今しかない。


「よし、行くわよ。あんたもついてきなさい」


 意を決すると私は召使いの首根っこをつかみ、東部御苑にむかって突撃した。


     〇


 東部御苑までの道中に、私はクラリスの召使から、自分が気を失っている間の出来事を聞き出した。


 私は先に帰ったということにされて、屋敷に集った面々は解散させられたこと。

 私はあの河に捨てられ、行方不明ということにされるはずだったこと。


 私に盛られた毒はマオウブソという薬草だったという。それをきいた時、私は自分がなぜ死なずにすんだのか、その理由がなんとなくわかった気がした。キャロルがよく嫌がらせで私のお茶やお菓子に入れていた薬草。ひょっとしてあれもマオウブソだったのではないか。もちろんごく微量の。大量に摂取すると毒になるものも少量だと薬になるときいたことがある。体に害のない量を少しずつ摂っているうちに、耐性ができてしまっていたのかもしれない。確証はないけど。


 聞きだせることを聞きだした私は、東部御苑につくなり、彼女を事務所に突き出した。せっかくの証人をクラリスの前まで連れて行ったら口封じに殺されるかもしれない。ここは事務所で預かってもらうのが一番だ。

「この女。大事な公園の泉に、おしっこしていたの」

 そう言って引き渡したら、いつか私に説教してくれた管理人のおじさんは、顔を真っ赤にして彼女を椅子に拘束した。これで日暮れまで彼女はここから動けまい。


 そして私は単身クラリスのもとへと向かった。


 東部御苑にあるのは樹と花だけではない。

 公園の中心にはレンガ畳の立派な広場があり、人々が休憩するためのレストハウスもある。ちょっとした貴族の別荘のような白いレストハウスの前に人だかりができていて、その中心に据え置かれたステージの上に、クラリスが立っていた。


 何もなかったかのように笑顔を振りまきながら演説するクラリス。陽の光を受けてきらめく金髪。どこまでも晴れ渡る空のように澄んだ碧い瞳。聖女のような、穢れのない風貌。その姿に一瞬私の目は眩む。さっきのアラルの屋敷での出来事は夢だったのではないかと、この期に及んで思ってしまいそうになる。


 騙されてはダメよ、ヴィオレーヌ。


 己に言い聞かせて、私は前に進む。舌に残っている紅茶の苦さをかみしめながら。

 私はあの聖女面の下の素顔を知っている。彼女の残忍な本性を。あれは夢なんかではなかった。アンヌが苦しんだことも。リュディーの涙も。今キャロルが死に直面していることも。みんなみんな現実で、それはあの女のせいなんだ。


「クラリス・ド・デュフレーヌ!」


 群衆の一番前まで進み出ると、私は彼女の名を呼びながら、一気にステージの上へと駆けあがった。


 群衆の海を見渡しながら得意そうに口を動かしていたクラリスが、何事かといぶかしみながらこちらに注意を向ける。

 彼女の目が、私の目と合う。

 彼女の口元に浮かんでいた笑みが、かき消える。

 その大きな目がさらに大きく見開かれる。碧い瞳が嵐に見舞われたように濁る。

 次の瞬間、


「うぎゃあぁぁ!」


 世にも悲痛な悲鳴が、嘔吐物のように彼女の口から漏れ出た。


「クラリス、よくも……」

「うきゃあ! やだ。やだ」


 そう言いながら力なく足からステージ上に崩れ落ちる。どうやら逃げようにも足が萎えて動かないらしい。ステージの上に座り込んだクラリスは、震えながら私を見上げているばかりだ。

 私が一歩彼女に近寄ると、必死に後ずさりながら、彼女はあらんかぎりの声を振り絞った。


「こないで。こないでぇ。この幽霊」

「幽霊、ですって?」

「幽霊に決まっているでしょ。どうして生きていられるのよ。あんたの紅茶に致死量の倍のマオウブソをぶち込んでやったのよ。確実に殺したはずなのに……」


 叫ぶようにそう言ってから、クラリスは、ハッと表情を固まらせた。つまみ食いを見つかった子供のように、おそるおそる広場の方に顔を向ける。

 大勢の人がいるはずなのに、広場は静まり返っていた。誰も一言もしゃべらず、唖然とクラリスを注視している。

 その静けさと彼らの表情が、もうクラリスにとって事態は手遅れであることを示していた。あろうことか彼女は、自分を支持する民衆の前で自分の罪を暴露してしまったのだ。


「ち、違うのよ。これは……」


 クラリスは取り繕うように笑みを顔に貼り付けて、民衆に手をのばす。しかし最前列の人々は彼女を拒否するように後ずさる。

 クラリスの手が力なくステージの床に落ちた。

 がっくりとうなだれ、クラリスは動かなくなる。垂れた金髪が彼女の顔を隠す。髪のかかるその肩がふるえている。


「ククク……」


 はじめそれは泣き声のように聞こえた。その声にあわせて肩のふるえが次第に大きくなり、クラリスの顔にかかる金髪もゆれはじめる。彼女の口から漏れるのが泣き声ではないと気づくと同時に、クラリスは突然顔をあげ、笑い出した。


「もう。好感度なんかどうでもいいわ」


 開き直ったさっぱりした表情で言うと、クラリスはすっくと立ちあがり、群衆に向かって号令した。


「皆の者。であえーい」


 その呼びかけに応じて、群衆の中から数名の男が前に進み出てきてステージを取り囲んだ。なぜかみんな手に剣を握っている。目つきも尋常じゃない。

 私の背筋に悪寒が走る。

 あの目……。あの男たちの目つき。なんだか覚えがある。そうだ。夕暮れの街角で、宰相邸の裏庭で、私を襲った連中と同じ目だ。暗殺組織「チューリップ」。


「ククク……。あなたには教えてあげる。暗殺組織「チューリップ」は、古より我がデュフレーヌ家と深いつながりがあるの」

「クラリス。気は確か。こんなにあからさまに襲撃するなんて」

「私より自分の心配したらどう? 今日はあのうっとおしい侍女はいない。まあ、私が裏で手をまわしてクビにしてもらったんだけど」


 クラリスは勝ち誇ったように鼻で笑ってから、群衆の方に向き直り、祈るように手を組み合わせた。そして演技がかった口調で、高らかに人々に訴えかける。


「ああ、みなさん! この女は悪者なのです。魔女なの。だから私は成敗しようとしたの」


 おいおい。何言いだすんだこの女。違う! 悪女はクラリスの方なの。私はただの被害者!

 そう、反論したいのだが、こんな高いところで大勢の人の前で話したことなんかない私は、とっさに言葉を出すことができない。もっとも何か言おうものなら、ステージを取り囲む男たちに一刀のもと斬り殺されてしまうだろう。


 群衆がざわめきだす。やじと思しき声も飛んでくる。

 いつの間にか私は窮地に立たされていた。どうしよう。せっかく九死に一生を得たのに、こんなところで私は終わるのか。


(タケル……。あなたがいたら、どうする)


 私は首飾りの石を握って、天に祈った。

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