23 クラリスとの面会

 宰相邸に戻った私は、すぐに宰相に面会を求めた。


「……というわけで、すぐにもキャロルを解放する命令を下してほしいのです」


 謁見の間で、常になく強い調子で私は叔父につめよった。当然叔父にはそれができるだろうし、してくれるだろうと思っていた。なにせ天下の宰相なのだから。どんな無理も通せるのだろうと。


 しかし広間の奥の椅子にうずくまった宰相は、困ったというふうに額に手をあてて唸った。


「ヴィオレーヌよ。それは無理だ。朱雀堂に入ってしまったのは事実なのだから。法に従わなければ。いくらわしでも、簡単に法を捻じ曲げることはできん」

「そんな。あなたはこの国の最高権力者ではないですか。強引に命令してくださればよいのです」

「無茶を言うなよ」


 宰相は苦虫をつぶしたような表情になる。


「宰相だからと何でもしていい訳じゃない。あまり強引なことをすればわしの立場も悪くなる。ウィンター家のせがれの使用人のために、何でわしがそこまでしなくてはならんのだ」


 私は頬を膨らませて叔父を睨む。何という言い草だ。婚約を破棄するとはいえ、ついこの間まで姻戚関係を結ぼうとしていた仲だったのに。


「もういいです。義父上にはもう頼みません。自分でなんとかします」


 そう言い捨てて、私は謁見の間を後にした。


     〇


「……それで、ヴィオレーヌ様は単身クラリス殿のもとへ行ってキャロル殿の助命嘆願をするつもりなのですか」


 自室で外出の身支度を整える私に、リュディーが平たんな口調できき返した。表情もいつものように変えないが、ちょっとだけ眉間にしわが寄っている。ひょっとしたら呆れているのかもしれない。今、危険な目に遭ったばかりなのだから。私を窮地から救いだすのに苦労したリュディーからしてみれば、こう言いたいことだろう。ちょっとはおとなしくしていろ、懲りない奴だな、と。


 しかもキャロルの言が正しいのなら、今回の事件の首謀者はクラリスだ。そのクラリスにこちらから会いに行くなんて、飛んで火にいる夏の虫。ネギを背負った鴨。脳みそが腐ってるのかと言われても仕方がない。でも……。


「解決策がそこにあるなら、私は虎穴にだって入ろうと思う」

「クラリス殿と会えば、解決できると?」

「ええ」


 事件の首謀者だからこそ、解決できると思った。彼女の気さえ変えることができれば。そしてそれは可能なことだと思う。私はまだクラリスを信じていた。これは何かの間違いだ。何か誤解されているのかもしれない。彼女とちゃんと話し合って、誤解が解ければ、キャロルを助けてくれるかもしれない。だから……。


「……ヴィオレーヌ様は、甘いと思います」

「ごめんね、リュディー。せっかく苦労して助けてくれたのに、また危険なところに行こうとして。でも、自分の身代わりになってくれた人を見捨てて自分だけ安全なところにいることはできない」


 リュディーは返事をせずに、しばらく私を見つめていた。いつも以上に鋭い目つきで。私の覚悟を探るように。私も、彼女から目をそらさなかった。心に揺らぎはなかった。いつも迷惑ばかりかけて、助けてもらってばかりだけど、これは譲れないことなの。


 やがてリュディーの目の表情がふっと和らいだ。


「あなたは、真っすぐすぎます。そして、無謀です」


 言いながら、扉の方へと歩いてゆく。


「単身でのりこむ、というのは感心いたしませんね」


 そして扉を開き、部屋から出ていった。


 独り残されてみると、自分の部屋がずいぶん広く感じられた。住み慣れた部屋なのに。リュディーがいないだけで、ずいぶん違う内装に思える。いかにあの侍女が自分の一部になっているかを思い知らされる。

 いいわ。ひとりだって行ってやるんだから。

 そのがらんとした空間の中で私はひとりモクモクと身支度を続ける。化粧を直し、マントを羽織り、帽子をかぶる。そこまでしてから、私はハタと気づく。

 そういえば、クラリスってどこにいけば会えるのだろう。王太子府だろうか。それともウィンター家の本家だろうか。

 何も考えずに身支度だけ整えた己の間抜けさよ。途方に暮れてがらんどうの部屋に立ち尽くす。羽織ったマントが重く感じられて取り外した時、扉がノックされた。


「あ。リュディー。さっきはごめ……」


 扉に飛びついて開いた私は、そう言いかけて口をつぐむ。入ってきたのは、リュディーではなくロッシュだった。


「リュディー殿から話は伺いました」

 丁寧に腰をかがめながら彼は言った。

「クラリス殿と会うというなら、そのセッティングを私に任せてください」


 頼もしいロッシュのその言葉に生返事をしながら、私は彼の背後をキョロキョロと探す。


「リュディーは、どうしたの?」


 ロッシュは口ごもると、気まずそうに目を伏せた。


「彼女は……解任されました」


     〇


 リュディーの解任の理由は、王太子府の職員に手傷を負わせたことだった。王太子から苦情が来たらしい。

 代わりの侍女はすぐに配属された。リュディーと同じく三十がらみの物静かな女の人だったが、リュディーに対するような親近感は抱けなかった。

 そしてその環境にまだ慣れない三日目。ロッシュから会談決行の知らせが届いた。


 クラリスとの会談は、王太子府での事件から四日後に実現した。

 会場はアラルの屋敷。参加者は私とクラリスだけではない。屋敷の主のアラルのほか、司法長官と刑務所長と近衛隊司令官が顔をそろえていた。これはロッシュの取り計らいだった。クラリスに圧力をかけるため、宰相の許可を得て宰相派の要人をそろえたのだ。会場も当初は宰相邸を指定していたのだが、これはクラリスに断られた。とにもかくにも、ロッシュの粘り強い交渉により、この日の会談は実現したのである。


 会談は正午過ぎに始まった。

 アラルの屋敷の食堂の、長いテーブルに私とクラリスが向かい合って座る。クラリスの背後には彼女の召使と思しき女が立つ。対する私の右隣りにはアラル。それぞれの制服に身を包んだ司法長官と刑務所長と近衛司令官は、私の背後に椅子をおいて座っている。彼等の姿が私の視界に入らないのは幸いだ。彼等のいでたちは、威圧感たっぷりだから。

 そのほかに私につけられた衛兵二人が食堂の入り口に立っている。リュディーの姿はない。


「さっそくだけど、キャロルを開放してほしいの」


 私は前置きもなく、席につくなり単刀直入に切りだした。一刻も早く彼女を助けたくて、思わず前のめりの姿勢になる。目も血走っていたかもしれない。


 一方クラリスは落ち着いたものだ。考え込むように人差し指を顎に当てる。いつもながら優雅な仕草。その金色の髪も健康的な肌も光を発しているようだ。難しい表情をしていても、この人は舞踏会場にいるときと変わらず美しい。


「どうして、そんなこと、私に頼むのですか?」

「どうしてって、あなたなら、できると思ったから」

「朱雀堂に入った者は死刑。それは私ごときではどうにもできません。宰相に頼めばいいのに」

「宰相は、無理だって……」

「それならば、なおのこと、私にできるわけないわ。それなのに、どうして」


 クラリスは眉をひそませ、目をわずかに伏せる。その長いまつげの下に、何か光った。

 え? ひょっとして、涙? 私がそう思うのと同時に、クラリスが声を震わせる。


「ひょっとして、ヴィオレーヌ様は、私が彼女を陥れたとお思いなのですか」

「い、いや。そういうわけじゃあ……」

「ひどい! お友達だと思っていたのに、私のこと、そんな人間に見ていたなんて!」


 ああ、そうだよ。あんたが罠にかけたんだ。御託はいいからとっととキャロルを開放しやがれ。と、言ってやりたいところだが、情けないことに私は、すっかりクラリスのペースにのせられ、オロオロとするばかりだった。


「違う。違うのクラリス。そういうつもりじゃなくて、私はあなたと……」

「何がどう違うの? こんなに大勢人を引き連れて私を威圧して。最初からあなたは私を悪者にするつもりなのでしょう」

「そんなことない。ごめん。でも本当に私は話し合いたくて。大人の意見も大事だし。あなたの力が必要で。だからわかってほしくて……」

「ちっともわからないですわ!」

「ねえ、きいて。悪かったから。機嫌なおしてよぉ……」


 いつの間にか私はすっかり守勢にまわされていた。なんだか自分がひどいことをしているように思える。そうか、自分はクラリスを悪者にする、心の汚い人間なのか。そんなふうに自分を責めさせられ、すっかり意気消沈してしまう。本当は、彼女を信じればこそ話し合おうとしたはずなのに。


 か弱い乙女を集団でいじめる悪逆非道な権力者たち。そんな構図がいつの間にか出来上がっていた。気まずい空気が、食堂内に流れる。たぶん、私以外のメンツも皆同じ気分だろう。言葉を発する者は誰もいなかった。


「ねえ、ヴィオレーヌ様」


 目尻に細い指をあててシクシクと泣いていたクラリスは、しばらくしてから、濡れた瞳で私を見た。その声は思いもかけず凛としていて、しらけ切った食堂内に緊張がはしる。


「女の子二人で話したいわ。別室で。よろしくて?」


 この空気に耐えきれなくなりつつあった私は、クラリスの提案に縋りついた。

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