21 王宮からの呼び出し

 剣の切っ先に宿る月光が、銀色の流れ星となって影の集団へと放たれた。

 私には一瞬そのように見えた。

 それほど、飛び出したリュディーの身のこなしと剣さばきは素早く、鋭かった。


 二筋の流星は、曲線を描きながら影たちの中に吸い込まれる。そうかと思うと突然、青白い火花がそこに咲いた。小さな花火のように、光がいくつもの放物線を描く。

 影が一つまた一つと、地面に沈んでゆく。その地面を両手剣のメイドが蹴る。剣先から光を滴らせながらリュディーは他の影へと向かう。

 リュディーが剣で闇と影を薙ぐ。水をまいたように、その剣の軌道に沿って光が散る。

 

 電光石火のごとくリュディーは闇を駆け、影を斬った。

 ほどなく裏庭にうごめく影の姿は全く消えた。

 月光の注ぐ静かな石畳の庭に、リュディーただひとりが剣を携えて立っている。やはり私を背にかばうようにして。あれだけ激しく動いていたというのに、少しも息を乱していないようだ。しかし汗でもかいたのだろうか。彼女は一回だけ、袖で顔をぬぐった。


     ◯


 三日たっても、私は事件のショックから立ち直ることができずにいた。

 いつものようにリュディーに叩き起こされ、渋々起き上がるも、普段の何倍もの時間をかけてだらだらと身支度をする。


 食欲もない。パンもオムレツも喉を通らなくて、かろうじて口に入れられたのはヨーグルトが少しだけ。


「ねえ、リュディー。私、これからどうなるのかな」


 私はスプーンでオムレツをつつきながら背後のリュディーに話しかける。


「存じません」


 返ってきたのは、相変わらずのいつものそっけない答え。しかしかまわず私は続ける。


「アンヌは……、大丈夫かな」

「……わかりません」

「リュディーは昨日、怒っていたよね」


 リュディーは返事をしなかった。だがそれが、私の言ったことを肯定しているように思えた。

 ふと、腹の底が熱くなる。

 こんな時まで無表情を心がけなくてもいいのに。わかってるんだから。アンヌが倒れてあなたが怒ってることも、悲しんでることも、わかってるんだから。


「前からききたかったんだけど……」


 私はスプーンを置くと、席をたって背後に控えるリュディーと向かい合った。


「リュディー。あなたが笑うときって、どういうとき」


 リュディーはわずかに目を見開いて私を見つめてから、顔を伏せた。

 どうせまた、何も答えないのだろう。そう思っていると、彼女は小さく……とても小さく語ってくれた。


「心からこの人を守りたい……そういう主人とめぐりあい、その方のために命を捧げるときです」


 あなたにとって、アンヌはそういう主人だったの? そうきこうとして、やっぱりやめた。そんなこと聞くだけ野暮だ。リュディーの昨晩の激しさを見れば、わかることだから。

 代わりに私は、彼女にほほ笑みかけて尋ねる。


「ねえ、私が倒れたときも、怒ってくれる?」

「ヴィオレーヌ様をそのような目には、あわせません」


 そうね。そうだった。この侍女兼護衛兼教育係は、出会ったその日から私に、そう誓ってくれていたのだった。


「頼んだわよ。リュディー」


 私は彼女の肩に手を置いて笑った。笑っているはずなのになぜか目の端に涙が滲んだ。指でそれをぬぐうけど、涙は次から次へとにじみ出て、とどまることがなかった。


 部屋の扉がノックされ、私の感傷は破られる。

 私とリュディーは同時にそちらを向いた。


「ロッシュです」

「どうぞ」


 開かれた扉からロッシュが顔をのぞかせる。いつになくやつれた、蒼白な表情で彼は告げた。


「宰相が、お呼びです」


     ◯


 謁見の間に入ると、宰相もまた疲れた表情で私を迎えた。

 薄日の差し込む広間が、今日は一段と広く感じる。宰相とミカエルの他に人がいないからか。あるいは、宰相の発するオーラが消えているからかもしれない。


 椅子に深くもたれた叔父は、昨日と同様、父親の顔で私に教えてくれた。


「アンヌは目を覚ましたよ」


 それを聞いて私の頬が緩みかける。

「それは……」

 良うございました!

 そう言おうとして、しかしその言葉は叔父の沈鬱な表情と声に遮られる。

「だが、まだ起き上がることはできない。どうやら、足に力が入らないらしい。視力も著しく低下しているようだ」


 そういえば、薬師は後遺症は残るかもしれないといっていた。

 私は頬を硬直させて尋ねる。


「それはもう、良くならないのでしょうか」

「わからない。ひとつ言えるのは、王太子とアンヌとの婚約は破棄せざるを得ぬということだ」


 当然だろう。こんなひどい目にあったんだ。王太子とはもう金輪際関わらないほうがいい。

 そう思いかけて、私はあることにハッと気づく。


 アンヌは私の身代わりに毒をあおったんだ。危険な目にあったのは……危険にさらされたのは、私なんだ、と。


 嫌な予感に襲われて、私は一歩あとずさる。

「まさか……」


 そんな私の心を読んでいたように、叔父は身を乗り出す。


「ヴィオレーヌ。君とアラルの婚約も、取り消さねばならない。危険すぎる」

「い、嫌です」


 私は反射的に答える。嫌だ。アラルとの仲を引き裂かれるなんて。せっかく仲良くなれたのに。お互いの心を確かめあえたのに。いい夫婦に、なれそうだと思っていたのに。なにより……好きなのに。


「危険でもいいです。私はアラルと……」

「そしてまた、身代わりに誰かを犠牲にするのか」


 私は息を飲んだ。

 そのとおりだった。見方を変えれば、私のせいでアンヌは倒れたのだ。そして私が今の立場を貫けば、第二第三のアンヌを生み出さないとも限らない。私という存在は、色んな人の支えによってなんとか維持されているのだ。

 また、貴族という地位の重さが、私の頬を打つ。私の身は私だけのものではない。


「実は、今日、王太子府からお前に呼び出しがかかっている。お前と王太子との婚約について話があると」

「まさか……私に、王太子と婚約しろと、おっしゃるのですか」

「嫌か」


 嫌だ。私は王太子と一緒にはなりたくない。それに先日宰相は告白したではないか。王太子と宰相令嬢の婚約は宮廷の慣習を破るもので反対者も多い、危険なものだと。アラルとの婚約を危険を理由に破棄しておいて、王太子とのそれはあくまで結ぼうというのか。

 嫌な予感がした。理不尽な要求に思えるが、この宰相ならやりかねない。


 宰相は私を見つめてわずかに頬をあげる。

「安心しろ。王太子とお前の婚約は今のところ考えてはいない。可能性がないとは言えないが。まずは毒を盛った犯人を探し出し、その理由を突き止めなければ。ただ……」


 再び椅子にもたれて、困ったように髭を撫でる。


「一応王太子府に赴かなければなるまい。呼び出されておいて突っぱねるわけにはいかないからな」


 たしかに、宰相の言う通り、行かないわけにはいかないだろう。あんな事件があった後だ。あまり気は進まないが。来いと言われているのに無視したら無用な軋轢を生んでしまう。


「致し方ありません。それでは……」


 参ります。そう言いかけたとき、謁見室の扉が突然大きな音をたてて開かれた。


「恐れながら、申し上げます」


 そう言って広間に入ってきたのは、小柄な女の人だった。私のとてもよく知っている女の人。赤い髪の毛。頬のそばかす……。キャロルだ。


 でも、何で彼女がこんなところに。

 驚いたのは宰相も同じだったのだろう。突然の闖入者を叱りつけることもなく、目を白黒させている。


「一体何事だね。君は、誰だ」

「私はキャロル・ド・ルーマン。アラル様の家に仕える者です。突然のご無礼お許しください。重大な情報をつかんだので、お知らせにあがりました」


 唖然とする私と宰相を交互にみてから、彼女は床に膝をついた。


「王太子府に行ってはなりません。これは、罠です」

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