16 土鍋奪還作戦

 親愛なるタケル。


 ……というわけで、私はアラルの宝たる土鍋奪還のために動き出した。

 あなたならどんな作戦を考えるのでしょう。きっと誰もが眉をひそめるような卑劣極まりない方法をとるのではないかしら。え? それはお前だろうって?

 ふふふ……。私はあなたとは違うのよ、タケル。私は天下の宰相令嬢。姑息な手段は使いません。あくまで正攻法で、真正面から立ち向かうことにしたの。


 そう、直接王太子のもとへ行き、彼を説き伏せて返してもらう。

 屁理屈をこねて、宰相の名を振りかざし、場合によってはリュディーによる暴力を使うことも辞さない。

 どう? 完璧な計画でしょう。え。「なんと悪逆非道な、さすがヴィオレーヌ」? ふふ。褒めてくれてありがとう。


 まあ、リュディーの出番はないでしょう。私のあこがれた王太子様は、きっと話の分かるお方だと思うから。誠実にうったえれば、きっとわかってくださるはず。それに、私も、ただで返してもらおうとは思っていない。それなりの犠牲と、そして覚悟を示すつもり。


 だからタケル。どうか、あなたも私の作戦の成功を祈って。


   ~ ~ ~



 フリュイーは、王宮のあるお城を中心に、同心円状に広がっている街だ。その宮城の東に隣接して宰相官邸があり、その周辺には重臣の屋敷がたちならぶ。一方宮城の西にあるのが王太子府。こちらは歴史地区に近く、寺院や公園が多い地域だった。


 その王太子府に、この日私はリュディーを従え、キャロルを連れて訪れた。


 もちろんこれは正式な面会だ。ロッシュさんに頼んで謁見の手続きもしてある。私の服装も今日は気合が入っている。一張羅の紫のドレスに身を包み、髪を念入りに結い上げ、宰相家の者の証たる桔梗の紋入りの髪留めをさした。アクセサリーはタケルの石のネックレス。これは大事なお守りなので、他のものにするわけにはいかない。


 リュディーも今日はいつもと服装が違う。

 なんか、男の人みたい。軍服なのだろう。金色の肩章とボタンのついた、紅の制服に身を包んでいる。髪もいつもはぞんざいに頭の後ろで束ねているだけなのに、今日は一糸乱れぬお団子ヘアーだ。


 キャロルまでもが別人のようにおめかししている。白いドレスなんか、この人持っていたんだ。


「……っていうか、あんたは来なくてよかったのに」

 王太子府の玄関前の広い車寄せで私の愛車(一頭立てのボロ馬車)からおりながら、私はキャロルに向けてぼやいた。二人乗りのところを三人で詰めて座らなきゃいけないから、狭っ苦しかったじゃない。リュディーも御しづらそうだったし。それに、なんだかあんたから変なイタズラされそうで落ち着かないのよね。

「うるさいわね。私はあなたのことをまだ信用していないの。ヴィオレーヌ。だから今日はお手並み拝見させていただくわ」


 ガラス張りの玄関扉の前で、王太子府のスタッフが出迎える中、この期に及んで私たちはいがみ合うようにそっぽを向いた。


 館の広い玄関ホールをぬけ、緋色のじゅうたんの敷かれた階段をのぼったところで、私たちは待機させられた。やはり緋色のじゅうたんが一面に敷かれたその広間の正面に、白い大きな扉がある。その前に、一人の男が立っていた。


 頬のこけた、目つきの鋭い男。

 その男に私は見覚えがある。名前は確か、グレゴリー。王太子様の護衛だ。


「王太子様は扉の向こうにおられる。ヴィオレーヌ・ド・ポンデュピエリー。キャロル・ド・ルーマンの両名は入るがよい」


 腕組みをして顎をあげながら、尊大な口調で彼は告げた。


 嫌な奴だな。

 グレゴリーの態度に私は苛立ちを覚える。以前に会った時もそうだったけど、何だか偉そうなんだよね。しかも一名言い忘れているし。


「リュディーは? 私の侍女なんだけど」

「下郎が、この先に行けるわけなかろう」

「なんですって」


 思わず頭に血が上りかける。こいつ一体何様なの。リュディーはれっきとした宰相家に仕える者。しかも私にとっては影同然の大事な人間だ。それを侮辱されて黙っているわけにはいかない。


「おやめください」


 王太子の護衛に食って掛かろうとする私を制止したのは、ほかならぬリュディーだった。


「ここから先は、貴族の方のみが立ち入れるのです」

 いつもと変わらぬ落ち着いた声で私をたしなめた彼女は、グレゴリーの前に進み出ると、彼と同じように腕組みをした。

「さあ、はやく扉を開いて我が主をお通しなさい。下郎殿」


     〇


 そこは飛天の間とよばれる、大広間だった。

 でかい。とにかくでかい空間だ。白を基調とした壁には金で縁取られた大きなアーチ型の窓が連なり、そこからまぶしいほどに午前の光が注ぎ込んでいる。立ち並ぶ柱も白。金色の装飾のほどこされたそれらに支えられる天井は二階分くらいはあろうかというほど高い。空と雲と天使の絵が描かれている。一瞬本当に空かと思った。


 そんな空間の真ん中にしつらえられた長いテーブルの端に並んで座って、私とキャロルは呆けたように天井を見上げていた。


「それで、話とは何だい」


 王太子様が話しかけてくれて、ようやく私は我に返る。姿勢を正し、話を切り出そうとするが、言葉がうまく出てこない。

 それは三つの理由による。


 遠いな。というのが第一の理由。

 王太子様はテーブルの対面の上座、いわゆるお誕生日席に座っているのだが、テーブルが長すぎてずいぶん離れている。話をする距離じゃないよこれは。


 そして第二の理由。クラリス、どうしてあなたがここにいるの。

 王太子の右のわきになぜかクラリスが控えている。いつものようにおだやかな優しい笑みを浮かべて。でも気になるよ。マクシミリアンの副官の彼女がこの場にいたんじゃ、話しにくくてしょうがない。


 何より第三の理由。緊張している。

 白状しよう。私はものすごく緊張している。よく考えればこれは私が宰相家に入ってから初めての王太子様との面談だ。あんなに話しをしたいと願ってうろつきまわってかなわなかったのに、思わぬ形でそれが叶おうとしている。意識してきた分だけ、思い込みが邪魔をして無駄に力が入ってしまう。この期に及んで、ちょっといい女に見られたいなんて思っている。完璧な人間を演じたい。間違えてもここで声を上ずらせたり、言葉をかんだりしてはいけない。絶対に。


 私は息をゆっくりと吐き、そして吸う。

 いける。私は、できる女だ。

 そして万全の落ち着きをもって第一声を発する。


「お、おうたいひ、ひゃまに、も、ももうひ、ふぁげたし……」


 私の素っ頓狂な声が大広間に響き渡った。


 王太子様が肩を震わせて笑う。クラリスも口に手をあてて笑っている。

 私は言葉を継ぐことができなかった。顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。ああ、何たる恥さらし。私の馬鹿。もう逃げ出したい。


「恐れながら、ヴィオレーヌ・ド・ポンデュピエリーとキャロル・ド・ルーマンが王太子殿下にお願い申し上げます」


 凛とした声が緩んだ空気を裂き、その場に静寂がもどった。キャロルだ。彼女は臆することなく、笑うこともなく、恥ずかしがることもなく、まっすぐに王太子様に顔を向けて言った。


「どうか……どうか、アラル様の宝をお返しいただきたいのです」


     〇


 キャロルの懇願に対し、まず発言したのはクラリスだった。

「なにをおっしゃっているのかしら。あの土鍋はアラル様のものではなく、ウィンター家のもの。そしてウィンター家の当主たるマクシミリアン様が王太子様に献上なさったのです。あなたがたに、それをどうしろと王太子様に指図する権利はないはず」


 至極まっとうな意見だ。あいかわらず穏やかな口調と表情だけど、その胸の底できっと彼女は言いたいだろう。図々しい奴、と。私もそう思う。

 しかしただアラルのことのみ考えるキャロルは、ひるまず食い下がろうとする。


「でも、アラル様は次期当主です。そのアラル様のお気持ちを全く顧みないのは、将来のためにならないのでは……」

 キャロルの言葉にかぶせるように、クラリスが声を発する。優しいけれど、断固とした調子で。

「アラル様は関係ありません。これは現侍従長と王太子様のお話です。それを、貴族の端くれとはいえ、アラル様の使用人風情が口出しするとは。あまりに僭越ではありませんか」


 さすがにキャロルも口を閉じる。

 彼女は何も言い返せずにうつむいてしまう。膝にのせた手が震えている。その目じりに、涙が光る。


 悔しいのだろうな。


 沈黙を通して私は彼女の気持ちが痛いほどにわかった。


 もちろん、クラリスは正しい。王太子様も彼女の意見に同意するように、しきりにうなずいている。残念だけどキャロルの主張は通りそうにない。だけど……。


 だけど私は思うのだ。キャロルはそんなに間違えているだろうか、と。彼女には見栄も野心もない。ただ、アラルを悲しませたくないだけなのに。彼の心を守ってあげたいだけなのに。彼女のそんなささやかな願いは、こんなに非難されなければならないことなのか。


 私は視線をキャロルから王太子様にうつすと、ゆっくりと立ち上がった。キャロルの肩をポンと叩いて。

 私も悔しいよ、キャロル。

 そう、心の中で語り掛けながら。


「恐れながら、私はアラル様と将来を誓い合っております」


 その言葉は、何の気負いもなく私の口から発せられた。今度こそ、声は、自分でも驚くほどスムーズに喉をとおった。

 王太子様とクラリスが、口を開けて私を見る。キャロルまでもが驚いた顔で見上げている。しかし私はかまわずに、勢いのまま話を続ける。


「つまり、私は侍従長夫人になる人間です。その私の宝は、ウインター家の宝でもあるということになるでしょう」


「何を、おっしゃりたいの?」

 クラリスが戸惑ったように私に問う。


 私は彼女の方は向かず、王太子様にあてた視線を動かさずに、自分のネックレスを……タケルの石を、首から外した。

「このネックレスは奇跡を起こす、私の唯一無二の宝です。これを、ウインター家の宝として王太子様に献上いたします。そのかわりに土鍋の方はアラル様の手もとに戻していただきたいのです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る