15 アラルの宝物
親愛なるタケル。
ついに……ついに、私の外出禁止令が解除された!
ずっと捜査中だった、ミチルを雇った黒幕がようやく見つかったの。その人物はシェイダー卿といって、叔父様の敵対勢力の貴族だったらしい。そいつは逮捕されてすぐに国外追放になったとのこと。これでようやく私はビクビクせずに外を歩けるので、嬉しいわ。
もっとも、この引きこもり期間もなかなか悪くはなかった。なにせたくさんの手紙を書けたから。父にも書いたし、アラルにも書いた。特にアラルとはかなりの回数、手紙のやり取りをしたと思う。
アラルは、話すよりも書くほうが得意みたい。会ってたときはほとんど会話なんかなかったのに、手紙では随分いろんなことを教えてくれた。
読んだ本の感想。
お気に入りの本の題名。
本以外の趣味。
フリュイーの好きなスポット。
好きな食べ物。嫌いな食べ物……。
つい先日は、彼の宝物について教えてくれた。それは、土鍋なんだって。昔、体の弱かったアラルが体調を崩すたび、亡くなられた彼のお母様が、それでよくおかゆを作ってくれたんですって。
そうそう、私の宝物も素敵になったのよ。あなたが投げた石。私のお守り。この四週間近くに渡る引きこもりの間に、ネックレスにしてもらったの。これで肌身離さず身につけていることができる。
私もいろんなことを書いてアラルに送ったわ。ブルジョン村のこと。父や、お城の人たちや、アルベルトのこと。もちろんあなたのことも書いた。
手紙って不思議ね。ずっと会っていない人が、すぐ近くにいるように感じる。書いていると、それまで意識していなかった自分の気持ちにも気づくことがある。
私は、気づいたわ。
自分が今、とてもアラルに会いたいということに。
だから、今日彼に会えることが、とても楽しみだった。
楽しみだったのだけど……。
~ ~ ~
今日もよく晴れている。そして暑い。
久しぶりにアラルの屋敷の門をくぐると、玄関まで続く石畳の歩道が、照り付けるお日様の光と熱で白くゆだってゆれているようにみえた。
その白い光の中に、赤毛の女の姿をさっそく発見した。
キャロルだ。
彼女はかつてと変わらず、歩道沿いの植え込みに水をやっている。あそこを通るとき、いつもいつも、水をひっかけられたな。忌々しい過去が脳裏をよぎるが、こうして久しぶりに彼女をみると、そんな思い出も懐かしく感じる。
「ごきげんよう、キャロル。お元気にしてらした?」
嫌味ではなく、素直な気持ちで私は彼女に挨拶をした。もっとも反射的に体は防御の態勢をとり、さしていた日傘を盾のようにして構えてしまったけれど。
挨拶に反応してこちらを向いたキャロルは、私に気づいても、しかし水をかけてこようとはしなかった。ただあんぐりと口を開けて、私の顔を見つめている。ひしゃくから水がこぼれているのにも気づかずに。やがて彼女の手にしていた桶が地面に落ち、中の水が石畳にしみわたっていった。
「な……なによ。私がここに来るのが、そんなに変なことですか」
いつものキャロルらしからぬ態度に、私はむしろたじろいで一歩ひいてしまう。
私の言葉を合図としたかのように、キャロルはこちらに向かって歩き出す。一歩一歩踏み出すごとに勢いを増したかと思うと、いきなり私につかみかかった。
これにはさすがにリュディーが反応して、すぐにキャロルを私から引きはがす。しかし私は少なからず動揺する。だって、どんなに喧嘩しているときでも、つかみかかってきたりなんかしなかったから。
「ちょ、ちょっと。何するのよ。べつに、今まで来なかったからって、アラルをほったらかしにしたかったわけじゃないんだから。ずっとこれなかったのには理由があるのよ」
「ちがう。そんなことじゃない」
リュディーの腕にしがみつきながら、キャロルは叫ぶ。目に涙をためながら。その表情には見覚えがあった。アラルのことが好きだと私に告白した、あの時の表情だ。あの時と同じ必死さで、今また彼女は私に告げた。
「アラル様が、大変なの。……たすけて、ヴィオレーヌ」
〇
アラルはこの日は居間にはいず、二階の寝室で横になっていた。
「アラル。お久しぶりです。ヴィオレーヌですよ」
ベッドのわきに立って声をかけても、彼からの返事はなかった。布団を頭までかぶって身動きもしない。寝ているのだろうか。開けはなたれた窓から生暖かい風が吹き込み、白いレースのカーテンがゆれている。ほおっておいてくれ。そう言われているような気がして、私はそれ以上話しかけることをせず、足音を忍ばせて寝室から出た。
「アラルは、なんの病気なの?」
見舞いを終えたあと、例の居間の窓際の席についた私はキャロルにたずねた。今日はアラルではなく彼女と向かい合って座っている。目の前のテーブルには彼女の淹れてくれた紅茶。珍しく何も入っていない。そのことがかえって、ことの異常性を示しているようで、私の心を不安にした。
「病気ではありません」
「では、何があったの」
「アラル様の宝物が……奪われてしまったのです」
「それは……土鍋のこと?」
キャロルはちょっと驚いたように目を見開いてから、静かにうなずき、話を続けた。
その出来事があったのはつい一昨日のことだった。
アラルの父マクシミリアンからの使いが突然屋敷を訪れて、アラルが大事にしていた土鍋を持っていってしまったのだ。使者は今回もクラリスだった。アラルは抵抗したが取り合ってもらえなかった。
納得のいかなかったアラルはその次の日、ウィンター家に出向いて抗議した。しかし、彼の父マクシミリアンから告げられたのは、残酷な事実だった。あの土鍋は、王太子に献上されたという。
実はアラルの大事にしていた土鍋は、ウィンター家の家宝だった。その昔、ウィンターの祖先たちは戦陣であの土鍋をつかって料理をし、そのたびに勝利を手にした……といういわれがあるのだそうな。それをアラルの母がアラルのために使っていて、それは今まで何となく黙認されていたのだが、最近になって事情が変わってきた。
マクシミリアンが王太子との関係を強化したいと思うようになったのだ。そのための贈り物として、あの家宝に白羽の矢が立ったというわけだ。
「家の政略に関わることだから、さすがのアラル様も手を出すことができない。だから……」
説明を終えたキャロルは唇をかんで下を向いた。
だから、アラルは、自分の感情と現実の間でさいなまれて、寝込んでしまったのだ。
今の彼の心のうちはどんなに苦しいだろうかと思う。
私は彼の気弱さを知っている。クラリスが屋敷を訪れたときに逃げ出そうとしたアラル。ウィンター家での晩餐を回避するために私を夕食に誘ったアラル。その彼が、クラリスに食って掛かり、家まで抗議に出向くのにはどんなに勇気が必要だったろう。あの土鍋は、彼にとってそれほどまでに大事なものなのだ。
「アラル様のために何かして差し上げたい。だけど、私じゃあ、相手にされないのよ」
下を向いたままキャロルが声を震わせる。
しばしの沈黙のあと、彼女は突然立ち上がり、私の傍らに歩み寄ってきた。驚いて彼女を見上げた私を、眉を寄せ歯を食いしばって睨む。体を震わせ、頬をこわばらせて。やがて大きく息を吸い、そして……。
キャロルは、私の前にひざまずいた。
「お願いヴィオレーヌ。宰相令嬢のあなたなら、話をきいてもらえるはず。どうか、アラル様の宝物を取り返して」
「そうは言っても……」
私は言葉を詰まらせた。彼女の意外な行動に一旦停止していた思考が戻っても、何も言うことができなかった。ここで私に任せろと言うことができたら、どんなに格好いいだろう。しかし哀しいことに私は、その時それができなかった。
アラルの気持ちを考えると心が痛む。キャロルの行動にも心打たれるものがある。
どうにかしてあげたい。彼のために何か……。
そうは思うが、私はうなずくことができなかった。それどころか、私の理性はこのまま動かぬことを私に命じる。これはウィンター家と王太子の問題なのだ。そこに宰相家の私が首を突っ込んだら、大変なことになるのではないだろうかと。
「ごめんなさい、キャロル」
私の口から出た答えは、それだった。続けて私は言い訳を並べ立てようとする。
「これは家同士の政略が複雑に絡んでいる。私の独断で行動するのは危険と思うの。きっとアラルのためにはならない。ここはしばらく様子を見て……」
「そう。わかったわ」
キャロルがぴしゃりと私の言葉をさえぎった。とても冷たい声で。
立ち上がった彼女は先ほどとは打って変わった、感情のない目で私をみおろした。お前には心底失望した。その表情にはありありと、そう書かれてあった。
「あなたは心の中もその髪の色と同じなのね。真っ暗。帰って」
そしてキャロルは、居間から出ていった。
〇
キャロルから言われた通り、私は帰ることにした。
玄関から出て、門までの歩道をトボトボと歩きながら、私は何度も自分に言い聞かせる。
私は間違えていない、と。
私の判断は間違えていないはず。自分にできることは何もない。自分の立場を考えれば、ここで勝手な行動をとるのはとても危険なのだ。私はこの貴族の世界で生きていかなければならない。そのためには、感情だけで動いてはならない。冷静に、ときには冷徹にならなければならない。私はよくやった。自分をよく抑えた。それは褒めてもいいはずだ。
アラルは可哀そうだけど……。でも、これは彼の家の問題。少しすれば、きっと彼もそれを受け入れるはず。いや、受け入れなければならないのだ。それしか彼に道はない。そうとなれば、私の役割は土鍋を取り返すことではなく、それを失った悲しみを癒してあげること。そう、土鍋の代わりを見つけてあげることなのではないだろうか……。
「よろしいのですか?」
突然背後からリュディーに話しかけられて、己の思考に入り込んでいた私は思わず飛び上がりそうになった。実際ちょっと飛び上がったかもしれない。そういえばいたんだ、リュディー。無口で音もなくついてくるから油断すると存在を忘れてしまう。今日はまだ一言もしゃべってなかった気がする。これが本日初めてのセリフじゃないか。
「ちょっと、驚かさないでよ。いきなりどうしたの」
「いえ。ネックレスが、外れそうだったものですから」
私は彼女の言葉に、あわてて自分の胸に手をあてた。
そして握りしめる。ネックレスの先に装着されたタケルの石を。私の宝物……。
それと同時に、抑え込もうとしていた感情が、一気にあふれだした。まるで石がそのスイッチだったみたいに。そこに閉じ込めていたものが、触れることで解放されたように。
「……いいわけが、ないじゃない」
私は振り絞るように言うと、踵を返し、大急ぎで玄関へと舞い戻った。
キャロルは玄関ホールにおりる階段の中ほどにいた。
不審そうに、なお軽蔑の視線をもって私を迎えた彼女に、私はためらうことなく告げる。
「私、やっぱり、アラルの宝を取り戻そうと思う」
「何を今さら。無理って言ったくせに……」
「前言撤回する。約束するわ」
そしてネックレスをはずし、石を天に向けてかざしながら、宣言した。
「この石に誓って。必ず、アラルの宝は私が取り返す」
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