14 彗星
親愛なるタケル。
私はちょっと怒っている。
私をたすけてくれたリュディーが何で私に謝ったか、わかる? 彼女はね。私を囮に使ったの。最近宰相邸に奉公を願い出てきたミチルを、彼女ははじめから怪しんでいた。その身のこなしからただ者ではないと。「チューリップ」の人間ではないかと。
その確証を得るために、リュディーはミチルを泳がせておいた。そしてわざと隙を作って私を襲わせたというの。もし「チューリップ」の暗殺者なら、今度こそ殺さずに捕らえて、黒幕を吐かせるために。
事はリュディーの思惑通りになった。ミチルはどうやら思った通り「チューリップ」の暗殺者で、無事殺さずに捕らえることができた。これで、私を襲った黒幕の糸口をつかむことができるでしょう。
……だけど、それにしてもひどくない?
仮にも私は宰相令嬢だよ。ご主人様だよ。彼女が護衛する対象だよ。その私を囮に使うなんて。あなたでも考えつかなそうな卑劣な手だわ。
そりゃあ、万が一のことが無いように、ちゃんと見はっていたのだろうけど。ミチルから私を守れるよう気をつけていたのだろうけど。実際、完璧に守ってくれたのだけど。そのことに私は感謝しているけれど。
でも、やはりこれはちょっと乱暴な作戦だったと思う。彼女が「私を罰してください」と私に言ったのも、自分でもあえて主人を危険にさらすような真似をしたことに、罪悪感があるからでしょう。
リュディーのことは信頼しているし、いなくなってしまっては困るけど、やはりここはけじめをつけるべきと思うの。だから私は彼女に罰を与えることにした。
さて、どんな罰がいいだろうか……。
~ ~ ~
「……私がなりたかったもの……ですか?」
私に聞き返したリュディーの表情は、明らかに困惑していた。彼女がめったに見せない表情だ。その表情を見れただけでもこの罰を選んだ甲斐があったと、私は胸の中でほくそ笑んだ。
私がリュディーに与えた罰。それは、彼女が子供のころになりたかったものを、私に教えること。普段だったら絶対に「存じません」か「ありません」でかわされてしまうであろう問いだ。しかし今回は逃げることは許さない。これは、罰なのだから。
これは我ながら良い罰だ。どうせリュディーには肉体的な攻撃など通用しない。ならば精神を攻めるのみ。リュディーのような真面目な人間の心をむしばむには、子供のころの思い出をほじくりだして羞恥心を掻き立てるのにしくはない。
リュディーは答えたくないらしく、口をもごもごさせている。
その口元を、私はネズミをねぶる猫のようにねめまわす。
ふふ。逃げ場なんか与えないよ。ちゃんと罰は受けてもらわないと。さあ、はやく答えるのよリュディー。ほれほれ。はやく答えて。
「……です」
やがて観念したリュディーは、消え入るような声で呟いた。
「え? なになに? 聞こえないよー」
私は耳を彼女に近づけて容赦なく聞き返す。我ながら鬼畜だ。
「騎士様……です」
もう一度、今度ははっきりとそういったリュディーは、恥ずかしさに耐えるようにムッツリと視線を下げた。ひょっとしたらちょっと怒ってるかもしれない。
「騎士……さま」
「ええ。そうです」
彼女の頬が僅かに赤く染まっている。でも、そんなに恥ずかしがるようなものでもない。騎士か……。たしかにそんな感じがする。リュディーが騎士の格好をしたらさぞかし似合うだろう。
本人も溜めていたものを吐き出して開き直ったのか、それとも照れ隠しか、補足の説明を始めた。
「子供の頃読んだ本に出てくる騎士様が格好良くて、憧れていたのです。ああ、私もこんな素敵な騎士様になりたいと」
騎士にたすけられるお姫様でないところがリュディーらしい。
「素敵じゃない」
私が皮肉でなくそう言うと、リュディーは視線を下げたまま、自嘲した。
「私は貧民出身の孤児なので、騎士など分不相応の、夢のまた夢なのです」
「そうか……」
ふと、図書室で言葉をかわしたミカエルの表情が脳裏に浮かぶ。本当は植物学者になりたかったと告白した、彼のちょっと寂しそうな表情。
「宰相家の侍女は、あなたの夢とはかけ離れているかしら」
すると、意外にもリュディーは首を振って私を見つめた。そこにはゆるぎない意志の強さがある。さっきまでの羞恥にたじろぐ彼女のそれとは大違いだった。
「私の中には今も理想の騎士様がいて、彼が私を動かしている。なりたかった自分を追い求めて、私はここにたどり着きました。私には望む限り最高の立場です」
ああ、そうか。
私はリュディーの目を見つめ返しながら、その時唐突に理解した。
私もそうだ、と。
今はちょっと迷っているけど、私も確かにそうだった。
「ありがとう。リュディー」
私は彼女に礼を言いながら、今日ミカエルにもこの話をしようと思った。
〇
そこは本館の最上階の、そのまた上だった。
ミカエルのあとについて最上階であるはずの三階からさらに階段をのぼっていくと、そこは正面玄関ホールをちょっと狭くしたような広間になっていた。東西南北に扉があり、窓にはカーテンがかかっている。
「その扉から外に出られる。この広間をテラスが取り囲んでいて、そこから夜空がきれいに見えるんだ」
そう言って東側の扉へ足を進めるミカエルを、私は呼び止めた。
「あの……義兄上」
「どうしたの?」
私は一瞬躊躇する。リュディーから教えられたことをミカエルにも……と思ったけど、今の私にその話をする資格があるだろうか。リュディーとは違ってこんなにも頼りない私が。今道に迷って前に進めないでいる私が。笑われてしまうかもしれない。馬鹿にされてしまうかもしれない。でも……今、伝えておかねばならないような気がした。自分を棚上げしてでも、この気持ちが熱い今のうちに。
「なぜ、君は貴族になりたかったのか。義兄上はそう私に問いましたよね。実を言うと、よくわからないのです。いえ。正確には、わからなくなってしまっていた」
ミカエルは扉に伸ばしかけていた手を下げて、私に向き直った。先を続けて。そう促すように私を見つめる。
「でも、リュディーに気づかされました。子供のころから私の中に理想の自分がいて、彼女の導くままに私はがんばってきた。その結果私はここに来たのです。ここでの生活は想像していたのとはちょっと違っていて、今は戸惑っているけど……」
私はうつむいて、腰帯に結び付けた巾着をにぎった。
「きっと、私の中の理想は、いずれまた私の行く道を示してくれるはずです。だって私は、この世界にずっと憧れてきたのだから」
ミカエルはしばらく私を見据えてから、何も答えずに背を向けた。
「贅沢をしたい、とか、いいドレスを着たい、とかだったら、シンプルで迷うこともなかっただろうに」
数歩進んで扉に手をかけ、そして振り返る。
「でも、それでこそ、だ。さすがは前宰相の孫娘」
ミカエルは扉を開いて、私に道を開けた。さあ、どうぞ外へ。そう表情で私をいざなう。
外のテラスに出た私は、夜空を見上げて思わず歓声をあげた。テラスを囲む手すりに手をかけ、身を乗り出して食い入るように空に首をのばす。
そこには普段の夜空とは全く違った光景が広がっていた。
それは月でも星でもなかった。月と星をたくさんかき集めたような天体が、紺色の空に青白い尾を引いている。その光の流れからは七色の粒が無数に散り、それは瞬きながら地上に降り落ちているように見えた。
「どうだい。彗星は」
いつの間にか私の隣に来ていたミカエルが、同じように首をのばして天を仰ぎながらきいてきた。
「言葉で、言い表せません」
「僕も、言葉で言い表せない。この心の中のいろんな気持ちをうまく言えないように。植物学者になりたかった。ただ……僕も、あこがれていたんだ。父に、宰相に。宰相として力をふるう父を格好いいとも思っていた」
私はミカエルの横顔を見る。一心に彗星を見上げる彼の口元には笑みが浮かんでいる。青白い光を宿した瞳を細めて話す、その声は遊んでいるときのように弾んでいる。
「なればよろしいではないですか。義父上のように。そして植物学者にもなればいい」
私が言うとミカエルは笑い声をあげた。病気がちで今まで消え入りそうだった声からは想像できないような、愉快そうな笑い方だった。
「時間が足りないなぁ。僕は先が長くないから」
そして私の頭を撫でながら、優しい声で語り掛けてくれた。
「ヴィオレーヌ。嫌でなければ、君の中の理想の君に相談してくれないか。僕の中の理想も仲間に入れてくれと」
そして激しく咳き込んだ。
私は彼をいたわるように見上げる。私を見つめるミカエルの瞳は随分悲しい色をしているなと、その時思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます