13 新入りメイド

 親愛なるタケル。


 どうしよう。ミカエルに彗星見物に誘われてしまった。これって、どう受け取ればいいと思う? ただ、家族として一緒にみようということ? それともそれとも、彼は私に気があるとか……。ああ、ダメよミカエル。私はあなたの従妹で義理の妹。しかもアラルという婚約者がいる。あなたがどんなに私に恋い焦がれようと、その気持ちに応えることはできないわ。


 ……ごめん。自分でも言いすぎたわ。あなたのしらけ切った表情が目に浮かぶよう。落ち着けヴィオレーヌ。勝手に妄想を膨らませて発情しているんじゃない。お前なんかがそんなにモテるわけないだろう。そんなあなたの言葉が降ってくる気がする。


 たしかに、冷静に考えればこれはなんてこともないこと。ただ珍しい彗星が見れるから一緒に見ようかという、ただの兄妹としての誘い。


 わかってはいるのよ。それなのになぜだろう。今日は朝からそわそわしている。夜のことを考えて意識せざるを得ないからか。それとも新入りの掃除係のたてる騒音のせいかしら……。


   ~ ~ ~



 窓から明るい朝の陽光が差し込み、窓や壁の装飾をキラキラ輝かせている。今夜はきっとよく彗星が見えることだろう。そう思いながら私は昨日図書室から借りてきた本を開いた。ミカエルの言っていたアーニャ彗星について、予習をしなければ。

 朝食後の午前のひと時、明るい窓辺により、紅茶と甘いクッキーに舌鼓を打ちながら読書にふける。至福の時間だ。


 なになに。そもそも彗星というものは天体の一種である。彗星には太陽をめぐる放物線軌道をとって二度ともどってこないものと、楕円形の周期を描いて定期的に現れるものがあり……。


「ごほっ。ごほっ。あっ、塵が目に入った」

「そんなに乱暴にはたくからです、ミチル。埃をぬぐうときはもっと丁寧に」


 アーニャ彗星は五十年に一度、夜空に現れるとされている。その大きさは数ある彗星のなかでも群を抜き……。


「あっ。変なの踏んじゃった。リュディーさん、なんですかこれ。ケーキの食べかすかしら」

「ヴィオレーヌ様は食べこぼしが多い。気をつけなさい」

「はーい。でもこれ、今までの中で最大。群を抜いてるわ」


 青白い光が尾を引く、幻想的なその光景から、かつては不吉な出来事の前兆とされていた。


「きゃあ。足に何か引っかかった。タオル? それにしても散らかりすぎ。なんて不吉な光景でしょう」

「うるさーい!」


 私は我慢できずに本を閉じ、思わず振り返って怒鳴ってしまう。バタバタうるさい。しかも悪口全部きこえているよ。


 無表情でかしこまるリュディーの隣で、小柄な三つ編みの少女が頭をかきながら舌を出した。新人メイドのミチルだ。東方の出身で髪が黒く、瓶の底のような眼鏡をかけている。まだ十四歳ということでしょうがないのかもしれないが、気が利かなくて不器用でドジで、そのくせおしゃべりだ。


「部屋を綺麗にしてくれてありがとう。いつも散らかしてごめんなさいね。でも、できたら、もうちょっと静かにしていただいたらもっとありがたいですわ」


 私としては精いっぱい丁寧に抗議をすると、彼女は照れたように身をくねらせた。


「いやぁ。そんな、気にしなくていいですよぉ。仕事ですから。任せてください」


 だめだこりゃ。一番伝えたい部分が伝わっていないようだ。

 救いを求めてリュディーに視線を送るも、彼女はもうあきらめているのか、我関せずといった様子で明後日の方向を向いていた。


     〇


 午後の時間も読書に費やしたかったが、昼ご飯を食たらやたらと眠くなってしまったので、少し昼寝をすることにした。午前のミチルとのやりあいで疲れ切ったせいだ、絶対。


 リュディーは宰相から言いつけられた仕事があるらしく、ミチルを連れて部屋から出て言った。私の安眠を邪魔するまいという配慮かもしれない。

 久々の静寂が室内をつつむ。私はほっと息をついてベッドに横になった。


 しかし、いざ布団に入ってみると、あんなに眠たかったのに寝ることができない。頭がやけにさえている。考えたくもないのに、いろんなことがとりとめもなく浮かんできて、いちいちそれにとらわれてしまう。彗星のこと。ミカエルのこと。アラルのこと。襲撃者たちのこと。誰が暗殺者を雇ったのか……。


 それでも私は横になったまま目をつむる。眠れなくても、力を抜いて目を閉じているだけでもいいいや。今夜は遅くまで起きていなければならないし。

 できるだけ心を無にして規則的に呼吸をしながら数を数える。


 羊が一匹、羊が二匹……。


 百八匹まで羊を数えたときだった。

 ベッドのそばで物音がした。近くで人の動く気配がする。リュディーだろうか。そう思いながら私は薄く目を開ける。


「仕事終わったの? リュ……」


 言いかけて私は息を飲み込んだ。

 ベッドに乗りあがって私の身体にのしかかろうとしている、その女はリュディーではなかった。


「ミチ……ル?」


 その黒髪も顔も小柄な体も間違いなくミチルのそれだった。しかし、一瞬別人かと疑ってしまう。その表情が普段の彼女からかけはなれていたから。眼鏡をかけていない。厚底のレンズを通さない彼女の目は死んだ魚のそれのようで、それなのに口もとはかすかに笑っていた。


 何するの。……などと問いかけることもせず、私はとっさにベッドから転がり出る。ミチルが何をしようとしているか、私はすぐに理解した。彼女の手に短剣が握られていたから。どうして私を襲うのか、その理由はわからないけれど、とにかくこの娘は私を殺す気だ。


 私のいなくなったベッドの上に立ったミチルは、私を見下ろして短剣を構える。笑みが深くなっている。でも目だけは笑っていない。突き刺すように私を睨み、とびかかるタイミングを見計らっている。それはもはや新人メイドのそれではなかった。やめろと言ってもやめる気はなさそうだ。


 床に尻餅をついている私は、攻撃に備えて身を起こす。どんな攻撃が来ても避けられるよう前かがみになり、お尻を浮かす。

 しかし私が姿勢を整える前に、ミチルが飛んだ。

 彼女の右手に握られた短剣が突き出される。迫りくるその切っ先で銀色の光が大きくきらめく。私の身体は動かない。重い。よけきれない。


 突然、重力から解放されたように私の身体がふわりと浮いた。


 ミチルの短剣を間一髪でかわして、浮いたまま部屋の隅へと高速移動する。

 誰が私を運ぶのか、確認するまでもなかった。

 リュディーだ。

 お姫様抱っこしていた私の身体を床に優しく置くと、リュディーは私を背にかばって立った。木の棒を両手で持って構える。今日は剣ではない。木刀だ。

 しかしミチルはリュディーを前にしても臆することなくとびかかってきた。さながら獲物を前にした狼のように。涎を垂らさんばかりの勢いで。


 リュディーも全く退かない。両足を踏ん張った彼女は木刀を振り上げると、それを思いっきり振り切った。

 袈裟懸けに叩き込んだその一撃により、ミチルの身体が吹き飛ぶ。壁に激突して床に崩れ落ちた彼女は、もう動くことはなかった。


「殺してはいません。しかし動けるようになるには時間がかかるでしょう」

 そう言ってリュディーはミチルに近づいて、その傍に落ちていた彼女の短剣を拾い上げた。

「やはり……。チューリップです」


 チューリップ……。私を襲った暗殺集団だ。ミチルもその一員だったということか。

 まだ床に尻餅をついて呆然とする私の方を向き、リュディーは深々と頭を下げた。


「申し訳ありませんでした。ヴィオレーヌ様。私に罰を与えてください」

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