10 怪しい男

 親愛なるタケル。


 この間の襲撃事件のあと、私は外出禁止を言い渡されてしまった。犯人を突き止めて処分するまでは危険だからって。


 襲撃者ならみんなリュディーがやっつけただろうって? いいえ。あいつらはただの下っ端。そしてその辺のチンピラではないわ。みんな手練れの武芸者だった。そしてそれを裏であやつっている奴が必ずいる。……というのがリュディーからきかされた話。黒幕を捕まえない限りは、また同じような襲撃があることでしょう。


 しょうがないとは思うけど、残念。せっかくアラルと打ち解けそうな予感が、そこはかとなく漂い始めていたのだけど。はやく黒幕が捕まるといい。あなたも願って。


 黒幕はわからないけど、襲撃者にはリュディーは心当たりがあるらしい。彼らは「チューリップ」という名の暗殺組織の人間ではないかとのこと。「チューリップ」は特定の主人を持たない独立組織で、依頼を受けてターゲットの人物を暗殺する。思想や信条に関係なく、金次第で誰の依頼でも受けるという集団なの。太刀筋がその組織の人間特有のものだったと、何度か「チューリップ」の暗殺者と対決したことのあるリュディーは言っていた。


 誰が彼らを雇ったのか。しかしそれを調べるのは大変そう。襲撃者たちはことごとくリュディーに斬り捨てられてしまったから。

 そのことをリュディーは気にしている様子だったけど、私は彼女に感謝している。危険な目には合わせないと言った言葉通りに、私を守ってくれたのだから。武芸の達人だとは思っていたけど、その強さは想像以上だった。そんな彼女が傍にいてくれることを、今さらながらに心強く思う。


 それにしても外出禁止になってから、また退屈な日が続いている。犯人はいつ見つかるのかしら。どんな奴だろう。叔父様の敵対者とか、たくさんいそう。外部の者とは限らないわね。ひょっとしたら案外身内にいるのかも。なんでそんなこと言うかって? 最近怪しい奴を見つけたのよ。それは……。


   ~ ~ ~



「……君のいない空間がこんなにも虚しいものだなんて。はやく明日がやってくればいい。愛しているよ、アンヌ」


 手紙の朗読を終えると、アンヌはそのピンク色をした花柄の紙を胸に抱いて、デレデレとにやけた。

 久しぶりに呼びつけられた晩餐の席。食後のデザートが運ばれてきたところで何を思ったか、アンヌが王太子から贈られたという手紙を読み上げ始めたのだ。なるほど、家族と一線を画されている私が珍しく呼ばれたのは、これを自慢したかったのか。


 何を聞かされているんだろう私は。クリームみたいに甘ったるい内容の手紙。それを読み上げるアンヌの声も甘々だ。なんだか胸やけを起こしそう。おなかいっぱいで、せっかくのケーキを口に入れる気が失せた。これならあのキャロルの激苦ケーキのほうがまだましに思える。

 悔しくないと言えばうそになる。でもあまりうらやましいとも感じない。不思議だな。詩的でロマンティックな言葉や表現が駆使されているのだけど。


「どう。ヴィオレーヌ。王太子様からの手紙。素敵でしょう」

「え、ええ。そうですね」


 ちょっとあごをあげて得意げなアンヌに、私は生返事をする。久しぶりで悪いけど、今日はあまり彼女に関心はない。私の興味は、圧倒的に他の人物にあったから。


 そして私はこっそり食堂の出入り口付近の壁際を伺う。そこには影のようにタキシードの男が立っている。宰相家執事のロッシュだ。


 出入り口の扉が僅かに開き、音もなく制服のスタッフが入ってきた。彼はロッシュに近寄ると、何事かを耳打ちする。

 上品な口ひげを蓄えた初老の男はひとつ頷いて、颯爽と食堂から出ていった。


「あ、あの。今夜はありがとうございました。とても楽しかったですわ」


 私はケーキに手もつけず、見えすいた社交辞令でアンヌのお喋りを遮って席をたった。


     ◯


 私が彼を怪しいと感じたのは襲撃のあった翌日の朝だ。


 部屋の窓から裏庭の景色を眺めていたら、彼の姿をたまたま見つけた。朝の人のいない時間に、こんな屋敷の隅で執事ともあろう人が何をしているのだろう。カーテンの影に身を隠した私は、ちょっと気になって彼の様子をうかがった。


 するとほどなく庭の木の陰から不審な人物が姿を現した。その人物にロッシュはためらいもなく近づいていく。そして何をするのかと思ったら、懐から取り出したものをその男に手渡したのだ。何かはわからない、ただ紙のようなものだったように思う。


 それを受け取った男は踵を返してそそくさと庭を去っていった。


 ……とまあ、それが私の見た一部始終だ。


 彼が私を襲わせた黒幕かどうかはわからない。私を消して彼になんの得があるのか、想像もできないから。でも、怪しいことは確かだった。彼はなにか企んでる。それが私に関係あることなのかどうかはわからないけど、見てしまったからにはほおっておけない。


 だから私は、彼の行動を探ろうと思うのだ。


     ◯


「……それで、ロッシュ様をつけて、何をしようというのです?」


 食堂控えの間の柱の陰から私と一緒に顔だけひょっこり出しながら、リュディーはボソリときいてきた。尾行は一人のほうがやりやすいからと追い払おうとしたのだが、彼女は職務上私をひとりにしておくことはできないと言いはってついてきたのだ。


 まあ、あんな事があったあとだし、屋敷内とはいえ油断はできないのは確かだ。もっとも、私を野放しにして暴走させないためかもしれないけど。


「もちろん、また不審な奴と接触する現場を突き止めて、何を渡そうとしていたか白状させるのよ」

「なんと乱暴な……」

「あ、ロッシュが行っちゃう」


 リュディーのつぶやきは無視して、私は柱の陰からとびだす。

 そんなわけで、今宵は、無口な侍女と一緒にロッシュのあとを付け回してやる。覚悟しておきなさいよ。


     ◯


 私の狼のごとき執拗な追跡は、実に一時間に渡った。その範囲は以前アンヌと王太子を探してさまよったときを遥かにしのぐ。


 赤い絨毯の敷かれた大広間。

 衛兵の詰め所。

 大理石の大階段。

 鏡の張り巡らされた回廊……。


 しかし、なかなか尻尾をつかむことはできなかった。

 ロッシュは向かった先々で、そこで働くスタッフさんたちに挨拶したり、何事か短く指示を与えたりするのみだ。


 怪しい素振りを見つけることもできず、私達はついに邸宅の端っこ、東棟の回廊まできてしまった。月見回廊という通称のあるこの回廊にたち働く人の姿はない。ロッシュもさっと見回るのみで、すぐに踵を返した。


「今日は、何もなさそうね」

「ええ。部屋に戻りましょう。ここからならすぐ近くですし」


 さすがの私もあきらめかけた、そのときだった。

 ロッシュが、本館への渡り廊下ではなく、外への通用口の方へ足を向けたのだ。


「ねえ、リュディー。あの通用口からはどこに出られるの」

「裏庭です」

「よし!」


 私は胸踊らせながら追跡を続行した。


     〇


 裏庭、といってもそこは、石畳の敷かれたただの広場だ。広場の向こうには塀が伸び、小さな門がある。門の傍らに、申し訳に一本の細長い樹がたっていた。


 時刻はもう遅い。私が襲われたときのように陽の光は空のみを照らし、地上には薄い闇の幕が下りつつあった。その薄闇の中をロッシュはためらいなく門の方へと歩いていく。

 門の傍らの樹の下に、男がひとり立っていた。男はロッシュに気づくと、彼のもとに歩み寄っていく。そして……。


 私は確かに見た。薄闇ただよう広場の真ん中で、男が何かをロッシュに手渡すのを。あの時と同じだ。あの朝、私が部屋の窓際からのぞいていたのと同じ光景。ただし今回はロッシュの方が男から何かを受け取っている。どっちでもいい。やはりこれは不審な行為だ。


「リュディー。行くわよ」


 男はまだそこにいるけど、私はかまわず突撃した。大丈夫。リュディーがいるから。きっとここで悪党を一網打尽にしてくれることでしょう。


「ロッシュさん。そこで何をやっているの?」


 私が話しかけると、ロッシュはこちらを振り向いた。ちょっと驚いたように目を開いたが、動揺した様子も、逃げるようなそぶりも見せない。いい度胸ね。だけど今、化けの皮を剥いであげるわ。


「ヴィオレーヌ様。どうしてこんなところに」

「あなたをつけてきたのよ。その男から何を受け取ったの」


 身構えながら私は問う。追い詰められた悪の黒幕が開き直って私に襲いかかるさまを想像しながら。きっと私は彼の攻撃を華麗にかわすことだろう。そして威厳をもってリュディーにこの男の捕縛を命じる。私の前にひれ伏した男に、私は毅然と言い放つの。この私を甘く見ないことね……。


「ああ、これですか」


 私の妄想をやぶってロッシュの口から発せられた声は、しかし想像していたのとは違う、実に穏やかな優しい声だった。

 声に続いて、一通の封筒が私の前に差し出される。


「手紙です」

「……手紙?」


 あほみたいにその単語を復唱してポカンとロッシュを見上げると、彼はにこやかにうなづいた。その表情も、その声と同じく優しくて、なぜか嬉しそうだ。そういえば、ロッシュの相手の男は襲いかかるどころかその場にひざまずいている。


「そう。手紙です。娘からの」


 娘さんからの手紙……ですって? 

 この時ようやく私は理解した。自分が勘違いをしていたということに。

 急に気まずくなって、無意味に毛先をいじりながら私は視線を左右に走らせる。侍女の姿を探しながら。

 リュディーは私の隣に何食わぬ顔で立っていた。私は彼女のメイド服のスカートを軽くたたく。あんた、ひょっとして、知ってて止めなかったね。


 今や挙動不審なのは私の方だった。そんな私を咎めることもなく、それどころかこの温厚な執事は気づかいの言葉をかけてくれた。


「なれない土地に来て、事件にもあって、さぞかし不安かと存じます。もし、よろしければ、明日、私の部屋においでいただけますか」


 私は叱られた子供みたいに視線を下にむけながら、しかし小さく小さくうなずいた。

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