4 王太子との再会

 王太子シャルル様は、私の恩人のひとりだ。

 先に行われた武道大会をお忍びで観戦に来ていた彼は、そこで私の投石の技に目を留め、そして宰相との間を取り持ってくれたのだ。なんでも彼の亡き母上も投石を得意としておられたとか。


 それだけではない。一日だけ、彼とデートもしたのだ。

 ……まあ、デートと思っていたのは私だけで、彼はただ、面白がっていただけみたいだけど。道端で拾った猫にえさを与えるように。

 でも、私には忘れえぬ、楽しい一日だった。歴史の話で同年代のだれかと盛り上がれる日が来るなんて、夢にも思っていなかった。彼は王太子で、きっと彼を思い慕う女の人は大勢いて、そして彼がひそかに思いよせる美しく高貴な女性がどこかにいるだろうとは思うけれど。それが私だなどとうぬぼれることはないけれど。でも、あんな友達がいたら……と思う。彼が私を友達の端くれに思ってくれるなら、とても嬉しい。


 そうそう。消える前のタケルが奇跡の投石の技を見せたのも、あのデートの日だった。王太子の要求にこたえて奇跡を起こし、そのかわりに彼に私のことを託したのだ。あのとき、きっともうタケルは自分が消えてしまうことを悟っていたに違いない。いわば王太子様は、タケルが私に遣わした人なのだ。

 だからきっと、私は彼から仲良くしてもらえるはず。


     〇


 リュディーに案内させてアンヌの部屋にたどり着いた私は、勢いよくその扉をノックした。


「アンヌ。ご機嫌麗しう。ヴィオレーヌよ」


 声を張り上げるも、返事はない。金の模様がごてごてとついた扉は沈黙したまま、動く気配もない。


「いらっしゃらないようですね。さあ、帰りま……」


 リュディーが言いかけたところで、メイドがひとり、その場に通りかかった。

 私は彼女を呼び止めて問いかける。相手に寄り添うように、笑顔で。しかし逃がさないように開いた眼に力を込めて、彼女の動きを制しながら。


「アンヌはどこ?」


 っていうか、アンヌと一緒にいるはずの王太子様は? 隠し立てするとただじゃすまさないよ。

 若いメイドは困った顔をしていたが、私の誠意あふれる懇願に心を開いてくれたらしい。やがて眼に涙をためて教えてくれた。


「王太子様とおふたりで、運動場においでです」

「よろしい。ありがとう」


 私から解放されて逃げ去っていくメイドの背中を目で追いながら、リュディーがぼそりとつぶやく。


「あのメイド。気の毒に……」

「何言ってるの。さあリュディーよ。私を運動場まで案内しなさい」


 私は腰につけた巾着を握り締め、足を踏み出した。


     〇


 館の中を歩き回るのは、ここに来てから初めてだ。

 長い廊下には、黒い制服を着た紳士やエプロンをつけたメイド姿の女の人が、何人も優雅な足取りで行きかっている。屋敷のスタッフさんたちだろう。


 それにしても、彼らの様子がなんだかおかしい。

 なぜか彼らはすれ違うたびに、私の顔を一瞥しては眉をひそめるのだ。憐れむような目で私を見ている人もいる。仲間同士で私を覗き見ながら何事かささやき合っている人たちもいる。私の顔に何かついているのか。まあ、最近館に入ったばかりで、彼らにとって珍しいキャラであるとは思うが。


「ちょっと、リュディー。私の背中に変な張り紙でも付けた?」

「なんで私がそんなことを」


 そうだよね。あなたがそんなことするわけない。タケルならそんな悪戯をしそうなんだけど、ここにはそんなおバカな人はいないはず。


「だって、すれ違う人すれ違う人、みんな私を変な目で見るから」


 さっきアンヌの所在を教えてくれたメイドをリュディーは気の毒がったが、なんだか私の方が気の毒な人扱いされてない?


 私の疑問にはリュディーは答えてくれなかった。代わりに足を止め、目の前に現れた扉のわきに身をよける。


「到着しました。こちらが運動場になります」


     〇


 名乗りとともに扉を開くと、それまで鳴っていた楽団の演奏がやみ、その場に居合わせたすべての人が私を注視した。


 弦楽器を手にした楽士達。アンヌと王太子。それから、なんかよく知らない人々。ドレスとか着てるから、アンヌの友達とかだろうか。っていうか、聞いてないよ、こんなに大勢いるなんて。


「何? 何の用?」


 ダンスでもしていたのか、王太子と身を寄せ合い手と手を取り合っていたアンヌは、そう言うとこちらにつかつかと歩み寄ってきた。

 不機嫌さを隠そうともせずに、吐き捨てるように言う。


「ここはあなたの来るところではないわ。ヴィオレーヌ」


 私の名が発せられると、その場の誰もが眉をひそめた。廊下ですれ違った人たちが見せたのと同じ、困惑した顔。


 何、何? なんでみんなそんな顔で私を見るのよ。

 私の方こそ戸惑いながらも、しかし一生懸命気持ちを落ち着かせて、アンヌにお辞儀をする。


「ごめんなさいアンヌ。ただ、私は王太子様がいらっしゃると聞いて……」

「馴れ馴れしく呼ばないで!」

「えっ?」


 顔を上げ、王太子に視線を向ける。彼の助け舟を求めて。王太子様。ほら、私ですよ。武道大会で石を投げ、一緒に遺跡を散策した、ヴィオレーヌですよ。

 しかし王太子は私に気づかぬ様子で、他の人と話をしている。そしてそんな彼の姿を隠すようにしてアンヌが私の前に立ちはだかり、威圧的に腰に手を当てた。


「王太子様があんたみたいな下賤の者とお話するわけないじゃない」

「でも、しかし……」

「それと、私は王太子様と婚約してるの。しばらくすれば私は王太子妃。わかる? タメ口なんかきかないでよね」


 アンヌの言葉に私の体は硬直してしまう。

 今、アンヌはなんて言った?

 婚約? 王太子様と?

 そんな……


「なに動揺してんの? ひょっとして、自分が選ばれるとか思ってた? あんたなんかが王太子妃になれるわけないじゃない」


 ショックを隠しきれない私の呆然とした姿がそんなに面白いのか、アンヌは私の顔を覗き込んで頬を歪めた。出会って初めてみる、彼女の意地悪そうな笑み。


「安心しなさいよ。あなたにもちゃんと、婚約者が用意されているから」


 そして、クククッと、忍び笑いを漏らす。

 それに合わせて他の者たちもクスクスと笑い出す。憐れむような、でも、どこかでそれを面白がっているような。


「さあ、もう戻りなさい、ヴィオレーヌ。私達、ここでダンスの練習をしているの。知ってるでしょ。来月にある舞踏会。それに私達も参加するんだから」


 知らなかった。

 戸惑う私をその場に残し、アンヌは王太子の傍らに戻ってゆく。

 アンヌと王太子が再び手を取り合うのを合図に、楽団の演奏が再開された。

 ステップを踏みながらゆったりと体をまわすアンヌと王太子を中心に、その場にいた何組かの紳士淑女も舞い始める。

 もはや誰も私に目を向ける者はいない。私など、その場に最初から存在していなかったかのように。


     〇


「リュディー! これは一体どういうこと?」


 部屋に戻っても心の落ち着かない私は、この無口な侍女に困惑をぶつけた。


「アンヌと王太子が婚約してたなんて。あと、舞踏会のことも。私なんにも聞いてない! あと、私の婚約者って、誰よ」


 まるでそれが彼女の失態であるかのように、リュディーにつめよる。

 さっきアンヌからされた意地悪の腹いせに、彼女に意地悪な言葉を投げかける。


「答えなくてもいいわ。どうせまた、あなたの返事は『存じません』でしょ。わかってるんだから。わかってたのよ」


 そしてソファに身を横たえて、顔をクッションに押し付ける。


 わかってた。

 王太子が雲の上の人で、私なんかと結ばれるわけがないことを。そんなの、夢物語だってことを。ただの友達でも十分だった。それなのに……。


「声をかけることさえ許されなかった。あんまりじゃない」


 あんまりだ。アンヌめ。婚約者という立場をかさにきて、私を見下して。下賤の者ですって。私はあなたの従妹よ。

 クッションから顔を離して身を起こした私は、しかし怒りが収まらず、思わず目の前のテーブルに手をのばした。テーブル上のお皿に盛られていたクッキーを鷲掴みにして、口にほおりこむ。チョコレートでコーティングされた可愛らしいクッキー。そのしゃれた模様や甘さを堪能するでもなくほおばれるだけほおばって、乱暴にかみ砕く。

 その時だった。沈黙していたリュディーが声を発したのは。


「……アラル・ド・ウィンター様と、申されます」

「ふへっ?」


 リスみたいに頬を膨らませて咀嚼しながら顔をあげると、人形のようなこの侍女は、ぎこちなく私にハンカチを差し出しながら言葉をつづけた。


「ヴィオレーヌ様の婚約者です。侍従長家の跡取りであらせられます」

「どうして……」


 私はハンカチを受け取りながら、リュディーの顔をまじまじと見つめてしまう。意外だった。彼女が教えてくれるなんて。今まで言わなかったということは、言わぬように命じられていたかもしれないのに。


「チョコが、頬についておられるので」

「いや。ハンカチじゃなくって」


 リュディーは私の視線から逃れるように顔をそらす。


「アラル様のことは、宰相様がお教えすることになっていました。なので私が口を滑らしたことはどうかご内密に」


 もらったハンカチで頬をぬぐうと、それはとても柔らかくて、いい匂いがした。思わず頬が緩んでしまう。私は調子にのって、彼女にもうひとつ質問をする。


「その人は、どんな人」


 リュディーはいったん口ごもってから、答えた。


「それは……舞踏会でお会いすれば、わかります」

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