2 宰相との面会

「ねえ。私を襲ったのは何者かしら」

「わかりません」

「ただの盗賊かしら。それとも……叔父上の敵対勢力とか」

「存じません」


 リュディーが口を閉じると、たちまち沈黙がホテルの室内を覆いつくす。

 朝食をとり身支度を整えたあとは、出発の時間まで何もすることなくただこの使者と顔突き合わせて過ごした。年の頃は三十前後だろうか、綺麗だけどニコリともしないし、随分無口な女の人だ。彼女はそれが性格なのかそう命じられているのか、必要最小限の言葉しか口から発しない。しょうがないので時々私から声をかけるが、ほとんど反応は返ってこない。心細くて不安なのは私なのに、なんでその私が気をつかわなければならないのか。朝から昼までの数時間をこんなに長く感じたことはない。


「ねえ。宰相の邸宅はやっぱり豪華なのかしら。毎日パーティー開くの?」


 返ってきたのは沈黙。落ち着かなくて私は椅子から立ち上がり、無駄に室内を行ったり来たりする。朝から私は、いったいこの部屋を何往復しただろう。歩きすぎで今日はさぞかしよく眠れることだろう。


「ヴィオレーヌ様」


 リュディーの呼びかけに、私は思わず彼女に駆け寄る。


「何。どうしたの」

「お時間です」


 彼女の言葉に胸をなでおろし、私は外に視線を向けた。空はいつの間にか灰色の雲に覆われていた。


     〇


 宰相邸は私の想像を絶する大きさだった。これはもはや宮殿……宮殿というよりはお城だ。


 城壁のような高く長い塀。

 重々しい門。

 高い塔がいくつもそびえる、三階建ての壮大な館の建物。

 大理石の柱の立ち並ぶ広い玄関ホール。

 数えきれないほどのロウソクをのせた、巨大な王冠のようなシャンデリア……。


 玄関ホールには衛兵が整列し、その後ろに大勢の紳士淑女が控えていた。

 彼らがどういう人たちなのだろうか想像もできないが、彼らのまとう服装も華麗で、私はふと、自分の着ている紫のドレスが見劣りしないかと気になる。

 ホールの人たちは私の姿を認めると、皆優雅にお辞儀をする。衛兵たちは軍靴を鳴らして敬礼する。その間を私は精一杯胸をそらして歩く。侮られないように。偉そうに見えるように。でも。実際は足がガタガタ震えていて、つまづかないようにするのがやっとだった。


 ホールを抜けて階段を上ると、私を待ち受けていたのは長い長い廊下だった。そこに敷かれた緋色の敷物のうえをリュディーのあとについて歩く。足がなんだかふわふわしている。あまりに長いので、そして足に力が入らないので、私は自分が全然前に進んでいないのではないかという錯覚に襲われる。

 緋色の敷物も、細長い窓々も、装飾のほどこされた天井も。どこまでも続いているような気がする。


 ふとまた、心細さが私の胸をつかむ。

 どこまでも歩き続け、私はどこにも行き着かないのではないか。


 心臓の鼓動がなかなか落ち着かない。さっきから気持ちが高ぶっている。緊張してもいる。気後れしてはダメよヴィオレーヌ。私も今日からここの住人なのだから。


 私は気持ちを紛らわせようと、よせばいいのに前を歩くリュディーに質問を投げかける。


「ねえ。このお屋敷はどれくらい前に建てられたものなの。すごく広いわね。お部屋はいくつあるのかしら……」


 前を凝視したまま、抑揚のない声でリュディーは冷たく言い放つ。


「存じません」


 うん。知ってた。

 彼女の態度は職務上そうせざるを得ないのかもしれない。でも、思ってしまう。あんたの身体に血はかよっていないのかと。なにさ。こっちは今朝襲われたばっかりで、ひとりでこんなとこまできて不安だというのに。ちょっとは優しくしてくれてもいいんじゃないの。


 不愛想であることでは私もかなりのものだと思っていたけど、上には上がいるものだな。この人に比べれば私なんか聖母様だ。


 そう思ったとき、突然リュディーが立ち止まった。


「つきました。こちらが宰相閣下の謁見の間になります」


     〇


 謁見の間は、自分が暮らしていた道具屋がすっぽり入ってしまうのではないかと思われるほどに広かった。天井からは二つのシャンデリアが下がっている。部屋の左側には紅いカーテンのかかる五枚の大きなアーチ型の窓。右側と正面はブラウンを基調とした重厚そうな壁で、金地で花模様があしらわれている。あの模様は桔梗だろうか。

 広いわりには何も置いていない、その部屋の正面に数人の人間がたたずみ、私を注視していた。彼らの中心のひとりだけが、椅子に座っている。その人には見覚えがあった。髪に白いものの混ざった、初老の男。先日の武道大会で会った、宰相ラファエルだ。


 宰相の前まで進み出た私は深々と頭を下げる。


「宰相閣下におかれましては、ご機嫌麗しう……」

「堅苦しい挨拶はよい」


 顔をあげると、ラファエルはその鋭い目でしばらく私を見つめてから、片頬をあげた。どうやら笑ったようだ。


「ようこそ、ヴィオレーヌ。懐かしいな。その漆黒の髪、エメラルドグリーンの瞳。義姉上も、君と同じ髪と瞳をしておられた」

「母……ですか」

「ああ。不思議な力を持つお人だった。傷を癒したり。動物を手なずけたり。あれはいったいどういう能力だったのだろう」

「母が亡くなったのは私が幼い頃だったので、よくわかりません」

「君にはそんな力はないのかね」

「残念ながら……。石を投げることくらいしか。でも、勉強はしています。……すみません」


 なぜ謝ったのか自分でもよく分からなかった。ただ、何気ない会話なのに妙に気圧されるのを感じた。これが宰相という地位にあるものの威厳なのか。一言一言を返すだけで非常な疲労を感じる。あの温厚な父ミシェルの弟だとはとても思えなかった。


 萎縮する私に反して、叔父は愉快そうに笑い声をあげる。

「石投げ。結構じゃないか。武道大会は見事だったぞ。勉強もしているなら何より。この宰相の養女にふさわしい。そうそう。わしの家族も紹介しよう」

 そして彼の右後方に視線を向ける。

 

 宰相が目で合図すると、彼のすぐ隣に立っていた若者と少女が一歩前に出た。


「長男のミカエルと、長女のアンヌだ」

 

 頬のやつれたミカエルも、フリフリドレスを着たアンヌも、にこりともしない。宰相家の人間はみなそうなのか。私がお辞儀をするとふたりとも人形のように無表情に、コクリとひとつうなずいて元の位置に戻った。


「ところで閣下。ひとつおたずねしたいことが……」

「執事のロッシュと、各部門の長たちだ」


 私の質問を遮ってラファエルが呼びかける、と同時に、彼の左側に立っていた数人の紳士淑女が一斉に頭を下げる。

 私は口を閉ざして、彼らに対してお辞儀をする。


「そして最後に」


 ラファエルは私の背後を手で示す。


「リュディー・シャリエール。君の護衛兼侍女兼教育係だ。リュディー。ヴィオレーヌに常に付き従い、いろいろ教えてやってくれ」


 振り返ると、リュディーは私の前に膝をつき、例によって人形のようにまったく感情をにじませない表情で淡々と言ってのけた。


「承りました」


 常に……この人が私の傍にいるの? 勘弁してよ。

 リュディーから顔をそらし、私はアーチ型の窓の向こうに視線を向ける。空を覆っていた雲は相変わらず灰色で、それは今の私の心を反映しているように思えた。


     〇


 その日の宰相一家との会見は、それで終わりだった。謁見室から退室した私は、また長い廊下を渡り、館の端の部屋に連れて行かれた。


「ここが、貴方様の居室となります」


 リュディーに言われて見渡したその部屋は、あのタリスマンホテルの部屋よりも広く、豪華で、そして寒々しかった。


 ホテルや謁見室への廊下で感じていた心細さは、宰相一家との面会を終えた今でも、少しも消えていなかった。いやむしろ強くなってさえいるように思う。


「なんでだろう」


 私は思わず、言葉をこぼす。その場にいるのは無口な侍女ひとり。だけど私は言わずにはおれなかった。


「リュディー。これは独り言だから、答えなくていいよ。私ね。ずっと貴族にあこがれて、貴族になりたくて頑張ってきたんだ。でもなんだか、思っていたのと少し違うみたい」


 もっとちやほやされるものだと思っていた。でも、実際は誰も私のことなど眼中にない。襲われたというのに、誰も心配してくれない。


「私、怖かったんだよ。今でも怖い。だけど、誰も私のそんな気持なんか気にしていない。宰相は話を聞いてもくれなかった。故郷にいたなら、きっと父が大げさなほどに心配してくれただろうに。故郷は寂しい田舎だったけど、ここはもっと寂しいところね」


 口を閉じると、沈黙が降りた。リュディーはやっぱり何も言わない。まあ、彼女からの返答なんか期待してないけど。


 さて、これから夕食までの時間をどう過ごそうか。

 そう思いながら窓際へ向かおうとしたその時、背後からリュディーに声をかけられた。


「ヴィオレーヌ様」


 振り向いた私をしばらく見つめてから、彼女はためらいがちに言葉を続けた。


「私は必ず貴方様をお守りいたします。もう決して、危険な目にあわせはいたしません」


 それはこの日彼女が口にした、最も長いセリフだった。

 相変わらず人形のように無表情で。

 しかしそれは宰相家についてはじめて聞く、心のこもった言葉のように、私は思った。

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