第6話 優しい男の嫉妬
「おいっ、本当に昨日はどこに行ってたんだよ」
俺は食器を洗う手を止め、今日何度目かになる同じ質問を彼女に投げかけた。テーブルを拭いていた蛍は呆れた表情をしている。俺だって決してこんな尋問みたいなことをしたいわけじゃない。でもどうしても気になって仕方がないんだ……。それは従業員のトラブルを回避したいからか? 世話の焼ける同居人が心配だからか? それとも一人の“女”として気になるからなのか?
「もうっ! 何度も説明したじゃないですか!? ただの知り合いのとこですって!」
“それは男か?”と格好悪い問いが喉元まで出かけたが、俺はそれをぐっと飲み込んだ。
朝方戻って来た蛍は、仕事着に着替えるとすぐにランチ営業の手伝いに入った。今日のお昼時は飛び込みのお客が多く、彼女とこうしてゆっくりと話せるようになったのは、遅めの昼食を取ろうと二階のリビングに上がってからになってしまった。
ソファーに座る蛍に食後のコーヒーを渡すと、彼女はお礼を言って受け取り、いつもどおり『あぁ美味しい』っと言って一口飲んだ。俺はそんな彼女の横に座った。
「昨日は美香の奴がひどいことを言った。あいつの代わりに謝るよ。すまなかった」
「別にいいです。それよりも“
俺は一瞬迷ったが、
「
こんなこと誰にも言ったことがなかった。でもなぜか
何も言わない蛍の方を向くと、彼女は正面を向いたまま黙って涙を流していた。その涙の意味は分からないが、俺は無性に彼女が愛おしくなった。
それ以来、俺たちの距離は幾分か縮まったかのように思えた。しかし、数日に一度、蛍が「友人と会ってくる」と言って出かける日があるのに変わりはなかった。俺は、“ただの同居人の俺にはそれを縛る権利なんてない”と言い聞かせていたが、蛍が朝まで帰って来ない日は、彼女のことが気になりぐっすりと眠れなくなってしまった。
そして、そのことでついに俺は蛍に嫉妬をぶつけてしまうことになる。
蛍は前の晩から出かけており、朝方ようやく帰ってきた。俺はその物音で彼女の帰宅に気づいたが、寝たフリを決め込んで自分のベッドで布団にくるまっていた。彼女が俺の部屋のドアをノックして起こしに来たが、俺はそれに答える気になれなかった。すると、心配になった彼女はそっとドアを開けて部屋に入ってきた。
「樹さん、おはよう」
彼女がベッドに近づいた瞬間、フワッと柑橘系の香りがした。また同じ香水の匂い……。この匂いは知っている。だって俺も持っているから。俺と同じ男物の香水……。
「また同じ男の所か?」
「えっ?」
「そいつとはどんな関係なんだ?」
「……その人とは必要にかられて会ってるだけ。彼には何の感情もない」
「蛍、そんな生き方もうやめろ! お前はもっと自分の身体を大事にしろ!」
「樹さんがダメって言うならもう他の男のところには行かない。でもその代わりに樹さんが私を抱いてくれる?」
「でもそれは……」
「私はいいよ? 死んだ彼女の代わりとして抱かれても」
その甘い囁きに俺の心は葛藤した。蛍が俺の背中に腕を回して抱きつくと、ついにその誘惑に負けてしまった。二人の視線がぶつかり唇がそっと触れ合った。彼女の唇も肌も冷たく、俺はそれを俺自身で温めてあげたいという欲望に包まれ、彼女をベッドに倒した。しかし、すぐに冷静さを取り戻した俺は彼女の身体をそっと遠ざけた。
「……やっぱりダメだ」
彼女は『どうして?』とすがるような瞳で俺を見つめ返す。
「そもそも、なんでこんなにも俺に固執するんだ? 本当はお礼するだけが目的じゃないだろ?」
俺はその問いに対し、“好きだから”とか“愛してる”など至極単純な答えを思い浮かべていた。だが、彼女の口から出てきたのは予想を裏切るものだった。
「……生きるため」
「生きるため? それはどういうことだ?」
蛍は身体を起こすと、大きな溜息をついて自分の身の上に起きた出来事を静かに語りだした。
「私がこの世に居続けるためには樹さんの力がどうしても必要なの……」
「…………この世?」
「私ね、もう死んでるの」
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